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習志野バプテスト教会の週報

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◆ 勝利の秘訣

         ▽♪主の御手に頼る日は
          いかに喜ばしき…
          『聖歌』五二一番
          (旧五〇三)を
           口ずさもう
         


   ヒゼキヤ王の生涯から、私たちに適用すべきことを学んでいきたい。今回は、ヒゼキヤ王の勝利の秘訣(ひけつ)である。    

〝1 イスラエルの王エラの子ホセアの第三年に、ユダの王アハズの子ヒゼキヤが王となった。
2 彼は二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。彼の母の名はアビといい、ゼカリヤの娘であった。
3 彼はすべて父祖ダビデが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。
4 彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇(へび)を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。
5 彼はイスラエルの神、主に信頼していた。彼のあとにも彼の先にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。
6 彼は主に堅(かた)くすがって離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。
7 主は彼とともにおられた。彼はどこへ出陣しても勝利を収(おさ)めた。彼はアッシリヤの王に反逆し、彼に仕えなかった。
8 彼はペリシテ人を打ってガザにまで至り、見張りのやぐらから城壁のある町に至るその領土を打ち破った。 〟
列王Ⅱ一八章一~八節    

 ヒゼキヤ王は神様のみ言葉をよく学んだ。ヒゼキヤ王は、神様のご命令を守り(六節)、さらに、神様がお喜びになることを積極的に行った(三節)。    

 ヒゼキヤは、南王国ユダの王としての重責を果(は)たすために神様により頼んだ(五節)。困難に直面しても、彼は神様に信頼し続け、神様から離れなかった(六節)。彼はアッシリヤの王に仕(つか)えることがなかった(七節)。    

 神様は、ヒゼキヤ王と共におられ、彼がどこへ出陣しても、勝利をおさめさせてくださった(七節)。とても単純であるが、これが、ヒゼキヤ王の勝利の秘訣である。    

 家庭、地域、職場、教会において、重い責任を負うあなたにとって、大きな励ましであり、チャレンジであろう。神様により頼む人は、神様からの励ましを毎日必要とし、神様との交わりを求める人である。困難に直面する時、誰かにあたったり、神様に呟(つぶや)いてしまうことがある。不信仰を赦(ゆる)していだき、神様に信頼をしよう。あなたが「困難」と呼ぶことを通して、神様はご自身の大きなお力をお示しくださるだろう。神様のみ言葉を熱心(ねっしん)に求めよう。聖書を読み、祈る時間を毎日もとう。    

〝世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。〟(Ⅰヨハネ五・五)    

 

  ◎ 暗誦聖句 マルコ一〇章四五節
〝人(ひと)の子(こ)の來(きた)れるも、事(つか)へらるる爲(ため)にあらず、反(かえ)って事(つか)ふることをなし、又(また)おほくの人(ひと)の贖償(あがない)として己(おの)が生命(いのち)を與(あた)へん爲(ため)なり』〟

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◆ 反 面 教 師

         ▽「イエス・キリストに
          信頼する者は、
          失望させられる
          ことがない。」
          (ロマ書一〇・一一) 
         


   ヒゼキヤ王の生涯の学びを続ける前に、彼の父、アハズの生涯を簡単に見ておこう。ヒゼキヤの生涯とは対称的(てき)である。    

〝 レマルヤの子ペカの第十七年に、ユダの王ヨタムの子アハズが王となった。アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違(ちが)って、彼の神、主の目にかなうことを行(おこ)なわず、イスラエルの王たちの道に歩(あゆ)み、主がイスラエル人の前から追(お)い払(はら)われた異邦(いほう)の民(たみ)の、忌(い)みきらうべきならわしをまねて、自分の子どもに火(ひ)の中をくぐらせることまでした。さらに彼は、高き所、丘(おか)の上、青々と茂(しげ)ったすべての木の下で、いけにえをささげ、香(こう)をたいた。〟
     列王Ⅱ一六章一~四節    

 アハズは、神様が忌(い)み嫌(きら)われることを行(おこな)った。彼は、バアルの像(ぞう)をつくり(歴代Ⅱ二八・二)、自分の息子をいけにえとして異教(いきょう)の神々にささげた(三節)。    

 神様は、アハズが罪と不信仰を悔(く)い改(あらた)め、神様により頼(たの)む機会(きかい)をお与(あた)えになった。アラムの王レツィンとイスラエルの王ペカが兵を合(あわ)せてユダを攻(せ)めてきた時もそうであった。    

神様は、イザヤを通してアハズに〝気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。あなたは、これら二つの木切れの煙(けむ)る燃(も)えさし、レツィンすなわちアラムとレマルヤの子との燃える怒りに、心を弱らせてはなりません。〟(イザヤ書七・四)とお命じになった。「あなたが私を信じるならば、必(かなら)ずあなたを守(まも)る」とお約束(やくそく)くださった(イザヤ七・九)。    

さらに神様は、アハズが神様を信じることができるように、〝あなたの神、主からしるしを求めよ〟とさえ仰(おっしゃ)った。しかし、アハズは神様を拒(こば)み続(つづ)けた。アハズは、アッシリヤの王ティグラテ・ピレセルに助けを求(もと)めた。    

 あなたにも、心を弱(よわ)らせる出来事が襲(おそ)ってくるだろう。どうにもできない問題に囲(かこ)まれることもあるだろう。私たちは、恐れ、あわててしまいやすいが、神様は「私を信じなさい。」とおっしゃる。 そして神様は、〝わたしを呼(よ)べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越(こ)えた大いなる事を、あなたに告(つ)げよう。〟(エレミヤ記三三・三)とお命(めい)じになる。    

 ヒゼキヤ王は、いつでも神様を呼んだ。アハズは最後(さいご)まで神様を呼ばなかった。あなたが、神様を信頼(しんらい)し、「神様」と祈るなら、必ずお答えくださる。    

 人間にではなく、神様に頼(たよ)ろう。この世の人たちの真似(まね)をするのではなく、イエス・キリストを見上げよう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  詩篇五四篇四節前半
〝みよ神はわれをたすくるものなり 〟

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◆ 暗誦聖句に挑戦

         ▽暗誦聖句が
          習慣になるように
          祈りましょう。
          (ヤコブ一・五)
         


  Ⅰコリント一三章四~八節です。挑戦してみましょう。新改訳、文語訳聖書の順です。ヒント=(単語)[句]    

  〝愛は( )であり、愛は( )です。また[  ]。
 愛は( )せず、( )になりません。
 [   ]をせず、[  」を求めず、( )、
 [  ]を思わず、 [  ]に( )を喜びます。
  すべてを(  )、 [  」、[  ]、[  ]。
  愛は[  ]〟
   

  〝愛は( )にして( )あり。
 愛は( )、愛は ( )、( )、[  ]、
 [  ]求めず、(  )、 [ ]を念はず、
 ( )を喜ばずして、( )の喜ぶところを喜び、
 凡そ事( )、[  ]、[  ]、 [  ]。
 愛は[   ]。〟  
   

  いかがでしょうか。実践していくことも難しいですが、暗誦することも簡単ではありません。時間がかかるかもしれませんが、一つずつのポイントを確実に覚え、実践していくならば、これからの信仰生活の成長の土台になっていきます。    

 記憶力がいぜんよりも低下していると感じ、『記憶する技術』(伊藤真著)という本を読みました。うれしいことに、「脳科学によれば、脳の神経細胞は(年とともに減っていくのではなく)鍛えれば鍛えるほど増える」と書いてありました。暗誦聖句は、信仰生活の祝福に加えて、脳神経細胞活性化のおまけがつくようです。    

 フリーモン博士は、聖書を読む際に4Mの公式(詩篇一一九・九~一七の原則)を勧めています。Mark(聖句に印をつける)、 Memorize(暗誦する)、 Meditate(黙想する)、Master(実践し、身につける)です。暗誦聖句がゴールではなく、神様のみ言葉を黙想し、実践し、自分の生活の一部とすることがゴールだと分かります。    

 ドイツのエビングハウス(心理学者)は記憶について次のように実験結果をまとめています。「二〇分後には、内容の四二%を忘れ、一時間後には、五六%を忘れ、一日後には、七四%を忘れる。」    

 私は大学生のころ、丸山先生からエビングハウスの忘却曲線と復習の大切さを教えていただきました。時間にすれば五分位だと思いますが、可能なかぎり授業の後すぐに復習しました。また、寝る前にノートを見かえしたり、頭の中で「今日勉強したこと」を復習しました。大学、神学校、大学院の学びにおいて大きな助けとなりました。現在も、その時の習慣が役にたっています。『記憶する技術』にも同じことが書いてありました。「復習することのゴールデンタイムは『一時間以内』と『寝る前の五分』」だそうです。    

 

  ◎ 暗誦聖句 テモテ前書二章六節前半
〝彼(かれ)は己(おのれ)を與(あた)へて凡(すべ)ての人(ひと)の贖價(あがない)となりえり。〟

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◆ 自分を犠牲にする愛

    ▽「あらゆる善行のうちに
      実を結び、神を知る知識を
        増し加えられますように。 」
        (コロサイ一・一〇)
           


   K・コリヤーという方がまとめたⅠコリント一三・四~八の表「神様の愛と自己愛」を学んできました。副題は、「選択肢は2つだけです。神様を愛するか、自分を愛するか。」でした。中間はない、ということです。    

  一四項目ありましたが、「神様の愛」の欄(らん)は、すべて「自分を犠牲(ぎせい)にしても」と始まっていました。神様の愛は、ご自分を犠牲にしても、愛する者の必要を満たそうとするものです。ヨハネ伝三章一六節を見てみましょう。    

  〝神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世(あなた)を愛された。それは御子を信じる者(キリストを信じるあなたが)が、ひとり(けっして)として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。〟 「お与えになった」という言葉はキリスト教の特徴を示しています。神様は、「献金」や「奉仕」をあてにして人々をお救いになるのではありません。ロマ書八章三二節にすばらしい約束が与えられている通りです。    

  〝私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。〟    

   自分の人生を自分の手でしっかりと握(にぎ)っていることが、どんなに不幸なことか分かってきます。これほどまでに私たちを愛してくださる神様に「人生」をゆだねる人は幸いであり、神様の大きな愛を経験します。その愛を他の人に分け与えることもできるように変えられていきます。〝〈自分で〉いのちを救おうと思う者はそれを失い、わ たし(イエス・キリスト)のためにいのちを失う者は、 それを見いだすのです。〟(マタイ一六・二五)    

   パウロは、コロサイのクリスチャンたちの「すべての聖徒に対して…抱いている愛」(一・四)を聞いて神様に感謝をしています。コロサイの聖徒たちは、福音を通して、キリスト・イエスに対する信仰が強められ、天に蓄(たくわ)えられている望みをしっかりと握(にぎ)っていました。神様に信頼して生きる喜びを学(まな)んだはずです。愛の実践(じっせん)は、神様の愛を学ぶことから始まります。日毎に、神様に信頼して生きる生活を始め(継続し)ましょう。    

   パウロは、自己犠牲の愛を実践していた彼らのために、「どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみ心に関(かん)する真の知識(ちしき)に満(み)たされますように。」(一・九)と祈(いの)りました。愛の心から行動(こうどう)することを学んだなら、次(つぎ)に、それが真実の愛か表面的(ひょうめんてき)な愛か、神様のみ心を探(さぐ)ることが大切だと教えられます。    

   「神様の愛と自己愛(じこあい)」の表(ひょう)を復習(ふくしゅう)しましょう。Ⅰコリント一三・四~八節を暗誦しながら、み言葉を実践できるように祈りましょう。自分の力で出来ないことを認(みと)め、神様に助けを求めることが、スタート・ラインです。    

 

  ◎ 暗誦聖句 テモテ前書一章一二節
〝我(われ)に能力(ちから)を賜(たも)う我(われ)らの主(しゅ)キリスト・イエスに感謝(かんしゃ)す。〟

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