FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

嗣業の地を手にするために一致が必要(二)

 二〇一七年夏期キャンプのメッセージ(山宮先生)の三回目です。第二集会メッセージの続きです。

 「しかし、あなたがたは登って行こうとせず、あなたがたの神、主の命令に逆らった。」申命記一・二六

 第二集会のテーマは、嗣業の地を手にするためには一致が必要、である。教会が一致し、一つ心になるためには、各教会員が「いつも」イエス様を思って生きなければならない。自分の努力で、一つ心にはなれない。イエス・キリストを思うことから、力、知恵、愛が与えられる。いつもそうする必要がある。

 マタイ二五章にタラントのお話がある。各自が賜物を神様の栄光のために与えられている。神様のために賜物を使うべきである。主人のために何もしなかった失敗が記されている。一〇人の族長たちの不信の声は、何も良いものを生まなかった。約束の地に入る目的で出エジプトをしたのに、そこに入ることをしなかった。できなかったのではなく、しなかった。カレブとヨシュアの信仰と、他一〇人の族長たちの信仰が一致しなかった。教会が心を一つにできれば、教会は大きなことができる。しかし、心を一つにできないと、教会は前進できない。聖徒がイエス様を思い、心を一つにしている教会に、神様は豊かな祝福と力をお注ぎになる。
 「わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる」( 民数記一四・二三、二四)。神様は、疑う者の声も信じる者の声も、みな聞いておられる。自分を思っていれば、失望しかでてこない。いつもイエス・キリストを思っていよう。イエス様を思っていると、神様の御前にあって自分がどれほど罪深い者かが分かる。と、同時に、この罪深い者を愛してくださる神様の大きな愛に圧倒される。

 ヨシュアとカレブは信仰を保ちながら、不信仰者と共に四〇年間歩んだ。二人は分裂を起こさなかった。「自分たちだけで行く」と言えたのに、二人はそうしなかった。イスラエルの民の一体性を強く思ったが故に、四〇年間も共に荒野を旅したのだと思う。教会はキリストのお体である。あなたは一人で歩んでいるのではない。ヨシュアとカレブは民族の一体性を思って、苦しみを忍んだ。教会は共に歩んでいる。あなたは教会と共に歩んでいるだろうか。もし、そうならば、教会と共に苦しみ、共に喜ぶことができる。一つ思いとなる一致こそ祝福の源である。

 自分の力、努力では一つ心にはなれない。いつも、イエス・キリストを思うことである。イエス様を思う者たちは、必ず一つ心に合わせられていく。(続く)

PageTop

嗣業の地を手にするために一致が必要

 二〇一七年夏期キャンプのメッセージ(山宮先生)の続きです。今日は第二集会メッセージです。

 「しかし、あなたがたは登って行こうとせず、あなたがたの神、主の命令に逆らった。」申命記一・二六

 「しかし」という言葉は、いつ使うかが大事である。首記の聖句の「しかし」は、一民族の方向を決めるものであった。ヨシュアとカレブの使い方は、「約束の地にいる敵は強い。しかし、主が私たちと共におられる。主を信頼して行こう」であった。あなたは、どのように、「しかし」を使っているであろう。一〇部族の族長は、「約束の地は良い地である。しかし、そこには強い、大きな敵がいて、私たちは攻めとることができない」と言って、神様を疑い、天幕の中で呟いた。

 「全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした」(民数記一四・一)。不信の声、落胆の声は勇気を与えない。そして、それは他の人に伝染する。不信と落胆は群衆に広がっていった。一〇人の族長の態度、言葉、行動は全会衆に大きな影響を与えた。  ペテロはイエス様を三度否定した。しかし、主はペテロをお捨てにならず、復活後ペテロにも現れてくださった。網も舟も捨ててイエス様に従ったペテロであったが、ヨハネ二一・三で「私は漁に行く」と言った。ペテロの言葉を聞いた他の弟子達はペテロについて行った。あなたの言葉や行動も他の人に影響を与える。

 聖書は真理の御言葉である。真理に触れたときに、あなたはどのように反応するのか。聖書はどのようにあなたに影響を与えるであろうか。自分の弱さと罪深さを悔い改めるであろうか。ステパノが神様のみ言葉を語ったとき、人々は反発し、ステパノを殺した。あなたは、真理に接したとき、どのような心を持つか。真理を語る者を殺さずとも、排除しようとするか。

 イスラエルの民は、約束の地に入るまでに四〇年間荒野を旅しなければならなかった。私たちも、「しかし」をいつ使うかによって、幸いな人生をおくることができるし、無駄な人生を送ることにもなる。

 モーセも、約束の地に入ることができなかった。呟く民にモーセは「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか」(民数記二〇・一〇)と言った。民に水をお与えになるのは、モーセではなく、神様であった。自分の力で生きることをやめよう。努力によって神様のお働きをすることをやめよう。疲れ果ててしまい、長続きしない。では、どうしたらよいのであろう。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい 」( Ⅱテモテ二・八)が答である。イエス様を思って、力をいただくのである。いつも、イエス様を思うことが必要である。 (続く)

PageTop

「違った心」(夏期キャンプの学びから)

 「ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者(もの)と違(ちが)った心(こころ)を持(も)っていて、わたしに従(したが)い通(とお)したので、わたしは彼(かれ)が行(い)って来(き)た地(ち)に彼を導(みちび)き入(い)れる。彼の子孫(しそん)はその地を所有(しょゆう)するようになる。」民数記一四章二四節

 今月二六日に山宮先生を講師としてお迎えします。礼拝と午後二時半からの集会でご用をしてくださいます。主イエス様に期待し、礼拝に愛する人人をおさそいしましょう。そして、午後集会に出席しましょう。

 今年の夏期キャンプで、山宮先生は首記の御言葉からお話しくださいました。その時に、心に強く残ったところを皆様と分かち合いたいと思います。

 カナンを偵察するために、各部族の族長が派遣されました。「その地がどんなであるか、そこに住(す)んでいる民(たみ)が強(つよ)いか弱(よわ)いか、あるいは少(すく)ないか多(おお)いかを調(しら)べなさい。また彼らが住んでいる土(と)地(ち)はどうか、それが良(よ)いか悪(わる)いか。彼らが住んでいる町(まち)々(まち)はどうか、それらは宿(しゆく)営(えい)かそれとも城(じよう)壁(へき)の町か。土地はどうか、それは肥(こ)えているか、やせているか。そこには木(き)があるか、ないかを調べなさい」(民数記一三・一八~二〇)との命を受けて派遣されました。

 四〇日が経ち、族長たちは戻ってきました。一二人の内、一〇人は「(約(やく)束(そく)の地は)まことに乳(ちち)と蜜(みつ)が流(なが)れています。そしてこれがそこのくだものです。しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非(ひ)常(じよう)に大(おお)きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました。…私たちはあの民のところに攻(せ)め上(のぼ)れない。あの民は私たちより強いから」(民数記一三・二七、二八、三一)と言って、民の心をくじきました。

 カレブともう一人だけが、「私たちが巡(めぐ)り歩(ある)いて探(さぐ)った地は、すばらしく良い地だった。もし、私たちが主(しゆ)の御(み)心(こころ)にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下(くだ)さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人(ひと)々(びと)を恐(おそ)れてはならない。…主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない」(民数記一四・七~九)と言いました。

 カレブは他の人とは「違った心」を持っていました。違った心とは、第一に、目に見える状況よりも神様のお言葉を信じる心です。第二に、常識を越える心です。第三に、自分の願いや感情を越えて、神様のお心に従う心です。カレブの場合、神様を信じなかった人々と決別せず、彼らと共に歩み続け、約束の地に入るまで四〇年間待つということでした。カレブはこの「違った心」を持ち続け、神様に従い通しました。(続く) キャンプのDVD(貸出用)あります。

PageTop