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習志野バプテスト教会の週報

◆ 主の燃える怒り

   ▽「…確かに、今は恵みの時、
     今は救いの日です。」
        (Ⅱコリント六・二)
         


  〝今、私の願いは、イスラエルの神、主と契約(けいやく)を結(むす)ぶことです。そうすれば、主の燃える怒(いか)りが私たちから離(はな)れるでしょう。〟
   Ⅱ歴代誌二九章一〇節    

 愛の神が激(はげ)しく怒られるのか、と驚(おどろ)いたかもしれないが、新約聖書も神の怒りについて教えている。    

〝…不義(ふぎ)をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔(ふけいけん)と不正に対して、神の怒りが天から啓示(けいじ)されている…〟(ロマ書 一・一八)。    

 神を拒絶(きょぜつ)し、人間が作った偶像を拝み、欲望のままに生き、罪を悔い改めなかった者が裁かれる日は、御怒(みいか)りの日と呼ばれている(ロマ書 二・五)。    

 首記の聖句にある「主の燃える怒り」の原因も、神への不信(ふしん)と背信(はいしん)の罪であった(Ⅱ歴代二九・六)。主の御怒りのために〝…私たちの父たちは剣に倒れ、そのため、私たちの息子たち、娘たち、妻たちは、とりこに〟なった(八、九節)とヒゼキヤは知っていた。故に、「罪を悔い改め、偶像を捨て、神の御前に立ち返り、心を尽(つ)くして主に依り頼む約束をしよう。約束を破れば殺されてもよい覚悟をもって神と契約を結ぼう」と民に訴(うった)えた。    

 パウロも次のように言っている。    

〝 …神は、キリストにあって、この世をご自分と和解(わかい)させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節(しせつ)なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願(こんがん)しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです〟
      (Ⅱコリント五・一九~二一)。    

 神様は、燃える怒りをもって罪人を裁(さば)きたいのではない。神様は、罪人が救われるために、愛する御子イエス様をお与えくださった。神様の、罪人(すべての人)に対する愛と和解の方法は、はっきりと示された。    

〝私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちの ために死んでくださったことにより、神は私たちに対 するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、 今すでにキリストの血によって義と認められた私たち が、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさら のことです。もし敵であった私たちが、御子の死によ って神と和解させられたのなら、和解させられた私た ちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なお さらのことです。〟
     ロマ書 五章八~一〇節    

 「私のもとに帰ってきなさい。親しい交わりを回復(かいふく)しよう」と、神様はあなたに懇願なさっている。あなたは、まだ神様を拒絶し、罪深い生活を続けるのだろうか。神様との交わりを回復した人は、何と幸(さいわ)いであろう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ルカ一一章四節
〝我(われ)らを嘗試(こころみ)にあはせ給(たも)ふな 〟

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◆ 幸いな人生の秘訣

   ▽「主にあって、
     その大能の力によって
     強められなさい。」
        (エペソ六・一〇)
         


  〝 ヒゼキヤは二十五歳で王となり、エルサレムで二十九年間、王であった。… 〟
  Ⅱ歴代誌二九章一節    

 ヒゼキヤは、南王国ユダの王として二九年間仕えた。一日、一日、神様により頼みながら歩んだ結果である。ヒゼキヤは、「すべて祖父ダビデが行ったとおりに、主の目の前にかなうことを行った」(二節)と記されている。私たちがこの地上の生活を終える時、どのように記されるであろう。ヒゼキヤのようには記されえないが、「彼は弱く、救われた後も、失敗や罪を多く犯したが、その度に罪を悔い改め、赦しを求めたので、私が彼を赦し、助け、支えた」とのお言葉をいただけたら、と願う。    

 ヒゼキヤが王となったとき、ユダ王国には問題が山積みであった。父アハズの治世には、神を捨てた罪の故に、混乱が極(きわ)まった。北王国(ペカ)が、ユダを攻め、一日で一二万の勇士が殺され、二〇万の婦女子が捕虜(ほりょ)として連れ去られた。アハズは、神様に罪を悔い改め、神様に助けを求めるチャンスが幾度(いくど)とあったのに、アハズはアッシリヤに助けを求めた。その結果、アッシリヤがユダを苦しめることになった。まさに、このような時に、ヒゼキヤは王となった。しかし、ヒゼキヤは目の前の問題ではなく、まず神様の宮を整えることに全力を注いだ。全ての問題が、神様に対する自分たちの罪(不信、背信)によると見抜いていたのである。    

 私たちは問題に直面すると、その原因を省(かえり)みずに問題を解決することだけに心が奪(うば)われてしまうことが多い。症状だけを改善して、病気を根治(こんち)せずに放(ほお)っておくようなものである。ヒゼキヤ王にならおう。まず、神様の御前に自分自身を整え、自分の祭壇を整えるべきである。神様との関係が修復され、神様のみ心の内を歩むなら、神様が問題を解決してくださる。今日一日、神様により頼んで生きていこう。そして、また明日も。    

 ヒゼキヤの治世第四年、アッシリヤが北王国を攻撃し、サマリヤを包囲した。三年後に、北王国は完全に滅ぼされた。第一四年に、アッシリヤは南王国を攻めてきた。神様を見上げていても、困難に直面するのか、とがっかりしてはいけない。神様は、どんな時でも、必要な助けを必ずお与えくださる。私たちは一人ではない。神様が共にいらっしゃるのだ。    

 パウロはテモテに「信仰と正しい良心を保ち、勇敢に戦い抜く」(Ⅰテモテ一・一八)ようにと励ました。信仰の戦いは、激しく、長期戦である。ヒゼキヤ王は二九年間、王として神様に仕え続けた。その秘訣は、神様にいつもより頼んで生きることである。今日一日、神様を見上げて、神様のためにベストを尽くそう。神様により頼む人は、日毎にみ言葉を学び、祈り、聖霊の導きと、神様との交わりを切望(せつぼう)する人である。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ルカ一一章三節
〝我らの日用の糧を日毎に與へ給へ。 〟

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◆ 二つの悪

   ▽「悪者には心の痛みが多い。
     しかし、主に信頼する者には、
     恵みが、その人を取り囲む。」
    (詩篇三二・一〇)
         


  〝…私たちの神、主の目の前に悪を行ない、この方を捨て去って、その顔を主の御(み)住まいからそむけ、背を向 けたからです。〟
     Ⅱ歴代誌二九章六節    

 新聞を少し読むだけで、私たちの社会に存在する悪を列挙することができる。「いじめ」「振り込め詐欺(さぎ)」「盗撮(とうさつ)」など毎日報告されている。被害者が負う苦しみ、長期に渡る心の傷を考えない、自分勝手な生き方が目立つ。私たちでさえ、こうした悪に憤(いきどお)り、被害者のために心を痛めるのだから、全てを御存知(ごぞんじ)の神様は、どれほど心を痛めておられることだろう。神様のお言葉を伺(うかが)おう。    

〝わたしの民は二つの悪を行なった。湧(わ)き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ〟(エレミヤ二・一三)。神様は、ご自分の民であるイスラエル人の2つの悪を責められた。神を拒絶(きょぜつ)し、自分勝手に生きることが悪の根であり、全人類共通の問題である。    

 もっとよい水が欲しいといって、清潔でおいしい最高の水がでる泉を捨て、労苦して井戸を掘る人をあなたはどう思うか。向上心の強い人と思うだろうか。井戸を掘ってみて、泉の方がよいと分かれば、自分の愚かさを認めて、泉に戻り、そのわき水でのどを潤(うるお)すであろう。エレミヤの時代、イスラエル人の多くは、生命の源(みなもと)であられる神を捨て、自分の手で豊かな人生を築こうとした。現代、全世界で見られる姿でもある。人々は、自分の罪の実を刈りとり、また他の人の罪によって傷ついている。ヒゼキヤ王時代のイスラエル人の問題でもあった。    

 ヒゼキヤ王は、神様のもとに立ち返り、罪を赦していただき、再び神様と契約(けいやく)を結ぶことを強く願った(Ⅱ歴代二九・一〇)。故に、ヒゼキヤ王は、祭司とレビ人を聖(せい)別(べつ)させ、彼らに神殿を聖めさせ、罪のためのいけにえをささげた。    

 旧約聖書で教えられているいけにえは、イエス・キリストの十字架の御業(みわざ)を指し示している。    

〝 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とさ れました。それは、私たちが、この方にあって、神の 義となるためです。 〟
  Ⅱコリント五章二一節    

「罪を知らない方」は、イエス・キリストしかおられない(ヘブル四・一六、Ⅰペテロ一・一九)。〝 …キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊(みたま)によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう〟(ヘブル九・一四)。    

 イエス・キリストを信じる者には、新しい生命、永遠の生命が与えられる。自分の努力では手に入れることはできない。罪を認めて、イエス・キリストを信じよう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ルカ一一章二節後半
〝(『なんぢら祈るときに斯(か)く言へ)「父よ、願(ねが)はくは御名(みな)の崇(あが)められん事(こと)を。御國(みくに)の來(きた)らん事を。 〟

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◆ 霊的な健康診断

   ▽「あなたがたのからだを、
     神に受け入れられる、聖(きよ)い、
     生きた供(そな)え物(もの)として
     ささげなさい。」
     (ロマ一二・一)
         


  〝また、彼らは玄関の戸を閉じ、ともしびを消し、聖(せい)所(じょ)でイスラエルの神に香をたかず、全焼のいけにえをささげることをしなかったのです。〟 
  Ⅱ歴代誌二九章七節    

 アハズはダマスコの神々を拝むために神殿(しんでん)の戸を閉じ、民にも真の神様への礼拝をやめさせた。あなたと神様との間に礼拝を妨(さまた)げるものはないだろうか。もし、あるならば、神様に罪を告白し、問題を取り除いていただき、神様との正しい関係を回復(かいふく)しよう。アハズのように自分の罪が他の人を神様から遠ざけることがないようにも注意をしよう。    

 神殿の戸が閉ざされたため、灯(ともしび)も消されてしまった。私たちは世の光としてイエス・キリストの福音(ふくいん)を証(あかし)しているだろうか。聖霊(せいれい)の導きと助けをいただかなければ、証をすることは難しいし、人を導くことはできない。聖霊に満たされることを熱心に求めよう。そうでなければクリスチャンの証という灯も消えてしまう。    

 神殿の戸が閉ざされ、灯が消えたため、聖所での祈り、香もたかれることはなかった。教会において、日曜午後の祈祷会と水曜夜の聖研(聖書の学びと祈りの時)は、生命線(せいめいせん)である。祈りは、家庭、学校、職場、電車の中など、どこででも神様にささげることができる。〝絶えず祈りなさい〟(Ⅰテサロニケ五・一七)と教えられている。毎日の生活で、神様と交わり、祈り求めることをしている人は、教会における祈りの時間がどれほど大切であり、また祝福の時であるかを知っている。教会での祈りの時間を大切にしよう。集えるように祈り求めよう。    

 教会の祈りには、司会者、アッシャーとして会衆(かいしゅう)を代表する祈りも含まれる。会衆を代表していることと、祈りの目的を考えて祈ることが必要である。アッシャーの献金の祈りは、献金の祝福、教会と献げる人の必要が満たされるように求めることが中心となるだろう。個人のディボーションで、神様に色々なことを自由に祈ろう。    

 アハズの罪のために、献身(けんしん)を表す全(ぜん)焼(しょう)のいけにえが、神殿でささげられなくなった。私たちはどうだろう。教会の様々な働きに積極的に加わっているだろうか。神様よりも自分を優先にしていないだろうか。あなたの時間、力、お金を神様にささげているならば、それらに加えて、あなたの心(あなた自身)を神様にささげよう。神様は大変喜ばれ、あなたを豊かにお用いくださる。    

 病気や介護のために、礼拝に出席できない方の心痛を、神様はご存知である。録音メッセージを通して、神様があなたに必要なみ言葉をお与えくださるように。思うように奉仕が出来ないことも辛(つら)いことであろう。祈りは最も大切な働きであることを覚えよう。自分の弱さを知り、神様に依り頼むあなたの祈りを神様はお喜びである。     

   

  ◎ 暗誦聖句  ダニエル書九章一八節前半
〝 我(わが)神(がみ)よ耳(みみ)を傾(かたむ)けて聽(きき)たまへ〟

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