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習志野バプテスト教会の週報

新年の決心(英語バイブルタイム翻訳)

 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人(ひと)は新(あたら)しく造(つく)られた者(もの)です。古(ふる)いものは過(す)ぎ去(さ)って、見(み)よ、すべてが新しくなりました。」 Ⅱコリント五章一七節
 
 この年の終わりも、過ぎ去ったことやこれから始まる新しいことを考える時となりました。古い年が去り、新しい年が始まろうとしています。過ぎ去ったことで覚えておきたいこともあれば、忘れたいこともあります。新しい年が楽しみです。どのような年になるでしょうか。もちろん楽しい時、悲しい時、驚(おどろ)きの時(とき)、落(お)ち込(こ)む時(とき)、そして祝(しゆく)福(ふく)の時があるでしょう。

 あなたは何か「新年の決心」をされましたか。私は昨年もいくつか「決心」をしました。そのうち数週間続いただけのものもありましたが、二つの「決心」は一年間継(けい)続(ぞく)して守れました。一つは、聖書を通(つう)読(どく)することでした。驚くかもしれませんが、もう一つの決心は、寝る前に汚(よご)れた食器を洗うことでした。私は「すぐに止(や)める人」にはなりたくありません。聖書通読と食器洗いを三六五日、毎日続けられたのは、「神様が助けてくださった」ことと感謝しています。

 アメリカ人はよく「新しいリーフをめくる」という表現をします。ここでいう「リーフ」は木(き)の葉(は)っぱではなく、「本のページ」、「ノートのページ」という意味です。あなたがすでに何かを書き込んでいる「ノートのページ」はもしかしたら間(ま)違(ちが)いだらけで、整(せい)理(り)されていず、きれいに書かれていないかもしれません。でもあなたが「新しいページをめくる」とき、そのページはきれいで、白いのです。「私は新しいページをめくります」というとき、その人はフレッシュなスタートを切ろうとしており、「より良(よ)い人」を目(め)指(ざ)して変(か)わろうと努(ど)力(りよく)していることを意味します。

 しかし、もしその人の心が変えられなければ「より良い人」になることは不(ふ)可(か)能(のう)です。「より良い人」になるという決心を自分の力で成しとげることはできないのです。新しくて、きれいな白い「ページ」は昔のページと同じようにすぐに間違いと乱(らん)雑(ざつ)さと汚(よご)れで一(いつ)杯(ぱい)になるのです。今回の聖書箇所には「あなたがキリストを信じるとき、新しく造り変えられる」とあります。キリストだけがあなたの罪(つみ)をお赦(ゆる)しになり、救(すく)ってくださり、そしてきれいな新しい心を与えてくださるのです。あなたの古い心、古い罪、古い過(あやま)ちはすべて赦され、神様はそのことを二度と思い出されないのです。それは全て過ぎ去ってしまったのです。

 もしあなたがイエス・キリストを救(すく)い主(ぬし)として受け入れ、きれいな心で始めるならば、新しい年は素(す)晴(ば)らしい年となるでしょう。今日、あなたの心を神様に明(あ)け渡(わた)しませんか。(マーサ・カクラン宣教師)

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神様の贈りもの(英語バイブルタイム翻訳)

 「あなたがたは、恵(めぐ)みのゆえに、信(しん)仰(こう)によって救(すく)われたのです。それは、自(じ)分(ぶん)自(じ)身(しん)から出(で)たことではなく、神(かみ)からの賜(たま)物(もの)です。行(おこ)ないによるのではありません。だれも誇(ほこ)ることのないためです。」エペソ二・八~九

毎年、何処(どこ)の国のクリスチャンも、イエス・キリストの誕(たん)生(じよう)をお祝(いわ)いする日、クリスマスを楽しみにしています。私たちがクリスマスについて考える時、エペソ書二章のこの御言葉を思い起こして欲しいのです。

アメリカでは、誰(だれ)もがクリスマスには子(こ)供(ども)に戻(もど)ると言われています。大人(おとな)さえ、美しいデコレーションを見ると、子供のようにはしゃいでしまいます。私も同じで、家(いえ)中(じゆう)をデコレーションで飾(かざ)ります。私の背(せ)丈(たけ)より高いクリスマスツリーを置(お)きます。クリスマスシーズンの間、郵便配達の方が来るのを楽しみにします。クリスマスカードやプレゼントがあるか、わくわくします。私の妹からのプレゼントはいつも最初に届きます。次に両親から届きます。弟からのプレゼントは一月中旬までは届きません。

誰でも、プレゼントは大好きです。プレゼントについて考えてみましょう。あなたの友人が、クリスマスプレゼントをもってあなたの所に来ていると想(そう)像(ぞう)してください。「お金を払(はら)いましょう」とか、「何かしましょう」とか言いますか。本当の贈り物は無(む)料(りよう)で、条(じよう)件(けん)付(つ)きではありません。無条件ということは、お金、労(ろう)働(どう)、義(ぎ)務(む)といった「対(たい)価(か)」は関(かん)係(けい)していないことを意味します。プレゼントをもらう時、「ありがとう」と言いますか。あなたは手を差(さ)しだし、贈り物を受け取り、「ありがとう」と言うことでしょう。

私たちの罪(つみ)の身(み)代(が)わりになって十(じゆう)字(じ)架(か)の上(うえ)で死(し)ぬ為(ため)に、イエス・キリストはこの地上にこられました。イエス・キリストが幼(おさな)子(ご)として、ベツレヘムに生まれたのは、あなたに代わって十字架の上で死ぬためでした。救いは、あなたへのプレゼントです。イエス・キリストご自身が代(だい)価(か)を支払ってくださいました。あなたは救いを無料でいただけるのです。良(よ)い行(おこな)いによって救いを手にすることはできません。私たちが、心を開(ひら)いてプレゼントを受け取り、「ありがとうございます」と言うことを、イエス様は望(のぞ)んでいらっしゃるのです。

日本でも、街(まち)やお店で、サンタ・クロース、クリスマス・ツリー、その他クリスマスの飾りを見、クリスマスの音楽を聞きます。しかし、イエス・キリストがお与えくださるプレゼントについては聞く機(き)会(かい)が皆(かい)無(む)でしょう。教会にいらっしゃり、イエス・キリストがお与えくださる、罪の罰(ばつ)からの救い、永(えい)遠(えん)のいのちをあなたも受け取りませんか。(カクラン宣教師)

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地上に下ってこられたキリスト(EBT翻訳)

 私は今、難しいことをしています。約二週間後、私は引っ越します。カーペットを全部外して、クリーニングに出しました。これまで過ごしてきたこの場所ともお別れだと思うと悲しくなります。これまで暮らしてきたどの家にも愛(あい)着(ちやく)があって、引(ひつ)越(こし)をする時はいつもつらいです。一五年前に岐(ぎ)阜(ふ)の家を出るときも同じ気持ちでした。荷物を移動していましたので、岐阜の家で過ごす最後の晩は、寝(しん)具(ぐ)以外何もない所に寝(ね)ました。私はどうしても最後の晩をそこで過ごしたかったのです。朝、目がさめて、家の中を見ながら、泣きたくなりました。四年間、幸いな時を過ごした家でした。今、流山で同じ気持ちになっています。色々な思い出が一杯あるこの家に別れを告げるのは大変です。楽しい思い出が一杯あるのです。

 天国にあるご自分の住まいからこの地上にいらっしゃることが、イエス様にとってどれほど大変なことであったか考えたことがありますか。以前、少しですが、天国についてこのバイブル・タイムでもお話しました。天国のすばらしさを人間の言葉で説明するのは不可能です。イエス様は、金(きん)の道がある素晴らしいお住まいを離れて、飼(か)い葉(ば)おけでお生まれになり、謙(けん)遜(そん)な大(だい)工(く)の家で育てられました。イエス様は罪(つみ)のない天国から、罪に満ちた地上においでになったのです。イエス様は礼(れい)拝(はい)をお受(う)けになり、崇(あが)められ、従(じゆう)順(じゆん)と愛をお受けになっていたところから、イエス様を拒(こば)むところにおいでになりました。栄(えい)光(こう)に満(み)ちた御(み)座(ざ)と王(おう)冠(かん)を残して、あなたや私のために十字架の上で死ぬためにおいでくださったのです。イエス様が天国から地上へいらっしゃることは、私の引越を含め、どんな人の引越よりも大変であったはずです。

 しかし、イエス様は私たちを愛する故に、おいでくださったのです。すばらしいところである天国に、私たちも行くことができるように、イエス様は私たちが受けるべき罰を十字架の上でお受けくださったのです。私たちが天国へ行く方法は、イエス・キリストを信じる以外にありません。「あなたがたは、私たちの主(しゆ)イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」(Ⅱコリント八・九)。

 
 私は日本内だけで、五ヶ所で生活をしてきました。毎回、新しい住まいは以前のところよりも良いところでした。しかし、イエス様が私のためにしてくださったことの故に、そして、私はイエス様を救い主として信じている故に、天国にある最も美しい家が私の帰りを待ってくれています。イエス様は富んでいらっしゃいましたが、私のために貧しくなられました。天国にある住まい、未来、導き、守り、愛、赦(ゆる)しなど、私はすべての宝を手にしています。あなたはいかがですか。この地上の命を終えるとき、あなたは天国に行くことができますか。(カクラン宣教師)

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嗣業の地を手にするために一致が必要(三)

 二〇一七年夏期キャンプのメッセージ(山宮先生)の四回目です。第二集会メッセージの最後です。

 「しかし、あなたがたは登って行こうとせず、あなたがたの神、主の命令に逆らった。」申命記一・二六

 夫婦でも一つ心を持つことは難しい。親子の場合は、もっと難しいかもしれない。しかし、あなたがイエス様をいつも思っているなら、一致のために必要な恵みが与えられる。教会も一つ心に必ずあわせられる。

 「わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。…またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです」(ヨハネ一七・一一、二二)。イエス・キリストにあって、教会は一つとなれる。「 平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい」(エペソ四・三)と命じられているが、自分の努力ではできない。「…ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい 」( Ⅱテモテ二・八)である。毎日、着物を着るように、いつもイエス様を思っていよう。

 「…あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており…」(ピリピ一・二七)。「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし…」(使徒二・四六)。私達も毎週教会に集まり、心を一つにして神様を礼拝しよう。 ヨシュアとカレブの忍耐は大変であった。もし、彼らの心の中に、神様を信じきれなかった者たちに対する苦々しい思いがあったら、四〇年も共に歩むことはできなかったであろう。あなたの心はどうであろう。他の信徒や牧師に対して、神様に対して、苦々しい思いを持っていないであろうか。これも自分の力、努力では解決できない。イエス様をいつも思う必要がある。

 「多くの聖徒の中にキリストを見ようとした。そのフィルターが妨げになって、キリストを見れなかった。私は、イエス様を通して人を見るべきであった」。教会を長年離れていた方が、主に立ち返った時の言葉である。他人を見ず、自分を見ず、イエス様をいつも見よう。自分の努力で一致は生まれない。神様の助けをいただいて、霊の一致を祈ろう。教会の一致を妨げているのは自分ではないか確認しよう。必要なら悔い改めて、一致できるように神様に恵みを求めよう。あなたは神様と一致しているだろうか。相手が未信者であったとしても、信仰以外のことで、夫婦や親子の間で、一致しようとしているだろうか。

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