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習志野バプテスト教会の週報

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◆ 愛の実践

    ▽「目を上げて畑を見なさい。」
        (ヨハネ四・三五)          


〝 しかし彼(ある律法の専門家)は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」 イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。 たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。

  ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。 次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主 人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっ と費用がかかったら、私が帰りに払います。』 この 三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」〟

        ルカ伝一〇章二九~三七節

  私たちは聖書箇所に登場する「祭司」や「レビ人」のように行動してしまうことが多いと思う。「強盗に襲われた人」を助けないだけでなく、「そんな危険な所を一人で旅をするなんて愚かだ」のように非難さえしてしまいやすい。 ユダヤ人とサマリヤ人は親しい関係になかった。敵対関係にあった、といってよい。そのことを知れば、サマリヤ人の行動は驚きである。

  このサマリヤ人は自分と自分の民族を憎み、軽蔑していたユダヤ人の悪意を心にとめていない。→「愛は寛容(相手の悪意にいらいらせず、赦そうとする心)」。

  サマリヤ人は半殺しにされたユダヤ人を助けようとする→「愛は親切(人のやくにたとうとする)」。

  サマリヤ人は災難にあったユダヤ人をかわいそうにおもった。→「愛は思いやり(礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず)」。

  自分自身旅の途中であったのに、自分の予定を遅らせてまでも、経済的な犠牲を惜しむこともなく、半死のユダヤ人を助けようとした。「どうせ、助からないだろう。」という思いはなかった。→「愛は相手の最善を信じ、期待する(すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます)」。

   Ⅰコリント一三章四~八節を暗誦し、実践しよう。

 

  ◎ 暗誦聖句 詩篇五二篇八節後半
〝我(われ)はいやとほながに神(かみ)のあはれみに依(より)賴(たの)まん〟

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