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習志野バプテスト教会の週報

◆あなたの魂にある騒音に気付こう(9)

   ▽「…神は
   高ぶる者に敵対し、
   へりくだる者に
   恵みを
   与えられる…」
   (Ⅰペテロ五・五)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 私たちが神様から離れて神様との交わりを失うなら、毎日の生活で受ける様々な誘惑に対して罪深い部分が反応するため、これまで取りあげてきた魂の騒音を経験することになる。次のように正反対に考えることが可能である。    

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私を避けよ。私はあなたがたに憩いを与えない。私に似る者となるために私から学ぶことを拒み、私のうちにとどまることを拒み、私のくびきを負って交わることを拒むのだから、あなたの魂は騒音であふれることだろう。〟(マタイ一一・二八~三〇を参照)    

 しかし、主はそうではなく、「わたしのところに来なさい」そして「わたしのところに来たらわたしにならうものとなりなさい」と、弟子になるようにお招きくださっている。「わたしの軛(くびき)を負ってわたしから学びなさい。わたしは心優しく、へりくだっているから」とおっしゃる。     

 娯楽や気張らし、あるいは薬で、この魂の騒音を消すことは出来ない。イエス様は御言葉の黙想こそがその方法であるとおっしゃった。「わたしのところに来て、学びなさい」。イエス様とイエス様がお示しくださる道を仰ぎ見て、焦点をあわせることが、解決の道である。「わたしのところに来て、学びなさい、わたしは心優しく、へりくだっているから。わたしのようになりなさい。すなわち、よろこんで私にすべてをゆだねなさい」。柔和はプライドとぶつかりあう。私たちはプライドが高く、イエス様にご支配していただくことをいやがる。    

 騒音のボスはプライドである。多くの騒音は、人生を自分の思うように支配しようとする時にうまれる。又はすでに失った支配権を取り戻そうとする時に騒音がうまれる。自分自身への限界や規制と絶えず戦っている。これは柔和な人と反対の生き方である。イエス様にご支配していただく生き方ではない。自分の思いのままにしたいということが、騒音とプレッシャーの主な源となる。    

 プライドは、めそめそし、口をとがらせる。プライドは、大声で要求する。プライドは、論争し、相手を打ち負かそうとする。プライドは、自分が持っていないものを欲しがり、相手から奪おうとする。プライドは、小さなことをさわぎたて、仕返しをしないと気が済まない。プライドは、他人に責任をなすりつけ、その人を責める。(続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書六章一六節B
〝( この他(ほか)なほ信仰(しんこう)の盾(たて)を執(と)れ、)之(これ)をもて惡(あ)しき者(もの)の凡(すべ)ての火矢(ひや)を消(け)すことを得(え)ん。〟

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◆あなたの魂にある騒音に気付こう(8)

   ▽「神は、
   (あなたに)…
   あらゆる恵みを
   あふれるばかり
   与えることの
   できる方です。」
   (Ⅱコリント九・八) 
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳  私たちが立っていた金網のフェンスは滑走路からそれほど離れてはいなかった。戦闘機が離着陸する瞬間はとてもドキドキした。ものすごい音で、何も聞こえなかった。となりの友人の声も聞こえない。魂の中にある騒音も同じで、その騒音のために神様のお声が聞こえなくなってしまう。    

◇魂の中の騒音を消すための神様の処方箋。    

 マタイ一一・二八~三〇はとてもすばらしい治療方法を教えてくれる。罪を犯した私たちのために、身代わりとなって十字架にかかって死んでくださったお方が「わたしのところに来なさい。」とおっしゃるのだ。交わりを持とうというおさそいである。神様は「あなたはわたしのもとに帰って、わたしとの交わりを回復せよ。あなたと親しくなりたいのだ。わたしのもとにもどってきなさい」とおっしゃる。    

 あなたも私も、神様を中心とした心を持つことが可能である。神様を仰ぎみる生活へのお招きである。これこそ自分中心の生活をやめ、自分の戦略ではなく、神様をみあげて、力、知恵、救出、そして希望をいただく、信仰の本質である。自分の力で生きていくこととは全く逆の生き方である。    

 ヨハネ一五・四~五に与えられた主のお招き(「もどって来なさい。あなたの人生に多くの豊かな実を結ばせたいのです」)に耳を傾けよう。    

〝わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがた の中にとどまります。枝がぶどうの木についてい なければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことができません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。〟    

 箴言三・五~八は主を捨てて自分の道に進むことへの警告である。    

〝心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。〟                    (続く)       

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書六章一六節A
この他(ほか)なほ信仰(しんこう)の盾(たて)を執(と)れ、(之(これ)をもて惡(あ)しき者(もの)の凡(すべ)ての火矢(ひや)を消(け)すことを得(え)ん。)〟

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◆あなたの魂にある騒音に気付こう(7)

   ▽「心に不安の
   ある人は沈み、
   親切なことばは
   人を喜ばす。」
   (箴言一二・二五)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

◇魂の中にある騒音の危険は何か。    

 まず、体に悪影響を与える。神様は箴言の中で、私たちの心がいかに身体に作用するかをくり返し教えてくださっているのは興味深い。ストレスに関連する病気とストレスによって引き起こされた合併症は、騒音で一杯な魂の結果である。勝手気ままな思考と非聖書的な思考は、自律神経系を絶えず活発にしてしまう。身体を常に非常事態に置くことは、莫大な緊張を体に強いることになる。    

 本当に非常事態にある時にアドレナリンは私たちの強い味方であるが、通常の生活において、もしアドレナリンが過剰になれば致命的な敵となってしまう。神様の民の多くが、いつも活動的であるためにアドレナリンが高い生活をしている。健康を考えると、この PUSH(一生懸命に頑張る)ということは悪い四つの文字になる。そして REST (休憩する)は健康を考えると良い四つの文字となる。胃腸の不調、心臓の問題、自律免疫系と内分泌機能の異常、そして不眠症はプレッシャーの対処法が間違っていることと関連している。    

 騒がしい魂は霊性にも問題を起こす。騒がしい魂は罪深い反応を示し、神様は親しい交わりをお持ちになれない。私たちは神様を見あげることをやめ、神様のお導きを求めることをやめてしまったようだ。神様の知恵をいただかずに、問題を自分の力だけで解決しようとしている。神様から独立することは、単に心に安らぎがなく、自分の弱さのために決断を間違ってしまうだけではない。神様によりたのんで生きるように造られた被造物が神様から離れて、自分で問題を解決しようとすることは、むしろ神様への反抗である。    

 南ダコタの中学校に通っていたが、友人数人とシオックス・フォールズにあるジョー・フォス・フィールドに自転車でよく行った。家から数マイルの距離であった。そこは地方空港であったが第二次世界大戦中は空軍基地となっていた。国の安全を守る飛行中隊が、当時まだあった。私たちはF-102 戦闘機が離陸したり着陸したりするのを見るのが好きだった。家に帰ると木をけずって模型をつくったほどだ。騒音問題がとりあげられる前のことでだ。(続く)    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書六章一五節
〝平和(へいわ)の福音(ふくいん)の備(そなえ)を靴(くつ)として足(あし)に穿(は)け。 〟

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◆あなたの魂にある騒音に気付こう(6)

   ▽イエスはもう一度、
   彼らに言われた。
   「平安が
   あなたがたに
   あるように。…」
   (ヨハネ二〇・二一)

   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳

 もし私たちが大変な一日を過ごしたのであれば、イスに座って静かな時をもち、「神様、なぜ今日、私には喜びがなかったのでしょうか」と神様にお尋(たず)ねする方がよい。さらなる騒音で心を一杯にするべき時ではない。熟考し反省すべき時である。そして「神様、あなたの御心がわかっていたのに今日、従えませんでした。私の心の問題をお示しください。」と祈る時である。

 取りあげてきたような騒音が積みあげられると、私たちは他の音を聞くことが出来なくなる。主イエス様が弟子たちに望まれた生き方とは随分(ずいぶん)違う。この地上にあって、主にはなすべき多くのことがあった。しかし主の魂には一つの騒音もなかった。主はいらいらして「ペテロ、もう終わったか。ヨハネ、確認してくれたか。アンデレ、アンデレはどこにいった。必要な時にはいつもいないな。アンデレには困ったものだ。アンデレを見た者はいないのか」とおっしゃることは一度もなかった。イエス様の魂は決して乱されることなく、騒音はなかった。

 弟子たちの前から姿をお消しになり、弟子たちにご自分の教えを他の人々に広めるようにお命じになった直後に、イエス様が弟子たち(そして私たちに)おっしゃったことを見てみよう。 〝わたしは、あなたがたに平安を残します。わたし は、あなたがたに、わたしの平安を与えます。わ たしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのと は違います。あなたがたは心を騒がしてはなりま せん。恐れてはなりません。〟ヨハネ一四・二七

 とても大切な教えである。この世の人が手に入れようとする方法であなたも平和を手にしようとするのか。この世の人は、娯楽(ごらく)、財産(ざいさん)、冒険(ぼうけん)、そして人々によって自分の人生を満たし、平和を得ようとする。この世の人々は自分の心にある虚(むな)しさをごまかすために、ありとあらゆるものを試している。しかし主は「わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います」とおっしゃった。自分自身で心をかきみだし、騒音で一杯にすることは霊的に不健康であり、罪の性質に反応していることの印である。神様を中心とする魂は騒がしくない。神様を中心とする魂は、安らぎで満ちている。(続く)   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書六章一四節
〝汝(なんじ)ら立(た)つに誠(まこと)を帶(おび)として腰(こし)に結(むす)び、正義(せいぎ)を胸當(むねあて)として胸(むね)に當(あ)て、〟

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◆あなたの魂にある騒音に気付こう(5)

   ▽「わたしは、
   あなたがたに
   わたしの
   平安を
   与えます。
   わたしが
   あなたがたに
   与えるのは、
   世が与えるのとは
   違います」 
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳

◇あなたの魂には、財産、仕事上の立場を守ろうとすることからくる騒音がないか。

 夫、妻、親、従業員、雇用者、教会のリーダー、等それぞれの責任を果たそうとするならば、私たちの魂はとても騒がしくなりやすい。私たちの心はしなければならない仕事のリストを考え、色々な戦略的計画を考えていると、騒音で一杯になりやすい。それらの騒音は、他人よりも先に行きたい、トップでいたい、最新で最高のものを手にしたい、といった野心の思考かもしれない。あるいは単純に、いま手にしている仕事の立場を守りたいという思考、あるいは自分に与えられた責任をすべて果たしたいという思考であるかもしれない。

◇あなたの魂には、強迫観念や依存症(常用癖)の騒音がないか。

 これらの思考は、麻薬、酒、過食と嘔吐(おうと)、絶食、自傷行為、ポルノ、盗み、不道徳、偽り、性的虐待(ぎゃくたい)、などに人を導いてしまう。そうした事柄の罪悪感に加えて、計画、隠蔽(いんぺい)、自分自身の正当化、儀式、そして自分に果した要求は大変大きな騒音を生みだす。

◇あなたの魂には、娯楽や気晴らしの騒音がないか。

 これらは、映画やテレビ番組、音楽やニュース、スポーツやテレビ・ゲーム、旅行や冒険の思考である。色々なものに接続している時代に生きる私たちは一日二四時間、一週七日間つまり絶え間なく私たちの心を様々な娯楽で注意散漫にさせてしまうことが可能である。光通信によって数百を越えるテレビ番組を見ることが出来、イーメールやインターネットなど無限に情報のやりとりが可能だ。

 一日の激務を終えて家にもどる時に、その日に起こった難しい出来事を通して「神様は私に何を学んでほしかったのか、神様の御心は何だったのか」と静かに考えるよりも、その日に起こった自分のまずい対応やその責任について考えることを忘れさせてくれる何かに向かうことが多いのではないか。私たちの気持ちをよくしてくれるものを見つけようとする。

 私たちはストレスに満ちた仕事の後、家にもどり、三時間テレビを観て、私たちの心を騒音で一杯にしている。テレビ番組が終わるとストーリーを思い出しながら、自分の心の中で映像を再生している。さらなる騒音をつくりだすのに成功した。 (続く)

   

  ◎ 暗誦聖句  イザヤ書四一章一〇節
〝 おそるるなかれ我(われ)なんぢとともにあり
驚(おどろ)くなかれ我(われ)なんぢの神(かみ)なり
われなんぢを強(つよ)くせん 誠(まこと)になんぢを助(たす)けん
誠(まこと)にわがただしき右(みぎの)手(て)なんぢを支(ささ)へん 〟

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