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習志野バプテスト教会の週報

神様がお守りくださる(英語B・T翻訳)

「平(へい)安(あん)のうちに私は身(み)を横(よこ)たえ、すぐ、眠(ねむ)りにつきます。主(しゆ)よ。あなただけが、私を安(やす)らかに住(す)まわせてくださいます。」 詩篇四篇八節

 私の好きな御(み)言(こと)葉(ば)の一つです。私は毎年、長野県にある野(の)尻(じり)湖(こ)に行きます。詩篇四篇八節は私にぴったりの約束です。野尻湖にはオフ・シーズンに行きますので、人はほとんどいません。通りは真っ暗で、泥(どろ)棒(ぼう)にとって好都合です。助けが必要でも、電話がありません。神様に完全に信頼しなければなりません。神様は私をいつもお守りくださいました。日本の治(ち)安(あん)は良いです。私の周りには、日本の治安について心配している人もいます。夜、シャッターを閉(し)めずに寝ることは考えられないそうです。私は時々、夜一〇時過ぎに犬の散歩にいきますが、彼らには信じられないようです。

 船橋市に住んでいた時、隣(となり)は公園でした。家の前をいつも誰かが通って行きました。「色々な人が家の前を通っていくのは怖(こわ)くありませんか」とゲストからよく聞かれました。私は気になりませんでした。

 今は流山に住んでいます。ある生徒が「夜に先生の家に行くのは怖い」と言いました。最後の曲がり角を過ぎると、目の前に竹(たけ)藪(やぶ)があり、それが怖いのだそうです。私はどこに行くにも、神様が共におられることを知っています。私は神様のものです。神様の子どもです。神様は私から恐(きよう)怖(ふ)心(しん)を取(と)り除(のぞ)いてくださいます。

 二年前、友人とニューヨークに行きました。友人は自信家で、知らない場所でも積極的に出て行く人です。私は内(うち)気(き)で、もの静かな時が多いです。ある朝、買い物に行きました。途中で間違った地下鉄に乗ってしまい、次の駅で下車しました。私は、正しい電車はどれか誰かに聞こうとしました。しかし、友人は「だめ」と言いました。友人は非常に恐れていました。私たちは駅から通りに出ました。ニューヨークの危険な場所にいたのです。自信家の友人はヒステリックでした。これまで友人のこんな姿を見たことがなかったので、驚きました。警察官が二人歩いていました。彼らに追いつこうとして走りました。しかし、だめでした。ようやくタクシーを呼び停(と)めました。神様がそのタクシーを私たちの所へ送ってくださったのです。

 その辺(あた)りでは普段タクシーは走っていないと後で知りました。私は神様の御(み)手(て)の内に守られていることをはっきりと知りました。自分に自信をもっていた友人はヒステリックでした。私は穏(おだ)やかに、神様が私たちを守ってくださることを期待していました。私はキリストを個人的な救い主として信じ、受け入れました。私は罪(つみ)の罰(ばつ)から救われ、神様の子どもとなりました。神様は死の恐怖そして人生の様々な恐怖を私の心から取り除いてくださいます。私は神様の愛とお守りを確信しています。あなたはいかがですか。(カクラン宣教師)

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最もすばらしい取扱説明書(EBT翻訳)

「あなたのみことばは、私の足(あし)のともしび、私の道(みち)の光(ひかり)です。」 詩篇一一九篇一〇五節

アメリカ人は面(おも)白(しろ)いことが大(だい)好(す)きです。葉(は)書(がき)、本のしおり、ポスター、車のバンパーステッカーと、何処(どこ)にでも面白い言葉を見つけることができます。私がよく目にしたものは、「何をやっても上手(うま)くいかない時には、取扱説明書を読むべし」です。私はどうしても必要な時以外、取扱説明書は読みませんので、面白い表現だと思いました。私は、車、テープ・レコーダ、ビデオデッキ、カメラ、洗(せん)濯(たく)機(き)などの取扱説明書を保存していますが、利用したことがありません。

 約二ヶ月前、非常に暑かったです。私は毎日、車のエアコンを使いました。ガソリンがすぐに無くなるように感じました。車の取扱説明書を取り出し、エアコンの項目を調べました。設定が間違っていました。説明書の手順に従って、再設定すると、エアコンは良く動き、ガソリンも無(む)駄(だ)になくなりませんでした。早くマニュアルを読めば良かったのにと思いました。

 今週、友人からワープロを借りました。初めて使いました。簡(かん)単(たん)な操(そう)作(さ)を教(おし)えてもらい、練習しました。友人が帰り、一人になった時に、私は印刷ボタンを押しました。インクのカセットテープは動いているのに、文字が印刷されません。借りたものを壊(こわ)してしまったと思いました。色々なボタンを試してみました。新しい紙を入れ、何回か印刷しようとしましたが、駄(だ)目(め)でした。「何をやっても駄目な時には、取扱説明書を見るべし」という言葉を思い出しました。取扱説明書を取り出し、「印刷」の項目を見つけました。それから、「故障かなと思ったら」の箇所を見つけました。正しく印刷出来ない場合の対処方法が書いてありました。手順に従い操作すると、きれいに印刷できました。

 取扱説明書は重(じゆう)要(よう)で、メーカーはそれらを提供します。マニュアルは、機(き)器(き)を使うための最もよい方法を教えてくれます。マニュアルの手順に従うならば、機器は最もよく動くでしょう。

 神様は私達に人(じん)生(せい)の取扱説明書をお与えくださいました。私達の人生は、機器動作よりずっと重要です。 私達は人生を送る最善の方法と、人生の諸(しよ)問(もん)題(だい)の対(たい)処(しよ)法(ほう)を知る必要があります。人生の問題の多くは、罪(つみ)が原因であると知る必要があります。神様は私達に何を期待されているのかを知る必要があります。これらすべての解決法が、聖書の中に記されています。

 神様の御(み)言(こと)葉(ば)は私の足のともしび、私の道の光です。あなたは神様がくださっている人生の取扱説明書を読んだことがありますか。手(て)遅(おく)れになるまで待(ま)たないでください。手の付けようがなくなるまで待たないでください。神様の御言葉を今日から読みはじめませんか。(マーサ・カクラン宣教師)

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主は生きていらっしゃるから(EBT翻訳)

 「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。』」 ヨハネ伝 一一章二五節

首記にあるイエス・キリストの御言葉によって、二千年もの間、クリスチャンは希望と慰めを与えられてきました。今日は、この御言葉について黙想します。

イエス様についての大好きな賛美がアメリカにあります。生きておられるイエス・キリストについての歌です。「イエス様は生きておられるので、私は明日に向き合うことができます。イエス様が生きておられるので、恐怖心がなくなりました」という歌詞です。イエス様が生きておられることは、あなたの人生にどのような意味がありますか。考えたことがありますか。

数ヶ月前、私の友人のお父さんが癌でなくなりました。七〇歳を越えていたそうです。その方は生涯を通して、キリスト教とは無関係でした。亡くなる約三週間前に、友人はお父さんに「死ぬことは怖いですか」と尋ねました。お父さんは「はい」と答えました。友人はイエス様について話をしました。彼女は、イエス様がお父さんの罪のために十字架の上で死んでくださったこと、そして墓に葬られ、三日後に死から甦られたことを話しました。友人のお父さんは、三月五日にイエス様を救い主として信じました。友人のお父さんは病院にいて、寝たきりでした。救われるために何もできませんでした。イエス様に、罪から救ってくださいと祈っただけでした。人生最後の二週間、死の恐怖はなくなりました。七〇年以上も、別の宗教を信じていました。友人のお父さんは、イエス・キリストを信じてわずか二週間でしたが、今イエス様と共に天国にいます。それは永遠に続きます。

九年前、私の妹の夫も癌で亡くなりました。アランはわずか二七歳でした。義弟が病気の間、私は日本にいました。アランが亡くなった三週間後に、私はアメリカに戻りました。多くの人が私に、「もう少し早く帰ってきたら、もう一度アランに会えたのに」と言いました。「私は再び彼に会えます。アランはクリスチャンでした。アランはイエス・キリストを彼の個人的な救い主として信じていました。アランは天国で生きています。いつの日か、私も天国に行きます。アランに会います」と答えました。

イエス様の復活は、私達に希望と確信を与えます。イエス様の復活は、私達から死の恐怖を取り除いてくれます。

「イエス様が生きておられるので、明日に立ち向かう事ができます。イエス様が生きておられるので、恐怖心はなくなりました。」
◎暗誦聖句〝唯(ただ)われらを樂(たの)しませんとて萬(よろず)の物(もの)を豐(ゆたか)に賜(たも)う神(かみ)に依頼(よりたの)み 〟 テモテ前書六章一七節後半

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生ける主(英語バイブルタイム翻訳)

 「キリストも一度(いちど)罪(つみ)のために死(し)なれました。正(ただ)しい方(かた)が悪(わる)い人(ひと)々(びと)の身(み)代(が)わりとなったのです。それは、肉(にく)においては死(し)に渡(わた)され、霊(れい)においては生(い)かされて、私(わたし)たちを神(かみ)のみもとに導(みちび)くためでした。」Ⅰペテロ三章一八節

 イースターは、クリスチャンにとって非常に重要な祝日です。イエス・キリストの復(ふつ)活(かつ)を記(き)念(ねん)し、神様に感謝する日だからです。イエス様が死から甦(よみがえ)られたのは日曜でした。イースターは毎年日曜日にあります。

 どこかの教会に行くならば、イエス様のお体がかけられている十(じゆう)字(じ)架(か)を見るでしょう。また、イエス様のお体がかけられている十字架のネックレスをした人や、イエス様のお体がかけられている十字架がついた数珠(じゆず)を持っている人を見たことがあるかもしれません。

 しかし、イエス様のお体がかけられている十字架は、キリスト教の真(しん)の象(しよう)徴(ちよう)ではありませんし、クリスチャンの信(しん)仰(こう)を正しく象徴していません。習志野バプテスト教会にも十字架がありますが、イエス様のお体はかけられていません。十字架だけです。イエス様は一度だけ、私達の罪のために十字架上で血を流し、死んでくださいました。人類のための贖(あがな)いの御(み)業(わざ)は完(かん)成(せい)されました。首記の聖句をもう一度お読みください。イエス様のお体は、最(も)早(はや)十字架の上にありません。空(から)の十字架こそ、キリスト教信仰の真実(しんじつ)の象徴です。

 イエス様は十字架から降ろされ、墓(はか)の中に葬(ほうむ)られました。しかし、三日後に甦られました。イエス様は死んだままではおられません。生きておられます。イエス様のお墓は空(から)っぽです。キリスト教信仰の真実の象徴は、空の十字架と空の墓です。イエス様が十字架上で死んでくださったので、私達は罪から救われることができます。イエス様が甦られたので、私達も永(えい)遠(えん)の命を持つと確信できます。

イースターは私達に希望を与え、永遠の命が約束されていることを思い出させます。また、イエス・キリストが唯(ゆい)一(いつ)の真の神であられることを証明しています。死から甦る事ができるのは神様だけです。死と悪魔に打ち勝つ事ができるのは神様だけです。モハメッドは墓の中です。仏教、ヒンズー教、その他(ほか)宗(しゆう)教(きよう)の創(そう)始(し)者(しや)はみな死にます。真実の神ではないため、死から甦ることはありません。彼らは死んで墓に葬られたままで、墓は空ではないのです。彼らは私達の身代わりとして、十字架の上で死んだのではありません。彼らは誰一人、死から甦る事がありませんでした。ですから、甦られたイエス・キリスト以外には、あなたに希望を与えることができません。イエス様はあなたに希(き)望(ぼう)、喜(よろこ)び、平(へい)安(あん)をお与えになることができます。習志野バプテスト教会にいらっしゃり、イエス様のことをもっとよく知って下さい。 (マーサ・カクラン宣教師)

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