FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(328)

▽ み言葉に生きる


  〝兄弟の前に妨碍(さまたげ)または躓物(つまずき)を置かぬように心を決(さだ)めよ。・・・なんじらの善(よ)きことの譏(そし)られぬようにせよ。〟
  ロマ書一四章一三節

  日本人がスルメを噛(か)むように、中国にはビンロンジュの赤い実をほおばってクチャクチャ噛み口の周りを真っ赤にしている人がいる。これには麻薬の成分の一種が含まれているとか。中国での伝道は因習との戦いが多いと思う。

  レビ記一一章の中で、神様はイスラエルの民に「食べてもよい生き物」と「食べてはいけない生き物」をはっきりと教えておられる。そして聖なる神を信じる民として聖(きよ)い生活をするように命じておられる。旧約時代、特に砂漠(さばく)を旅したイスラエル人に対して、神様が健康上の理由から「食べてはならない」と規制されたものが多くあり、汚れたものときよいものとを区別なさった。

  〝我は汝らの神エホバなれば汝らその身を聖潔(きよく)せよ。 然(さら)ば汝ら聖者(きよきもの)とならん。我聖(われきよ)ければなり。・・・そ の身を汚(けが)すことをせざれ。〟
 レビ記一一章四四節

  神様を信じる民は「汚れた物」を食べて身を汚してはならない、というご命令があった。食べてはいけなかった物の一例を挙げてみよう。

  まず「豚肉」(レビ記一一章七節)がある。千葉県の人は、すき焼きというと、牛肉ではなく豚肉、いわゆる豚すきをさす人も多いだろう。

  「蹄(ひづめ)」(レビ記一一章二~八節)のわかれていない動物、反芻(はんすう)しないものについての問題もある。

  実は、旧約聖書の中には日本人の食生活に関わりのある物も出ている。たとえば、親子どんぶり、うなぎ、イカ、タコなどである。日本人は親子どんぶりやうなぎが大好きであるが、イスラエルの人たちにはとても推薦できないお料理といえよう。

  「親と子供を一緒に煮たり食べたりしてはいけない」(レビ記二二章二八節、申命記二二章六~七節)というきまりがあるため、イスラエルでは「親子どんぶり」はダメである。また「鱗(うろこ)のない物は食べるな。」(レビ記一一章一〇節)とあるので「鰻重(うなじゅう)」もだめである。タコやイカも食べてはならない食べ物の一つになるだろう。

  旧約聖書の食べ物に関する教えを見ると、日本人にはあれもダメ、これもダメ、ということがたいへん多くある。砂漠での生活に対する衛生面と、神様の民の聖別という意味があったと思う。しかし、感謝なことに、新約時代になると食べる物によって裁かれる時代ではなくなった。  ( 続 く )

PageTop

◆ ロマ書の学び(327)

▽ み言葉に生きる


 

  〝兄弟の前に妨碍(さまたげ)または躓物(つまずき)を置かぬように心を 決(さだ)めよ。・・・なんじらの善(よ)きことの譏(そし)られぬように せよ。〟
   ロマ書一四章一三節

  イエス様を信じて自分の生活が新しくなるという時に、自分がこれまで楽しんできたものをどこまで捨てたら良いのか、ときっと多くの方が迷われたことだろう。あるいは、自分の楽しみを捨てることなく、そのままのペースで生活するのは良いことだろうか、という問題に突き当たる方もいるだろう。

  日本ではあまりないが、アメリカでは、いわゆる頭に一文字がついたようなコーヒー好きの人たちがいる。イエス様を信じる前からコーヒーが好きで、朝から晩まで四六時中コーヒー、コーヒー。コーヒーがなければ一日も生きていけないような人たちである。彼らに対して、あるグループの人たちは「コーヒーは非常に刺激性が強く、習慣性があるから、コーラと同じようにそれを飲み続けることは良くない。」と批判する。実はクリスチャンの中でも、一時期たいへん大きな論争になったことがある。

  五〇年近くも前だが、アメリカのコロラド州で児童伝道をやっていた時のこと。六、七名のチームでバス伝道を行ったが、その中の一人は私たちの通っていた大学と違った学校の出身者であった。チームの何人かがコーヒーを飲むと「あなた達は堕落(だらく)している。」「クリスチャンはコーヒーを絶対飲んではいけない。」と真顔(まがお)で非難した。後のボブ・ジョーンズ大学神学部長ウィズダム兄が、懇懇(こんこん)と説(と)き明かして「クリスチャンだからといって、コーヒーをやめなければならない理由はない。」と話したのを覚えている。

  あなたは、イエス様を信じてから食べ物や飲み物に関して疑問をもったことはないだろうか。ある人達は、クリスチャンであっても酒、タバコなどの嗜好品(しこうひん)をやめる必要はないと考える。私たちは、クリスチャンは健康と証しのために酒とタバコは遠ざけた方が良いと考えている。タバコについては聖書には何も記されていない。だから、愛煙家の人たちはタバコや葉巻などをすっても問題ないと考えたがる。けれども、タバコは聖書が書かれた当時には、世界的にも広まっていなかったし、健康に有害だということも知られていなかった。聖書全体の指(さ)し示すことと、聖書の記された時代背景を考慮しながら判断すべきテーマである。
      ( 続 く )

 
◎ 暗誦聖句 ヨハネ伝二〇章二一節
〝平安なんじらに在(あ)れ。父の我を遣(つかわ)し給(たま)えるごとく、 我(われ)もまたなんじらを遣(つかわ)す。〟

PageTop

◆ ロマ書の学び(326)

▽ み言葉に生きる


   どんなに辛(つら)い経験も、あなたを訓練し神様の輝きを増すために神様から与えられた訓練、経験と考えていただきたい。どのような辛い経験であろうとも、それが神様の御手(みて)の中にあるなら、すべてが最善に導かれるということを確信して歩むことが大事である。

  〝なんじら時(とき)を知る故(ゆえ)に、いよいよ然(しか)なすべし。今は眠(ねむり)より覚(さ)むべき時なり。〟
  ロマ書一三章一一節

  「目を覚(さ)ませ!」なぜならば、イエス様の再臨(さいりん)は近いからである。世の中の様々のできごとを見ながら、主の再臨が近いことを覚えて予想しなさいと、使徒パウロは叫びをあげている。自分の生活にはある程度なくてはならない物がそろっているからとか、あるいはマイホームがあるから安心だ、などと思わないでいただきたい。

  イエス様の再臨の時には、あなたの手に入れた持ち物もマイホームも全(まった)く無意味になる。なぜなら、主の再臨の後には私たちはもうこの地上にいないからである。聖書には、いつもイエス様を見上げて歩み、この世の中にどっぷりと浸(ひた)りきってはいけない、と何度も書かれている。私たちはこの世にあっては旅人だからである。

  〝…我(われ)は汝に寄(よ)る旅客(たびびと) すべてわが列祖(おやたち)のごとく宿(やど)れる ものなり。〟
     詩篇三九篇一二節

  〝されど我らの国籍は天に在(あ)り。我らは主イエス・キリ ストの救い主としてその處(ところ)より来(きた)り給うを待つ。〟    
   ピリピ書三章二〇節

  また、私たちの国籍は天にあるということを、覚えなければいけない。イエス様は「自分のために財宝(たから)を地に積むな。この世の富を愛するな。」とおっしゃった(マタイ伝六章一九、二四節)。

  〝まず神の国と神の義とを求めよ、さらば凡(すべ)てこれらの 物は汝らに加えらるべし。〟
  マタイ伝六章三三節

  次の聖句を覚えて生活の中で実行しよう。 

  〝われ新しき誡命(いましめ)を汝らに興(あた)う、なんぢら相愛(あいあい)すべし。わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛(あいあい)すべし。互いに相愛(あいあい)する事をせば、之(これ)によりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん。〟 
   ヨハネ一三章三四、三五節

  〝一切(すべて)のこと愛をもて行(おこな)へ。〟
  コリント前書一六章一四節

  〝おのれの如(ごと)く、なんぢの隣(となり)を愛すべし。〟
     マタイ伝二二章三九節

  〝汝らも耐忍べ、なんぢらの心を堅うせよ。主の来り給ふこと近づきたればなり。〟
   ヤコブ書五章八節

  〝真理(まこと)より出(い)づる義と聖とにて、神に象(かたど)り造(つく)られたる新し き人を着るべきことなり〟
    エペソ書四章二四節 (続)

 
◎ 暗誦聖句 コリント前書一三章一節
〝たとい我(われ)もろもろの国人(くにびと)の言(ことば)および御使(みつかい)の言を 語るとも、愛なくば鳴る鐘(かね)や響(ひび)く繞鉢(にょうはち)の如(ごと)し。〟

PageTop