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習志野バプテスト教会の週報

◆ 私たちの心はどこにあるのか

 ▽「信仰の創始者(そうししゃ)であり、
   完成者であるイエスから目を
   離さないでいなさい。」
  (へブル書一二・二) 
         


   今年の八月五日の週報に、「教会の台所の裏(うら)にカリンの木がある。すでに、緑色の実がいくつもなっている。この実は、すてきな香りをはなち、咳(せき)に効(き)く。収穫(しゅうかく)は晩秋である。カリンの実をほしい方は、収穫の時期を見逃さないように色の変化をみていてほしい。光沢(こうたく)のある黄色がしるしである」と記した。一二月六日に、四つ収穫をした。残念ながら、その前の週の強い風で、多くの実が地に落ちてしまった。週報で書いたこともあり、例年(れいねん)以上にカリンの実の収穫時期を意識していたのに、多くの実をだめにしてしまった。    

 八月五日号の週題は、「緊急(きんきゅう)の祈りの課題」であり、〝実りは多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。〟(ルカ伝一〇章二節)が聖書箇所であった。イエス様のお言葉は、救われるべき魂(たましい)(収穫すべき実)は多いのに収穫できずにいる、ということである。    

 コンサートのためにお招きしたギレスピー・ファミリーと接した方は、多くのチャレンジを受けたことだろう。九人のお子さんを育てるご夫妻には、体力的、精神的、そして経済的にも大変なことであろう。関西に向かう時、宅急便でスーツケイスを一四個別送した。それなのに、ご家族を駅までお送りするために、楽器と残った荷物の運搬(うんぱん)も含め、五台の車が必要であった。ご夫妻への質問の中に、「九人の子に、それぞれの音楽の先生をつけることは経済的に大変ではないですか」、「子供をしつけること、聖書的な訓練することは大変ではないですか」があった。    

 両方の質問に対して、〝あなたの宝(たから)のあるところに、あなたの心もあるからです。〟(マタイ六・二一) というみ言葉をご夫妻は引用なさり、「私たち夫婦にとって、子どもたちが神様のみ言葉によって成長し、音楽を通して主イエス様にお仕えできることは大切なことです。故に、大変と思いません。大切なことと思うことのためには、誰(だれ)でも時間、お金、心を使います。まさに、〝あなたの宝のあるところに、あなたの心もある〟のです。私たちにとって、子どもに聖書を教え、導き、訓練を与えることは、簡単ではありませんが、最も大切なことと考えているので、他のことを犠牲(ぎせい)にしても、それを外(はず)すことは出来ないのです」と仰(おっしゃ)った。私たちの心はどこにあるのか、点検(てんけん)をしよう。   

 自分中心の親には、子どもは負担(ふたん)でしかない。同じく、自分中心のクリスチャンには、伝道は負担でしかなくなってしまう。収穫を待っている魂は目に入らず、収穫時期を逃(のが)してしまう。ご自身の生命(いのち)を全人類の贖(あがな)いの代価(だいか)としてささげるためにおいでになったイエス様を見上げ、永遠の滅(ほろ)びに向かっている魂のために祈ろう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ロマ書一三章一節前半
〝凡(すべ)ての人、上にある權威(けんい)に服(したが)ふべし。〟

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◆ 教会創立四九周年にあたって(2)

  ▽「…心を一つにして
    福音の信仰のために、
    ともに奮闘」(ピリピ一・二七)
    し続けよう! 

         


  〝あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません〟 
      マタイ伝一六章一八節    

 前回は、イエス・キリストが教会をお建てになることを学んだ。イエス様は、クリスチャンが宣教するご自身の福音を通して、教会をお建てになる。これからも習志野バプテスト教会が、福音をまっすぐに、人々に語りつづける教会であるように祈り求めよう。    

 〝ハデスの門もそれには打ち勝てません〟という聖句を「ハデスの門は教会を飲み込むことは出来ない」とイメージする人が多いようだが、それは正しくない。カスター博士は、「門は固定されていて動くことはない。イエス様が教えていらっしゃることは、教会が福音宣教をし、悪魔の支配下にある人をキリストのもとに勝ち取ろうとする時に、ハデスの門は強い力を持ってはいないということだ。キリストがハデスの門を粉砕して、キリストから与えられる救いによって多くの人々が死の恐怖から解放されるのだ」と説明している。   

 教会が、熱心にイエス様の福音を宣教すると、悪魔は激しく妨害をしてくる。しかし、首記の聖句は、私たちの主イエス様は、悪魔よりもはるかに強いお方であり、ハデスの門を完全に破壊する力をもったお方であると教えている。〝私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です〟(ロマ一・一六)とパウロは証している。    

 教会は、世と罪深い事柄(ことがら)とから召し出されて、主に属している人々の集まりである。教会のかしら(リーダー)は、イエス様である(エペソ五・二三)。私たち一人一人は、キリストのからだである(エペソ一・二三)。「キリストのからだ」と言うとき、体は一つであることを覚えよう。パウロはⅠコリント一二章でこの「一つのからだ」を強調している。    

 ロマ書一二章でも、「大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです」(五節)とパウロは教えている。それぞれの器官が、かしらでいらっしゃるイエス様にしたがう教会でありたい。それぞれの器官が、自分のことを主張せず、イエス・キリストの心を心として、からだ全体のことを考えるならば、教会はイエス様の御栄光を世に示すことができる。今回のコンサートも教会員の祈りと奉仕によってやり遂げることが出来た。かしらでいらっしゃるイエス様を誉(ほ)め讃(たた)えよう。    

  ◎ 暗誦聖句 マタイ伝八章一三節
〝『ゆけ、汝(なんじ)の信(しん)ずるごとく汝(なんじ)になれ』〝

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◆ 教会創立四九周年にあたって(3)

   ▽「食べるにも、飲むにも、
     何をするにも、ただ神の栄光を
     現わすためにしなさい。」
    (Ⅰコリント一〇・三一)
         


   教会の使命(しめい)(『組織神学』ヘンリー・シーセンから)    

一、神の栄光を現(あらわ)すこと(Ⅰペテロ四・一一)
  教会が神の栄光を忠実に現すならば、教会に与えられた他の使命は同時に果たされることだろう。私たちは、    

 ア、神様を礼拝することによって、神に栄光を帰する(ヨハネ四・二三~二四、黙示録二二・九)。    

 イ、祈りと賛美によって、神に栄光を帰する(詩篇五〇・二三)。    

 ウ、敬虔(けいけん)な生活を通して、神に栄光を帰する(ヨハネ一五・八、テトス二・一〇、Ⅰペテロ二・九)。    

二、教会自体の徳を高めること(エペソ四・一一~一六)    

  教会は、その会員たちをよく教え、彼らの生活のうちにクリスチャンとしての徳を育て、キリストに対する奉仕のために互いに協力するように教えるべきである。    

  会員も、礼拝、各自のデボーションを通して、聖書を 学び、信仰の上に自らの生活を築きあげるべきである (Ⅰコリント一四・二六、コロサイ二・七、ユダ二〇)。    

三、教会自体をきよめること    

  キリストによって聖なるものとされた教会(エペソ 五・二六~二七)は、神のこらしめを通して浄化(じょうか)され (ヘブル一二・一〇)、信仰によって会員それぞれが きよめられていく(Ⅰコリント一一・二八~三一、Ⅱ コリント七・一)。同時に、地方教会は、教会戒規(かいき)を 厳(きび)しく実行することによって、主(しゅ)の教会をきよく保(たも) つ責任(せきにん)がある(Ⅱテサロニケ三・六、一四)。    

四、教会員を教育すること(マタイ二八・一九)    

 教会は、日曜学校をはじめ全ての機会を用いて、会員を教育・訓練すべきである。自分の教会奉仕のためだけでなく、世界宣教のために教育・訓練すべきである。    

五、この世に伝道をすること(マルコ一六・一五)    

 教会は全世界に、福音を聞いてキリストを受け入れる機会(きかい)を与える責任がある。教会には、実際の伝道に 加えて、宣教のための執(と)り成(な)し(マタイ九・三八)、献金(ピリピ四・一五~一八)、宣教師の派遣(はけん)(ロマ一〇・一五)という責任も与えられている。    

六、この世において制御(せいぎょ)力、啓蒙(けいもう)力の役をはたすこと    

 信者は「地の塩」「世の光」である(マタイ五・一 三~一六)。教会は、生命のみ言葉(ピリピ二・一六)を世にかかげ、真理のために戦うべきである(ユダ三)。    

七、すべての善(ぜん)を促進(そくしん)すること    

 信者は自分が属する共同体の善を促進すべきである。救霊よりも社会奉仕を強調しないように注意をしよう。    

   

  ◎ 暗誦聖句 テモテ後書三章一六節

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