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習志野バプテスト教会の週報

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◆ 主イエス・キリストをよく知ろう

   ▽「私の主である
   キリスト・イエスを
   知っていることの
   すばらしさのゆえに、
   いっさいのことを
   損と思っています。」
   (ピリピ三・八)

   


   ペテロは、私たちが主イエス様をよく知るときに恵みと平安が豊かに与えられると教えている(Ⅱペテロ一・三)。パウロは、エペソの聖徒が〝人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができ〟るように祈った(エペソ三・一九)。    

 先週の礼拝で、神様の「知恵」「善」「力」を学んだ。神様は、あなたにとって何が最善であるかを最も良く御存知のお方でいらっしゃる。神様は全知で、知恵に満ちたお方でいらっしゃる。神様は、あなたの最善を知っているだけでなく、それを心からお望みになる。神様の大きな愛である。愛は善から発するご性質である。さらに、神様は全能のお方で、お望みになることは何でもおできになる。    

 人間の場合、知恵も愛も力も不完全で、しかも、何かがかけている場合が多い。子どもの才能を知り、その能力を伸ばしてあげたいと強く願っても、それをかなえる力が伴わないことが多い。お金があっても、仕事が忙しく、子どもを愛するよりも仕事を愛してしまうこともある。しかし、神様は、知恵、善、力に満ちたお方でいらっしゃることを覚えよう。そうすれば、どんな状況におかれても、「神様は私にとって十分以上のお方でいらっしゃる」との確信に満ち、魂は騒ぐことなく、穏やかな状態でいられる。    

 以下に、神様についてのいくつかの真理をあげる。騒がしい魂に安定を与えることだろう。    

(以下は、ジム・バーグ先生の本からの抜粋)     

◇神様はいつも善なるお方でいらっしゃる。    

 「神様は、私に本当に必要なものならばいつでもお与えくださるので、私の魂は、穏やかに憩うことができる。いつでも。」という意味である。    

〝私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。〟ピリピ四・一三    

〝また私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の 栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべてみ たしてくださいます。〟ピリピ四・一九    

〝そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などといって心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知って おられます。だから、神の国とその義とをまず第 一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、こ れらのものはすべて与えられます。〟
     マタイ六・三一~三三    

         (続く)       

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書六篇一八節B
〝( 常にさまざまの祈と願とをなし、)御靈によりて祈り〟 

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◆ あなたの魂にある騒音に気付こう(12)

   ▽「神よ。
     私を探り、
     私の心を
     知ってください。
     私を調べ、
     私の思い煩いを
     知ってください。」
    (詩篇一三九・二三)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの学び    

 一一回にわたって「自分の魂にある騒音に気付こう」というテーマで学んできた。学んだことを熟考し、実際の生活でいかすために時間をとろう。    

 マタイ一一・二八でイエス様は「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。」と仰(おっしゃ)った。このレッスンを実践するためにはどうしたらよいのだろう。以下の二つのことを思う時に、あなたの心に思い浮かぶことは何か。現在あるいは最近のあなたの状況でそれらにあてはまることはないだろうか。    

一.「打ち倒される」(すなわち、鞭(むち)で打たれ、疲れはてる)    

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二.「荷物の重さで沈む」(すなわち、最大載積量 を越えて積み荷を積んだ貨物船)    

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三.マタイ一一・二八で明らかにされた主イエス様のお心と、あなたが考えていた「イエス様のあなたに対するお心」は同じであったか。違った場合は、どう違っていたのか。    

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☆ 週報の七月二一日号から読み返してみよう。  

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◆ あなたの魂にある騒音に気付こう(11)

   ▽「神への
     いけにえは、
     砕かれた
     たましい。
     砕かれた、
     悔いた心。」
   (詩篇五一・一七)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 私たちが騒ぎ、人々を間違った方へ先導してしまうのは、自分自身の計画があり、他人がその計画とは違うことを行っているからである。しかし、私たちがこの地上にいるのは、私たち自身の仕事をするためではない。私たちがここにいる目的はイエス様と同じく父なる神様のお働きをすることである。もし私たちが遜(へりくだ)っているならば、悔い改める心と神様により頼む心とが私たちの内側にあるはずだ。そして他の人を尊重し、他の人に仕える心を継続して持っているはずである。    

 あなたはいかがだろう。魂に騒音はないか。どのような思考が、あなたの魂を満たしているのか。主があなたに向かって「わたしのもとに帰ってきなさい」とお招きくださっているお声を聞くことが出来る状態であろうか。    

 「私の人生はもう、めちゃくちゃです。もう二〇年間もこんな生活です。こんな私でも大丈夫ですか」と仰(おっしゃ)るかもしれない。しかし、イエス様はあなたに向かって「すべて、疲れた人、重荷を負う人はわたしのところに来なさい」と仰っているのだ。    

 この学びでは、魂がどれほど騒音で満たされているかあなたに気がついてほしい。騒音のためにおそらく気がついていないだろう。私たちの主はあなたに対して驚くべきご計画をお持ちでいらっしゃる。私はあなたがこのことに気がついてほしいのである。主イエス様はあなたが主のみもとに戻って来ることを願っていらっしゃる。    

 「私の魂に騒音をつくっているものを喜んで捨てます。プライドを捨てます。罪深い対応を悔い改めます。そしてあなたのもとに帰ります」と神様に言えるだろうか。イエス様から学びたいのだろうか。この学びをしながら、あなたがそのように祈られることが私の願いである。    

 この学びをする時には、いつでも次のようにお祈りするようにお願いをしたい。「主よ、あなたが私にお望みのことをお示しください。あなた様のお助けとお恵みによって、私はそのことを心からいたします」。キリストのもとに来て、主にならう者となることを決心しなければならない。魂に静けさと安けさをいつもお持ちでいらっしゃる主にならう者になりたいと決心しなければならない。    

〝…わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 〟          

   (続く)

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   ▽「御霊の実は、
     愛、喜び、
     平安、寛容、
     親切、善意、
     誠実、柔和、
     自制です。」
   (ガラテヤ
    五・二二、二三)
   


  "God is more than enough"(神様は私にとって十分以上のお方)ジム・バーグ博士著からの翻訳    

 プライドは、情欲をもやし、不健全なことにふける。プライドは、自分の失敗をごまかし、それを隠そうと画策をする。プライドは正気を失わせ、衝動的に行動をおこさせる。プライドは、思い煩い、いらいらさせる。プライドは大きな騒音である。    

 プライドは自己主張、自己弁護、自己宣伝、うぬぼれ、自尊心で一杯である。プライドは次のようにわめく。「いやだ」「私が手にするはずなのに…」「私には責任がない」「そんなことは許さない」「そんなことは我慢できない」「私の好みではない」。これらは柔和(にゅうわ)ではない。それらは魂の騒音である。    

 乳離れをしていない子どもがお腹をすかせて、お母さんの膝(ひざ)のうえで騒ぐように、自我は容赦(ようしゃ)なく騒音をたてまくる。詩篇一三一篇はこのことを大変よく表している。ダビデは「まことに私は、自分の魂を和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私の魂は乳離れした子のように御前におります。(二節)」と言った。    

 お腹がすいた乳児が母親に近づけば、身をよじって腕をばたばたさせ、むずかる、お乳がほしくて落ち着きがないのだ。ダビデは「自分の魂を和らげ、静める方法を学びました。私は満ち足りています。私はむずかっていません」と言っている。    

 神様を脇(わき)においやり、魂に騒音をかき立てるような反応を取っていることを悔い改めよう。あなたの生涯に神様がしてくださっていることを喜んで受け入れよう。神様の御支配に完全に委ねて柔和な者になろう。マタイ一一章は、イエス様は「心優しい(文語訳[柔和])」お方であると教えている。イエス様から柔和について学ぶ必要がある。    

 イエス様は「わたしのようにへりくだる者となりなさい」とも仰(おっしゃ)っている。主は私たちが遜(へりくだ)る者となるように願っていらっしゃる。謙遜は柔和の中心である。主イエス様は、ご自分のために生きられなかった。「わたしから学びなさい。わたしはあなたに模範を示します」と仰った。    

 ヨハネの福音書を通して読むと、イエス様が「わたしは自分の望むことを行うためではなく、父のみ心を行うためにこの世に来たのです」(ヨハネ五・三〇、九・四)と仰っていることに気づく。主は弟子たちに「何と言おうか『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです」(ヨハネ一二・二七)と仰った。イエス様は喜んでへりくだられ、父のみ心を行われた。      (続く)    

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書六章一七節
〝また救(すくい)の冑(かぶと)および御靈(みたま)の劍(つるぎ)、すなはち神(かみ)の言(ことば)を執(と)れ。 〟

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