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習志野バプテスト教会の週報

天国への唯一の道(英語バイブルT翻訳)

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」 ヨハネ一四章六節
 あなたは天国に行きたいですか。天国に行く方法をご存知ですか。私は天国を一度も見たことがないし、行ったこともありません。また、天国に行ったことのある人に会ったこともありません。テレビや写真でも天国を見たことがありません。では、天国が本当にあるということを、私はどのようにして知ったのでしょうか。それは、イエス・キリストのお言葉によってです。イエス様のお言葉は、テレビ、写真、または人々の言葉よりも確かです。イエス様は、天国と地獄(じごく)があると言われました。私はイエス様のお言葉を信じます。

 天国は確かにあります。天国にはどのようにしていけるのかご存知(ぞんじ)ですか。

 最近、私は流山に引越して来ました。最初の二週間、手続きの為に市役所、警察署、郵便局の本局など多くの場所に行く必要がありました。近所の方は親切で、それぞれの所へ行く道を教えてくれました。ある時、「市役所への唯(ゆいいつ)一の道です」と教えてもらいました。後で、別の道を見つけました。その方は、市役所への唯一の道ではなく、一つの道を教えてくれたのです。
 ある月曜日の朝、何人かの友人とダイエーへ買物に行きました。その時、ダイエーへの「唯一」の道はこれです、と教えてくれました。しかし、私はダイエーに行く他の道をいくつも見つけました。ある時は、道に迷(まよ)い、知っている道に戻(もど)るまで大変だったこともありますが、近道も見つけました。友人達はダイエーへの唯一の道ではなく、一つの道を教えてくれたのです。

 イエス様は、「私は天国への一つの道です」と仰(おっしゃ)いませんでした。イエス様は、「私が天国への唯一の道であり、唯一の真理であり、唯一のいのちなのです」と言われました。あなたがアメリカに住んでいるならば、イエス様は天国への唯一の道です。あなたがアフリカに住んでいても、イエス様が天国への唯一の道です。オーストラリアに住んでいても、イエス様が天国への唯一の道です。そして、あなたが日本に住んでいても、天国への唯一の道はイエス様です。

 友人が、柏、流山、野田の大きな地図をくれました。私は初めての道に行って、新しいルートを見つけるのが大好きです。地上にある場所への新しい道を見つけることは素晴らしいことです。しかし、多くの方が天国に行くために新しい道を見つけようとしていることは残念です。ある人は新しい宗教を作り、天国に行けるよう善行(ぜんこう)に励(はげ)みます。しかし、イエス様は、天国に行くための道は多くはなく、「わたしが唯一の道です」とはっきりと言われました。(カクラン宣教師)

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二つの誕生日(Eバイブルタイム翻訳)

 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告(つ)げます。人は、新しく生まれなければ、神(かみ)の国を見ることはできません。」ヨハネ 三章三節

 私は毎年二回誕生日(たんじょうび)を迎(むか)えます。ご存知(ぞんじ)でしたか。四月と七月です。もちろん、一年で二歳、年をとりません。しかし、二つともに大切な誕生日です。

 私は四月二四日、両親の子として生まれました。生まれた年は秘密(ひみつ)です。生まれた時のことは何も覚(おぼ)えていません。生まれた時間、体重、身長については母から聞いて、知っています。しかし、生まれた時のことは何も覚えていません。ただ、カクラン家(け)の一員(いちいん)であることは間違(まちが)いありません。目は父に似(に)ていて、顎(あご)は母に似ています。性格(せいかく)は、母に似ているところもありますが、父に似ているところが多いです。私は間違いなく、カクラン家に属(ぞく)しています。

私にはもう一つの誕生日があります。一四歳の時に、私は神様の家族に生まれました。それは七月でした。赤ちゃんとして生まれた時のことは何も覚えていませんが、神様の家族に生まれたときのことは全部覚えています。私は、自分が罪人(つみびと)であり、神様の赦(ゆる)しが必要なことを知っていました。イエス・キリストが私の罪(つみ)のために、私に代わって十字架上で死んでくださったことを信じました。私は神様に、「罪を赦してください。私をお救(すく)いください」とお願いしました。聖書によると、その時に、私は神様の子どもになったのです。「しかし、この方(かた)を受(う)け入(い)れた人々(ひとびと)、すなわち、その名(な)を信(しん)じた人々には、神の子どもとなる特権(とっけん)をお与(あた)えになった」(ヨハネ一・一二)。

 私はずっと父ジョージ・カクランと母ライラの子どもです。そして、イエス・キリストを私の救い主(ぬし)として信じた私は、ずっと神様の子どもです。

 ヨハネ三章で、ニコデモという人が、ある晩(ばん)イエス様を訪ねました。イエス様はニコデモに、「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」と仰(おっしゃ)いました。ニコデモは非常に驚(おどろ)きました。どのようにして母の胎内(たいない)に戻り、再び生まれることができるのか分からなかったのです。イエス様は、母の胎に戻って生まれなおすことを言われたのではありません。ニコデモが、イエス様を救い主として信じ、神様の家族に生まれることを言われたのです。そうすれば、ニコデモはこの地上の命を終えるとき、天国に行き、そこでイエス様と共に永遠(えいえん)を過ごすことができるのです。ニコデモは二つめの誕生日が必要でした。私も二つめの誕生日が必要でした。あなたは二つの誕生日をお持ちですか。そうでなければ、地上の命が終わる時、天国に行くことができません。キリストをあなたの救い主として信じ、受け入れ、一日も早く神様の家族に生まれることを願います。(カクラン宣教師)

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的(まと)をはずす(英語バイブルタイム翻訳)

▽「 不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、   幸いである。」 (ローマ四・七)

「すべての人(ひと)は、罪(つみ)を犯(おか)したので、神(かみ)からの栄(えい)誉(よ)を受(う)けることができず、」 ローマ三章二三節
 的をねらってあてることは得意(とくい)ですか。的を使うゲームが好きですか。

米国では小さな子供達(たち)が、「ロバの尻尾(しっぽ)」ゲームを誕生会でよくします。 尻尾のないロバの大きな絵を用意します。子供達は一列に並びます。手には紙で出来たロバの尻尾をそれぞれ持っています。順番になると、目隠(めかく)しをされ、三回まわります。そして、真(ま)っ直(す)ぐに歩いていき、正しいと思う所に尻尾を置きます。多くの場合、おもしろい結果になります。ある時は、鼻や耳に尻尾がつきます。ある子は正しいところに尻尾をつけますが、めったにいません。

 父は地下室にダーツの的を置いていました。私は地下室に降りて、矢(や)を投げたものです。正(しょう)直(じき)、私は上(じょう)手(ず)ではありませんでした。あちらこちらに穴(あな)をあけてしまいました。中心に命中(めいちゅう)することはほとんどなかったのです。でもそれは私だけではありませんでした。ダーツが得意な父も的を外(はず)して多くの穴を作りました。

東京ディズニーランドに行くと、私は射的場(しゃてきじょう)に必(かなら)ず行きます。動く標的(ひょうてき)、文具の標的、多くの的があります。一ゲームは一五発です。私のベスト・スコアは、一三発命中です。全部命中した事はまだありません。

 私はティンネイジャーの頃、ある夏にキャンプに行きました。そこでアーチェリーをやり、とても楽しい経験(けいけん)をしました。的にはほとんど当たらず、とんでもないところに飛んでいった矢を探(さが)すのが大変(たいへん)でした。

 なぜ私が的や的あてについてばかり話しているのか不思議(ふしぎ)に思っていることでしょう。「罪」という言葉は、「的をはずす」、「中心をはずす」という意味であることをご存知(ぞんじ)でしたか。聖書はローマ三・二三に、「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ(ない)」と記しています。神様の「的」は絶対的(ぜったいてき)な完全(かんぜん)さです。どんなに一生(いっしょう)懸命(けんめい)に努力(どりょく)し、練習しても、私達は神様の的を射ることはできません。私達はいつも的を外すのです。ある人は、他の人よりも中心に近いところを射(い)るでしょう。しかし、的の中心を射ることは絶対にありません。

 イエス・キリストは、地上で唯一(ゆいいつ)罪を犯さなかった、罪の無いお方です。イエス様は完全なお方で、十字架(じゅうじか)上で私達の罪のために、身(み)代(が)わりとなって死ぬ資格を持った唯一のお方です。私達は神様の完全な的を射ることができませんが、イエス様はおできになりました。私達は罪の罰(ばつ)からの救いのためにイエス様を信頼(しんらい)できます。罪の誘惑(ゆうわく)に勝利するためにイエス様を信頼できます。この地上の命を終(お)える時、私達を天国に連(つ)れていってくださるお方として信頼できるのです。あなたは、イエス・キリストをあなたの救(すく)い主(ぬし)として信じ、受け入れましたか。
           (お話=カクラン宣教師)

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「歯医者さんに行く」

▽「聖書はこう言っています。『彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望
させられることがない。』」 (ローマ一〇・一一)

 教会創立記念(一一月三日)にあわせて、六回にわたって教会について学んで
きました。英語バイブル・タイムのお話(翻訳)を再開いたします。
 「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができ
よう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行ない
の結ぶ実によって報いる。」
   エレミヤ書一七章九~一〇節

 あなたは、歯医者さんに行くことが好きですか? 私は好きではありません。い
つも、渋々行っています。歯の掃除のため、歯を抜くため、金属を被せるため、
そして、虫歯のところに詰め物をするために行きます。特にドリルでガリガリさ
れる虫歯治療は嫌いです。歯医者さんがドリルを使わずに、薬だけで治療を済ま
せてくれたらと願いますが、それは不可能です。虫歯になっている歯に金や銀を
被せる前に、歯医者さんはドリルを使って、いたんだ部分を削らなければなりま
せん。ドリルの音だけで怖くなります。歯医者さんが神経を触るときは、激痛が
はしります。しかし、虫歯を治療し、虫歯を予防するために、歯医者さんは虫歯
の部分を全て取り除かなければなりません。その後、はじめて歯医者さんは、削
った部分に歯を強め、守るための良いものを埋め込むことができます。

聖書には、人の心は非常に悪いと書かれています。人はよい行いで心の中の邪悪
さと罪を隠そうとしますが、それは問題の解決にはなりません。ちょうど、歯医
者さんがドリルを使って虫歯の部分を取り除くように、主イエス・キリストによ
って、私たちは心の中にあるすべての邪悪さをきれいにしていただかなければな
りません。その後で、イエス様は私たちの心を、愛、喜び、平安で満たしてくだ
さるのです。ただし、私たちは主にそうしてくださるように求めなければなりま
せん。私たちは、よこしまな心を認め、赦しを乞い、清らかな心を与えてくださ
いと、主に求める必要があります。自分が罪人であると認めることは、ドリルが
歯を削る時と同じく痛みを伴うことがあります。しかし、イエス様に心の中を清
めていただくと、心は主にある平安に満たされます! 痛みに耐える価値がありま
す。

どうぞ、あなたの罪を主の前に隠そうとしないでください。イエス様に罪を告白
し、今日、イエス様に心を開いて下さい。(お話=マーサ・カクラン宣教師)

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