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習志野バプテスト教会の週報

ギレスピー・ファミリーをお迎えして

▽「…全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。」(使徒行伝一六・三四)

   ギレスピー一家のコンサートに出席して大変恵まれました。音楽のすばらしさだけでなく、キリストを中心に家族が一つになっていることがその理由でしょう。以下は二年前に「喜びの泉」に掲載されたものです。    

Q.ご家族で音楽活動をしようと思われたきっかけは?    

【ランデル氏】いろいろ理由はありますが一番の理由は家族みんなで一致して出来るのは音楽ではないかと思いました。音楽なら、特に歌だったら車の中でも、家にいる時でも寝る前のちょっとの時間でもできるのではと思ったのです。    

【シェリーさん】私は子どもの頃、かなり長くピアノを習っていましたが、高校生の時にチアリーディングにも興味を持つようになりました。チアリーディングは練習が多くて、だんだんピアノの練習はしなくなりました。母は「ピアノなら一生弾くことができるけど、チアリーディングは限られた時期しかできないのではないですか。」と言いましたが、私は嫌だったのです。チアリーディングのほうが楽しかったのです。でも、今になってみると私はピアノも弾けないし、チアリーディングもできません。だから子どもたちには、私と同じ思いをさせたくないのです。音楽は一生楽しめるし、音楽を通して神様に用いられると思いました。    

Q.ランデルさんは銀行にお勤めで、お忙しいと思うのですが、どのようにして子供たちと交わる時をつくっていらっしゃるのですか。    

【ランデル氏】もちろん忙しいです。日本の男性と同じです。でも、長男が2歳の時に気持ちが変わりました。これまであまりにも忙しすぎて、優先すべきものを見失っていたと思いました。長男のカレブが2歳の時、糖尿病(一型)と診断されたのです。忙しく働いている間に、子どもを失うのではないかと、恐れました。それで、私は、仕事ばかりでなく、子どもの霊的なことも考えなければと思いました。私が神様を信じたのは子どもの頃でした。神様を第一にしようと思っていたのに、ちょっと脱線して仕事が大事になっていました。でも、子どもの病気を通して、もう一度優先すべきものを考えることができました。    

【シェリーさん】主人が子どもと交わる方法の一つですが、子どもの誕生日に、お父さんはその子だけを連れて外で食事をします。また、数年前に【お父さんの夜】という日を作りました。それはたいてい月曜日で、お父さんは子どもたちみんなを連れてボーリングや外食など、楽しく過ごします。すると、私は家で一人くつろぎ、好きな縫物などをすることができるのです。    

   

  ◎ 週報は、今号が今年の最後です。一年間の神様のお恵みを数えながら、週報を読み返してみましょう。

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バプテストの特徴(4)

▽愛する方に最愛のお方(イエス・キリスト)をお伝えし、教会におさそいしましょう。
  


  四、二つの礼典(れいてん)(Two ordinances)    

 二つの礼典とは、信者のバプテスマと主の晩餐(ばんさん)である。    

 ア、信者のバプテスマ    

 教会がキリストを救い主として信じた者にバプテスマを施(ほどこ)すのは、以下の理由による。①キリストがバプテスマを受けることを望まれ(マタイ三・一三~一五)、かつ弟子たちがバプテスマを授けるのを認められた(ヨハネ四・一、二)。②世界宣教のご命令の中で、弟子たちに〝それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け(なさい)〟(マタイ二八・一九)と命じられた。③使徒および初期の弟子達が、バプテスマを説き、バプテスマを施した(使徒二・四一、八・一二、九・一八)。信者は、キリストに喜んで従う証しとしてバプテスマを受けるのである。    

 バプテスマは、イエス様を救い主と信じる者がキリストとともに葬(ほうむ)られ、キリストとともに復活したことの象徴である(ローマ六・三、コロサイ二・一二)。バプテスマには「洗う」という意味はない。バプテスマのギリシャ語「バプティゾー」という言葉は、「水に沈む」「浸(ひた)す」を意味する。水の中に完全に浸(つ)かることは、キリストの葬りをあらわし、水中から出てくることはキリストの復活をあらわす。このことからも、バプテスマが救いの後にくることがよく分かる。私たちは死者のみを葬り、葬られた者のみが新しい生命によみがえることができるのである。    

 イ、主の晩餐    

 イエス様は裏切られる夜、〝…あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです〟(Ⅰコリント一一・二六) と言われた。教会は主の晩餐を守ることによって、教会自体とこの世に対して、キリストの死の事実を思い起こさせる。信者はキリストの身代わりの死に感謝しつつ、主の御言葉に忠実に福音を人々に伝えているか、キリストの再臨を心待ちにしているか自分自身を吟味(ぎんみ)するのである。パウロは〝したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい(Ⅰコリント一一・二七~二八)と命じた。    

 祭司である私たちは、主の晩餐に与る時はもちろん、日毎に聖霊に心を調べていただき、清めていただこう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ヨハネの手紙第一  三章三節

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