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習志野バプテスト教会の週報

賛美をしながら教会に来よう

▽「主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。…」(詩篇四〇・三)
   


  〝(全地よ)喜び歌いつつ御前に来たれ。…感謝しつ つ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ〟詩篇一〇〇・二、四    

 教会以外でも賛美をしよう。電車の中ならば心の中で歌おう。週日も賛美をしていないと、「歌いつつ、賛美しつつ」教会に来ることはできない。音痴で歌えない、という方は歌詞を覚え、意味を考えよう。心の中では美しく歌えることであろう。    

 一八七〇年頃、'O How I Love Jesus'(イエス様、私はあなたを心より愛しています)という賛美歌ができ、人々に好まれた。どこででも聞くことができたし、特に集会では必ず歌われた。フィリップ・ブリス氏は、日曜学校用に聖歌集を編集していた。'O How I Love Jesus'をも加えたかったので、著作権(ちょさくけん)所有者(しょゆうしゃ)に使用許可を求めて手紙を書いた。著作権所有者は、自分の歌集売り上げがさがるのではと心配して許可をしてくれなかった。ブリス氏はとても残念に思った。歌集に加えられなかったこと以上に、著作権所有者が賛美歌を商業的に取り扱っている態度にがっかりさせられた。    

 ブリス氏の心は受け取った手紙と「イエス様、私はあなたを心より愛しています」という歌詞で一杯であった。ある日、一つの思いがブリス氏の心を捕らえた。「そうだ。私がイエス様を愛することは大切なことではあるが、それ以上に偉大ですばらしいことは、イエス様が私を愛してくださっていることだ!」そのことを考えながらブリス氏はベッドに入った。その時、ブリス夫妻はシカゴのD・W・フィットル宅に宿泊していた。翌朝食卓につくと、奥さんに、「ルーシー、今朝早く、主は新しい歌をお与えくださったよ」と行って、歌い出した。    

●聖歌 (総合版)472番 (1958年版)459番 きよいふみは教える    

 神様は歌集に空いた一頁のために、この曲をブリス氏にお与えくださった。各地の日曜学校で愛唱された。(賛美歌の背景は、アルフレッド・スミス著 "AL SMITH'S Treasury of Hymn History" より)    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書 一章四節
〝御前(みまえ)にて潔(きよ)く瑕(きず)なからしめん爲(ため)に、世(よ)の創(はじめ)の前(さき)より我(われ)等(ら)をキリストの中(うち)に選(えら)び、 〟

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夏期キャンプで霊的充電をしよう

▽「求めなさい。そうすれば与えられます。…たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ七・七)
   


  エペソ人への手紙に「奥義(おくぎ)」という言葉が何度も出てくる。奥義とは、神が御子においてあらかじめおたてになった計画で、定められた時に啓示され、定められた時に実行に移される。パウロの時代、奥義は御霊(みたま)によって啓示(けいじ)された。啓示されるまで人は知ることがなかった。隠(かく)されていたのである。    

 エペソ人への手紙における奥義の内容は、定めの時がくると、福音により、キリストにあって一切のものが一つに集められる、ということである。即(すなわ)ち、天にあるものも地にあるものも(一・一〇)、イスラエル人も異邦人(いほうじん)も(三・六)、そして諸教会(五・三二)が一つにされる。キリストの体に連なって、一つにされたものたちはキリストと共にすべての祝福にあずかる。イエス・キリストによって御霊の一致を与えられた教会員同志であっても、その一致を保つことは難しい。パウロは熱心に保て(四・三)とすすめた。    

 人間はキリスト抜きで一つになろうと努力してきたが、まだ実現していない。協力し平和を求め、一つになろうとするが、罪深い人間にはできない。それゆえに世の人は苦しんでいる。クリスチャンもこの地上にあっては、うめくことから逃(のが)れられない(ローマ八・二二~二三、Ⅱコリント五・四)。しかし、キリストにあってすべてのものが一つにされる栄光(えいこう)に満ちた時が必ずくる。その日は近づいている。    

 このご計画を成就(じょうじゅ)するために、神様は教会をお用いになる。教会は神様のご計画の中心にあるのである。    

〝教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。〟(エペソ三・二一)    

 エペソ人への手紙の内容    

一、神のご計画(一~三章)    

 一章=教会は神の御体(一・二三)    

 二章=教会は神の御(み)住(す)まい(二・二二)    

 三章=教会は神の知恵をあらわす器(三・一〇)    

二、神のご計画を成就する為の教会の責任(四~六章)    

 四章=信者は一致を保て【一致の敵は肉の思い】    

 五章=世とは一致するな(分離)【一致の敵は世】    

 六章=悪魔との戦いに備えよ【一致の敵は悪魔】    

 昨年、神学校ではマクゴワン先生からエペソ人への手紙を教えていただいた。大変恵まれ、夏期キャンプでも是非教えていただきたいと思った。今回大人は、一〇回に渡ってエペソ人への手紙から学ぶ予定である。水曜夜の聖書研究会でもエペソ人への手紙を勉強しているが、実に約三ヶ月分の学びに相当する。神様に期待して、キャンプに参加できるよう祈り求めよう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書 三章一〇節
〝いま教會(きょうかい)によりて神の豐(ゆたか)なる知慧(ちえ)を、天(てん)の處(ところ)にある政治(まつりごと)と權威(けんい)とに知(し)らしめん爲(ため)なり。 〟

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最も大切なこと (4)

▽「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを 思いなさい。」(コロサイ三・二)
   


  〝私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬(ほうむ)られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。…〟Ⅰコリント一五章三~五節    

◇よみがえられた主は、多くの人に現れてくださった。    

ア、マグダラのマリヤ(マルコ一六・九~一一、ヨハネ二〇・一一~一八)    

イ、墓に来たマグダラのマリヤ以外の女性たち(マタイ二八・八~一〇)    

ウ、エルサレムにいたペテロ(ルカ二四・三四、Ⅰコリント一五・五)    

エ、道を歩いていた二人の旅人(マルコ一六・一二~一三、ルカ二四・一三~三五)    

オ、戸を閉ざしていた一〇人の弟子(ヨハネ二〇・一九~二五)    

カ、トマスを含む全ての弟子(イスカリオテ・ユダを除く)(ヨハネ二〇・二六~三一、Ⅰコリント一五・五)    

キ、漁をしていた七人の弟子(ヨハネ二一・一~一四)    

ク、山上の一一人の弟子(マタイ二八・一六~二〇)    

ケ、五〇〇人以上の群衆(Ⅰコリント一五・六)    

コ、イエス様の弟ヤコブ(Ⅰコリント一五・七)    

サ、イエス様が昇天なさるのを眺(なが)めていた人たち(使徒一・三~八)    

シ、パウロ(使徒行伝九章、Ⅰコリント一五・八)    

 私たちも、復活の主を拝する時がくる。その時まで、いつも主のわざに励(はげ)もう。    

◇イエス・キリストの十字架の死と復活は、旧約聖書にある預言の成就(じょうじゅ)である。    

ア、メシヤは罪のためのいけにえとして死なれる    

 イザヤ五三章(ヨハネ一・二九、一一・四九~五二、 使徒一〇・四三、一三・三八~三九)    

イ、メシヤは死人の中からよみがえられる    

詩篇一六・一〇(マタイ二八・一~一〇、使徒二 ・二二~三二)    

 パウロは、コリントのクリスチャンに「最も大切なこと」として、以下のことを伝えた。キリストの死は私たちの罪のためであったこと、キリストは間違いなく死なれたゆえに葬られたこと、三日目によみがえられたこと、そしてこの福音は旧約聖書の預言の成就であり、人間が作り出したものではなく、神様のご計画であったこと、である。これは、私たちにとっても、大切なことであり、他の人に伝えるべきことである。    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書 二章二二節

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最も大切なこと (3)

▽「私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。」(Ⅰテサロニケ四・一四)
   


  〝(キリストは)聖書に従って三日目によみがえられた…〟Ⅰコリント一五章四節    

◇キリストはよみがえられた    

 私たちの罪の身代わりとなって死んでくださり、そして、よみがえられたお方が私たちの主であられる。このお方のために生きよう(Ⅱコリント五・一五)。    

 パウロは、〝(復活の主は)ケパに現(あら)われ、それから十二弟子に現われ… その後、…五百人以上の兄弟たちに同時に現われ… その後、…ヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われ… そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださ〟ったと証言している(Ⅰコリント一五・五~八)。    

 パウロが復活の主にお会いした時のことは、使徒行伝九章に記されている。パウロはコリントのクリスチャンたちに、イエス・キリストの復活を証明しようとしたのではない。「キリストを主と信じ、キリストの復活にあずかる者は、死者の中からキリストをよみがえらされた神様の大きなお力によって守られているのだから、いつでも主のわざに励(はげ)もう」と勧(すす)めているのである。    

 コリントの信者の中には、「キリストを信じて救われた者はキリストが復活なさったように復活させられる」という神様のお約束を信じられない者が多くいたようである。「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか。」と誘(さそ)う人たちの言葉に負けて、この世の楽しみを求めて生きている信者に、〝目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。〟と注意している(一五・三四)。    

 私たちは、イエス・キリストの復活を日々の生活で意識しているだろうか。罪の問題、人間関係の問題、経済的な問題、勉強や仕事での問題、私たちは毎日多くの問題に直面する。しかも、幾(いく)つもの問題を同時に対処(たいしょ)しなければならないのだから、ストレスで心が押しつぶされそうになる。そのような時、復活の主を見つめているだろうか。    

 「死者の中からイエス様をよみがえらされた神様の大きなお力で、私をお支え下さい。試練に耐えられるように必要な力、助けをお与え下さい。」と祈っているであろうか。〝神についての正しい知識を持っていない〟(Ⅰコリント一五・三四)ならば、即(すなわ)ち、神様があなたを愛し、最善(さいぜん)の計画(けいかく)をご用意くださり、そのために必要な訓練(くんれん)、準備(じゅんび)、助け、力を必ずお与えくださることを知らなければ、その人の信仰生活には喜びも、輝きもないであろう。    

 〝神の全能(ぜんのう)の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを…知ることができますように。〟(エペソ一・一九)    

   

  ◎ 暗誦聖句 エペソ書 一章二三節
〝この教會(きょうかい)は彼(かれ)の體(からだ)にして、萬(よろず)の物(もの)をもて萬(よろず)の物(もの)に滿(みた)し給(たも)う者(もの)の滿(み)つる所(ところ)なり。 〟

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最も大切なこと(付記)

▽「人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰による…」(ローマ三・二八)
   


  パウロがコリントの信者に伝えた「最も大切なこと」の第三の内容(復活)について学ぶ前に、コリント市について説明しておこう。ローマ帝国アカヤ州都(しゅうと)で、ギリシャの中で最重要都市の一つであった。土に恵まれ、園芸技術に優(すぐ)れ、ぶどうがよくとれた。人口も多く、ポセイドン(ギリシャ神話の海神)のために祭り(運動競技)が隔(かく)年(ねん)行われた。知的に敏感、物的に繁(はん)栄(えい)、道徳的に腐(ふ)敗(はい)した都市であった。どんなものでもコリントで知られれば世界に広く伝(でん)播(ぱ)された。    

 日本はコリントと似ている。豊かで、知的で、運動も盛んだ。しかし、死についてはどうしようもないのだ。ギリシャの哲学者も色々な事を学び、考えたが、死についてどうしようもなかった。故に、「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」(Ⅰコリント一五・三二)と快楽を求めて生きていた。パウロは、コリントの信者に、「そのような生き方をしている人を友に選んではいけない。悪い影響を受けるから」と警告した(一五・三三)。死はどうしても勝つことのできない敵であった。医学が発展した今でも、死に勝つことはできない。    

 人は死の恐怖におびえている(ヘブル二・一五)。死が恐ろしいのは、死が罪の代価であるからである。〝 死のとげは罪であり、罪の力は律法です〟 (Ⅰコリント一五・五六)。とげは死にではなく、罪にある。罪には、予期せぬ同盟者・力の源が存在する。「律法」である。律法は神様がお与えになったものであり、聖であり、正しく、良いものである(ローマ七・一二)。しかし律法には人を救う力がない。    

 「神の律法は人々に、自分が死ぬ運命にある罪人であることを悟(さと)らせるが、助けを差し出さない。罪は現実であり、そして危険である。海水浴を楽しもうと思ったら、『サメがいるので、遊泳禁止』の標(ひょう)識(しき)が目に入る。あなたの一日は台無しになる。それは標識のせいだろうか。あなたは、標識を立てた人に腹を立てるだろうか。律法は、この標識と似ている。標識は不可欠であり、私たちは感謝をする。しかし標識は、サメを追い払わないのである。」(Bible navi, 1878頁)。    

 イエス・キリストの身代わりの死によって、私が払うべき罪の代価は完(かん)済(さい)された。故に、死は裁きを受けるために神様の御前に出る瞬間ではなく、神様に感謝をお伝えするために御前にでる瞬間である。私たちはこのようなすばらしい恵みをいただいているのである。    

   

  ◎ 暗誦聖句  エペソ書一章三節
〝かれはキリストに由(よ)りて靈(れい)のもろもろの祝(しゅく)福(ふく)をもて天(てん)の處(ところ)にて我(われ)らを祝(しゅく)し、〟

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