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習志野バプテスト教会の週報

天国について(英語バイブル・T翻訳)

 最近、長野県にある野(の)尻(じり)湖(こ)に行きました。とてもよい時を過ごしました。天気もほぼ毎日快(かい)晴(せい)でした。水泳、ハイキング、テニス、その他のスポーツを楽しみました。自転車を借りて、野尻湖を一周しました。一四㎞のサイクリングでした。本や雑誌なども読みました。リラックスすることができました。

 野尻湖での休(きゆう)暇(か)中に、千葉では悲しい出来事がありました。高齢であった勝谷初代(はつよ)姉が主(しゆ)の御(み)許(もと)に召(め)されました。悲しいことと言ったのは、地上では会えないからです。勝谷さんをよくお見舞いしました。私は勝谷さんの病室で聖書を読み、賛美をしました。一九九三年一一月、勝谷初代さんはイエス・キリストに罪(つみ)の赦(ゆる)しを求めて、救われました。しばらくの間ですが、地上ではもう会えないことが悲しかったです。しかし、いつか私も天国に行きます。その時、勝谷さんと再会し、お話ができます。イエス・キリストを救(すく)い主(ぬし)と信じた者は、間違いなく天国に行けると神様がお約束くださいました。六月の前半、私は勝谷さんを訪問しました。私は天国についてお話しをしようと決めていました。私は子ども向けの簡単な本を持っていきました。天国にないものと天国にあるものの頁がありました。天国にないものの頁には、太陽、月、ロウソク、薬、泣いている人、教会、そしてお墓の絵がありました。私たちがよく知っているものですが、それらは天国にはありません。そして、もう一つ天国にないものがあります。それは罪です。天国にあるものの頁には、金の道、天使たち、美しい家、美(お)味(い)しそうな果(くだ)物(もの)が実(みの)った木、そして最もすばらしいことに、イエス・キリストご自身の絵が描かれていました。絵そのものは美しいものではありません。子どもたちが目で見てわかるように描(えが)かれた簡単な絵でした。しかし、勝谷さんはその絵が気に入って、自分用にコピーが欲しいと言いました。

 野尻湖の別(べつ)荘(そう)のポーチに座(すわ)りながら勝谷初代姉の事を考えていました。勝谷さんは、目がさめて自分が天国にいることを知り、天国の素(す)晴(ば)らしさを見て、どんなに驚き、また喜んでいることでしょう。聖書と「天国にあるものとないもの」の本から天国について聞いてきましたが、それは一部分にしかすぎません。金の道、天使たち、美しい住まい、美味しい果物の木、そして何よりも救い主イエス様に直接お会いし、勝谷さんは驚いているでしょう。勝谷初代姉は今天国にいます。天国で愛するイエス様とすばらしいものを見ています。それは、一九九三年一一月にイエス様を個人的な救い主として信じ、心に受け入れたからです。勝谷さんの罪はすべて赦されました。あなたはキリストを信じ、受け入れられましたか。あなたもいつか天国に行けますか。(カクラン宣教師)

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恐れのある日に(新英語バイブルT翻訳)

「恐(おそ)れのある日(ひ)に、私(わたし)は、あなたに信(しん)頼(らい)します。」詩篇五六・三

 「あなたがたは心を騒(さわ)がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ一四・七)はイエス様のお言葉であり、「神が私たちに与(あた)えてくださったものは、おくびょうの霊(れい)ではなく、力(ちから)と愛(あい)と慎(つつし)みとの霊です」(Ⅱテモテ一・七)はパウロの言葉です。私たちにとって慰(なぐさ)めとなる御(み)言(こと)葉(ば)です。

 それなのになぜ、私は色々な時に、恐れてしまうのでしょうか。予(よ)期(き)せぬ状(じよう)況(きよう)に置かれると、パニックになったり、心を騒がせたりしてしまうのはなぜでしょうか。二〇一一年三月一一日の大(だい)地(じ)震(しん)以後、日本は大変な時を過ごしています。私は無事でしたが、その時の大(おお)津(つ)波(なみ)に自分自身がのみこまれてしまったような気持ちになることがあります。三月一一日の地震の時、私はあるデパートの一一階でお昼を食べていました。高層ビルが左右に大きく揺(ゆ)れ、死ぬかと思いました。食糧不足も不(ふ)安(あん)材料でした。食料品を買いにスーパーに行くと、棚(たな)は空(から)っぽでした。私は言葉では表現できないような不安な気持ちで一(いつ)杯(ぱい)になりました。

 放(ほう)射(しや)線(せん)量(りよう)が毎日報告されましたが、水、魚、野菜、そして他の商品への影響を考えると、不安が増すだけでした。 大(おお)勢(ぜい)の外国人が一(いつ)斉(せい)に日本を脱(だつ)出(しゆつ)する様子を見て、面(めん)食(く)らいました。地震、津波、放射線による被災者が、過(か)酷(こく)な状況からどのように脱出するか想像することさえ難しい時でした。

 数年前、教会に向かう車中で、メッセージを聞いていました。その説教者は、ご自分ではどうにもならない難しい状況に置かれたそうです。恐(きよう)怖(ふ)心(しん)で心が一杯になってしまったそうです。「恐れのある日に、私は、あなたに信頼します 」(詩篇五六・三)というダビデの言葉を主(しゆ)が思い出させてくださった時、恐怖心が消えたそうです。明(めい)確(かく)で簡(かん)潔(けつ)な、そしてすべての状況下で適(てき)応(おう)できる御言葉です。この御言葉によって、説教者の先生は騒がしい心が穏(おだ)やかにされたそうです。

 私は揺れがおさまったあと、自分の席に戻りました。昼食を食べるために、新しい箸(はし)をお願いし、食事を全部いただきました。「よく、そんな気持ちになりましたね」と多くの人に言われました。「恐れのある日に、私は、あなた(神様)に信頼します 」だからでした。「食糧不足や放射線による被(ひ)爆(ばく)の恐(きよう)怖(ふ)がなかったのですか」とも聞かれました。「恐れのある日に、私は、神様に信頼します」が私の答(こたえ)でした。「カクラン先生は、アメリカにお帰りになりますか」とも聞かれました。「恐れのある日に、私は、神様に信頼します」。 私はその時その時、必要な決断をしてきました。ダビデに対してと同じく、主は私にも平(へい)安(あん)をその時、その時にお与えくださいました。主は私の心を解(と)き放(はな)ってくださり、ご自身のすばらしいお約束によって私が憩(いこ)えるようにしてくださいます。主は私に、力と愛と落ち着いた慎みのある心をお与えくださいます。詩篇四六・一~三をお読みください。(カクラン宣教師)

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神様の完全な赦し(英語バイブル・T翻訳)

 「わたし、このわたしは、わたし自(じ)身(しん)のためにあなたのそむきの罪(つみ)をぬぐい去(さ)り、もうあなたの罪を思(おも)い出(だ)さない。」 イザヤ書四三・二五

 あなたは記(き)憶(おく)力(りよく)がよいですか。私は、年を重(かさ)ねる毎(ごと)に、昔(むかし)のことはよく思い出せるのに、最(さい)近(きん)のことを忘(わす)れてしまいます。鍵(かぎ)や大切な書類をどこに置いたのか思い出せません。手紙の返事を書いたかどうかも思い出せないことがあります。最近の事はすぐに忘れてしまいます。それなのに、昔のことはよく覚えています。これは私だけの問題ではないでしょう。ある日、日本人の友人と話をしていました。イザヤ書四三章二五節についての話になりました。

 キリストを信じる時、神様は私たちの罪を完全に赦してくださいます。このすばらしい知らせをあなたは知っていますか。神様は罪をお赦しくださると、その罪を二度と思い出されません。神様は、お赦しになった悪を何回も私たちの目の前に持ち出されないのです。神様は私たちの罪をぬぐい去ってくださり、それを思い出されません。しかし、私や友人は、自分たちの悪(あく)を忘れることができません。友人は、幼い頃のことを話してくれました。近(きん)所(じよ)に障(しよう)がいを持った男の子がいたそうです。ある時、他の子どもと一緒に、その子を馬(ば)鹿(か)にし、からかってしまったそうです。大きくなったその子に会えるならば、謝(あやま)りたいと言いました。友人は、自分のした悪(わる)いことを赦せなかったのです。しかし、イエス・キリストを信じた友人の罪は赦され、神様は彼女の罪を思いだすことはなさらないのです。

 私にも忘れられないことがあります。小学生の時のことです。母はかなり昔の人(にん)形(ぎよう)を持っていました。それはプラスチック製(せい)ではなく、割(わ)れ物(もの)で出来ていました。その人形で遊んではいけないことになっていました。ある日、私はその人形をもって外に遊びにいきました。しかも、行(い)ってはいけないと言われていた遊び場に行きました。意(い)地(じ)悪(わる)な男の子がいて、私が持っていった人形をとり、地面に投げつけました。頭が取れてしまいました。私は母に何と説明しようか考え、本当のことを話しませんでした。人形を落としてしまったと母にウソをつきました。私は母に二つのことで不(ふ)従(じゆう)順(じゆん)でした。さらに私はウソをついてしまったのです。私は母を騙(だま)したときのことを忘れられません。

 キリストを救(すく)い主(ぬし)として信じた時、神様は私の罪をお赦しくださいました。私は自分の罪を忘れられないかもしれませんが、神様は私の罪をぬぐい去ってくださり、思い出されないのです。キリストが私の救い主でいらっしゃるということを知って、私は罪(ざい)悪(あく)感(かん)から解(かい)放(ほう)され、喜びと平安に満たされています。何と素(す)晴(ば)らしいことでしょう。あなたの罪は赦されていますか。キリストをあなたの救い主として信じ、受け入れましたか。キリストを信じるならば、あなたの罪は完全にぬぐい去られ、神様は二度と思い出されないことを知っていますか。(マーサ・カクラン宣教師)

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神様のお名前(英語バイブル・T翻訳)

 「あなたは、あなたの神(かみ)、主(しゅ)の御(み)名(な)を、みだりに唱(とな)えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者(もの)を、罰(ばっ)せずにはおかない。」 出エジプト記二〇・七

 私は日本在住の外国人です。背が高く、目が青く、髪が茶色のため、私はどこにいっても目立ちます。気づかれないようにすることはできません。特に子どもたちは、私にすぐに気付き、色々な反応を示します。 来日直後、子どもたちは「ハロー、ハロー」と声をかけてきました。数年後には、「カモン、カモン」で、その後「アイ ラヴ ユー」と叫(さけ)ばれることもありました。子どもたちは、知っている英語の表現を使って、私とコミュニケーションを取ろうとしたのです。私は「ハロー」と子どもたちに笑顔(えがお)で答えました。

 最近、子どもたちは私に向かって、「オー、マイ、ガッド」と言います。彼らは自分が言っている意味が分からないでしょうが、真(まこと)の神様に対して大変失礼な言葉です。聖書は「オー、マイ、ガッド」のような言葉を禁止(きんし)しています。出エジプト記二〇章七節をもう一度見ましょう。「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない」。

 日本のテレビや映画でも、子どもと大人が「オー、マイ、ガッド」と言っているのを見ます。時代劇の中でさえ、私はその言葉を耳にしました。「オー、マイ、ガッド」という表現はなぜいけないのでしょうか。

 人々はこの言葉を、怒(おこ)った時、イライラした時、失敗(しっぱい)した時、あるいはがっかりした時に使います。「オー、マイ、ガッド」と言う時、失敗や落胆(らくたん)の原因(げんいん)を神様の責任(せきにん)にしているのです。すなわち、反抗心(はんこうしん)、特に神様への反抗心から出てくる言葉なのです。

 聖書は、神様のお名前について色々と記しています。神様のお名前と評判(ひょうばん)は切り離すことができません。神様のお名前は聖(せい)なるものです。神様のお名前が示している神様の御性質は信頼できます。神様は力のあるお方で、私たちをお守りくださいます。神様のお名前は軽く扱われるべきものではありません。おそれられ、崇(あが)められるべきものです。神様のお名前はすばらしく、不変なものです。エペソ一・二一を見ましょう。「すべての支配(しはい)、権威(けんい)、権力(けんりょく)、主権(しゅけん)の上(うえ)に、また、今(いま)の世(よ)ばかりでなく、次(つぎ)に来(く)る世においてもとなえられる、すべての名の上に高(たか)く置(お)かれました」。

 神様のお名前をどのように用(もち)いるべきか注意(ちゅうい)しましょう。神様のお名前を口にする時は、畏敬(いけい)の念(ねん)を持ちましょう。神様のお名前を軽(かる)がるしく使わないようにしましょう。自分の間違いや失敗を神様の責任にして、神様に文句(もんく)を言うような表現は使わないようにしましょう。「オー、マイ、ガッド」という表現は使わないように決心しましょう。(マーサ・カクラン宣教師)

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