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▽「 聖書はこう言っています。『彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望
させられることがない。』」 (ローマ一〇・一一)
「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離
される」詩篇一〇三・一二
習志野バプテスト教会には、大きな地球儀があります。ビニール製で、風船の
ように空気を入れて膨らませた物です。この地球儀はとても変わっていて、透明
です。ある国の裏側にある国がどこかすぐに分かります。子どものころ、私はペ
ンシルバニア州に住んでいたのですが、自分の家の庭に穴を堀り、掘り続けたら、
最後には、どこの国につながるのであろうと、考えていたのです。この地球儀を
見れば、ペンシルバニア州の裏側がどこかすぐに分かります。
方角と言えば、大きく分けて、東西南北の四方向があります。日本から出発し
て、東に行き続けることができます。東の終わりはありません。日本から出発し
て、西に向かって行く時も同じです。西に、西に、と向かっていっても、西の終
わりはないのです。
しかし、北と南に向かう場合は違います。日本から出発して、北に向かいます。
行き続けると、北極に到着します。北極からは南に向かうことになります。日本
を出発して、南に向かう時も、南に、南に、と向かっていくと、南極に到着しま
す。南極からは、北に向かうことになります。南北の場合、北と南に向かって行
き続けることができないのです。東と西の時だけ、ずっと行き続けることができ
るのです。
神様は「東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから
遠く離される」(詩篇一〇三・一二)のです。大きな隔たりです。神様がお与え
くださる罪の赦しは完全です。赦された罪は、私たちの目の前に二度と持ち出さ
れません。「北が南から遠く離れているように」とは言われなかったのです。南
北には限界があります。私たちの罪が神様によって完全に赦されたことを理解し
ましょう。神様は、そのために自身のお言葉を注意深くお選びになったのです。
「東は東、西は西、両者がまみえることは決してない」という諺を聞いたこと
がありますか。アメリカ人は良く使う表現です。聖書の御言葉ではないですが、
「東西に終わりがない」ことを思い出させてくれます。
神様が私たちの罪をお赦しくださる時、その罪を私たちから遠く離れた所へ移
してくださるのです。神様は、その罪を二度と思い出されないのです。神様の赦
しは完璧であり、完全です。あなたも罪を完全に、そして永遠に赦していただく
ことが出来るのです。イエス・キリストは十字架の上で、あなたの罪のために死
んでくださったのです。あなたが赦されるためです。イエス様はあなたが支払う
べき代価をお支払いになったのです。あなたに代わって罪の罰をお受けくださっ
たのです。今日、あなたもイエス・キリストを信じませんか。
(お話・マーサ・カクラン宣教師)
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▽「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」(マタイ一六・二六)
ベネス・ジョウンズ夫人が、NBC創立五〇周年記念集会で婦人にお話くださったメッセージの続きです。
オルパはUターンしてしまいました。ルツは前に進んでナオミと一緒に続きます。そして素晴らしい祝福に与ります。いくつかの事を一緒に考えましょう。
オルパがその決心をした後、どうなったでしょうか。
御言葉には書かれていません。想像力を働かせて考えてみましょう。モアブに帰り、再婚したかもしれません。子供も与えられたかもしれません。毎日ご馳走を食べ、立派な家を持つお金持ちになったかもしれません。すっかりくつろいだ快適な生活を送ったかもしれません。有名なご主人であったなら、オルパも有名になっていたかもしれません。もしそのようなことが本当に起こっていたら、オルパは「ああ、こちらを選んでやっぱり良かった」と喜んでいた筈ですね。
しかし、本当に良かったのでしょうか。そうではありません。ナオミがルツに、オルパのUターンについて言ったことを覚えていますか。「自分の民に帰っただけではなく、自分の神々にも帰った」と言ったのです(ルツ一・一五)。本当に悲劇的な、愚かな選択でした。彼女の人生は最後まで暗闇の中にあり、偶像の国で一生を終えました。
「選択」は非常に大事なことです。大きな選択だけではなく、日々選ぶ小さな事も大事です。
「戻る」ことについて考えてみましょう。そのような選択の時が来ます。戻ることにしようか? 前に進んでいこうか? 救われてから長く経っているクリスチャンであっても、場合によってはUターンして昔の考え方に戻ることがあります。誰かとの関係、もうそれを過去のものにした方が良いのにUターンして戻ることもあります。神様に喜ばれないような事に戻ってしまう時があります。自分の頭や心に汚い、良くないものを取り入れてしまうことがあります。
そして「何かへ」だけではなく、「何々から」Uターンしてしまうこともあります。神様が奉仕や素晴らしい計画を与えてくださっているのに、Uターンしてしまうことがあります。御言葉の真理に成長する機会が与えられても、Uターンして戻ってしまうことがあります。神様と約束して「これからは従っていきます」という決心をしたのに、Uターンすることもあります。(続く)