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習志野バプテスト教会の週報

聖歌総合版 六八八番 悩み多きうき世を

一、悩(なや)み多き浮世(うきよ)を去りて あまつ我(わ)が家(や)に  
  主(しゆ)をば拝(はい)しまつらば いかに我(われ)の幸(さち)なる
(コーラス * )その時 我が身の誉(ほまれ)や いかならん
 主をば拝しまつらば 我が誉(ほまれ) ああ、いかならん
二、君(きみ)の愛と恵(めぐみ)に 我もきよき身(み)となり 
  主をば拝しまつらば いかに我の幸なる (*)
三、友と王にまさりて さらに切(せつ)に待つなり
主をば拝しまつらば いかに我の幸なる (*)
 (チャールズ・ガブリエル作詞・作曲)

 一八九九年のこと、チャールズはシカゴの出版者E・О・エクセル氏に一一曲の楽譜(がくふ)を送りました。作曲家にとっての危機(きき)は、お金が必要ということでした。エクセル氏はこれまでにもチャールズから曲を買っていました。一曲一ドルから三ドルでした。当時の週給は平均五ドルでしたので、エクセル氏の買値(かいね)は悪くありませんでした。エクセル氏が複数の曲を買ってくれるように、チャールズは多くの曲を一度に送りました。「どの曲も一ドルでよいので、多く買ってください」との願いをこめていました。エクセル氏は受け取った一一曲に目を通しました。最後の曲は黒い音符(おんぷ)が多すぎて、使えないと思いました。一〇ドルの小切手(こぎつて)と一一曲目の楽譜が送られてきたので、チャールズはとても喜びました。エクセル氏が買った一〇曲については誰も知りません。しかし、その時に残った曲が今日の曲であり、世界中の教会で賛美されています。

 後に、チャールズ・ガブリエル氏はこの歌を書くきっかけをくれた人について証(あかし)をしています。エド・カードという人で、セント・ルイスでサンシャイン・レスキュー・ミッションをしていました。エドの生活はキリストに出会ってから劇的(げきてき)に変わりました。不機嫌(ふきげん)で、生気(せいき)がなく、執念深(しゆうねんぶか)い人であったのに、イエス・キリストの福音(ふくいん)の力と愛によって、エドの生涯(しようがい)は変わり、輝きを増していきました。エドの友人たちは、エドの変化、表情の輝きに気づきました。エドにとって、「神様のご栄光」という言葉が最も大切なものになりました。エド・カードは、「栄光に満ちた年寄(としよ)りの顔(かお)」として知られるようになりました。

 イエス様によって変えられた自分の人生がチャールズ・ガブリエル氏にこの歌を書くきっかけを与えたのですが、エドはこの曲が多くの人々に愛され、歌われるのを見るまで命が与えられ、神様に感謝しました。
 「わが生涯はあらたまりぬ」(四七五)、「一羽の雀に」(勝利の歌Ⅰ七〇)はガブリエル氏の作曲です。
("AL SMITH'S Treasury of hymn histories" アルフレッド・スミス著の要約)

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主は生く(勝利の歌Ⅰ 八〇番)

一、甦(よみがえ)りし主(しゆ) 今(いま)世にあり よしや世の人 何を言うも 恵みの御手(みて)と御声(みこえ)をもて 常(つね)に親(した)しくまします(コーラス)

 見よ 主は今 生き給(たも)う 我(われ)と もの語(かた)り 共に歩む 見よ 主は今 生き給う 何処(いずこ)にと問わば 我(わ)が心に

二、喜び歌え 声をあげて とこしえの主(しゆ)を褒(ほ)め称(たた)えよ
 呼(よ)ばば応(こた)えて 助(たす)け給う 実(げ)に類(たぐい)なき主(しゆ)の愛

 一九三二年イースターの朝、カリフォルニア州にある長老教会牧師アルフレッド・アックレイ師は、ラジオを聴(き)きながら教会に行く準備をしていた。当時ラジオは最大の情報源であった。地元に関する番組を聞いていると、急にアナウンサーが「これからニューヨークで行われる赤と青(現NBCとABC)放送局の特別番組をお伝えします」と言った。特番の講演者は自由主義で知られるニューヨーク出身の有名な説教者であった。「お早うございます。今日は復活祭です。皆さんご存知のように、キリストが甦(よみがえ)られたかどうか、私にとってどうでもよいことです。イエスのお体はパレスチナのどこかにある墓(はか)の中で、すでに塵(ちり)と化しているでしょう。私にとっての関心事は、イエスの真理は人々に影響を与え続けるということです」と話した。アックレイ師は「それは、うそだ」と叫(さけ)んだ。

 アックレイ師が私に語ってくださったことである。何の役にも立たないこの説教者の「キリストが甦られたかどうかは何の意味もない」との言葉が心に残り、そのイースター礼拝では、これまでになく熱く説教した。それから数週間、ユダヤ人の青年と関わりをもった。「なぜ、私たちは死んだユダヤ人を礼拝しなければならないのか」と言うのだ。私は「それこそ重大な点で、イエスは死んで終わりではなく、今も生きておられる」と答えた。

 偽りの説教者は、初代教会に力を与えてきた復活の力を一撃(いちげき)で破壊(はかい)しようとした。多くの人は復活なさったイエス様のために命をかけてきたのである。キリストの復活とその説教者の偽りについて、夕拝でも説教した。しかし、伝えたかったことの一部であった。妻は、「今こそ、できることは何でもすべき時です。主の復活について歌を作ったらどうですか。

 心も軽くなり、復活の事実を人々に伝える働きとなるでしょう」と言った。私は書斎に行き、復活の記事をもう一度読んだ。「あの方はよみがえられました。ここにはおられません」(マルコ一六・六)。私の魂は震えた。栄光に満ちたこの時の経験は忘れられない。復活の主が、この時も、共にいてくださるという事実を考えていると、次々に相応(ふさわ)しい言葉が与えられ、短時間で詞を書き終えた。復活の主に対する思いが、それぞれの章節にぴたりとおさまった。ピアノの前に座ると、コーラスの言葉とメロディーもすぐに与えられた。(アルフレッド・スミス著からの要約)

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われいのちを(聖歌総合版一一一番)

一、我(われ)命(いのち)を汝(なれ)に与え  血に 汝(な)が身を 清く為(な)して
 死と黄泉(よみ)の手より汝(なれ)を解きぬ 如何(いか)なる物もて汝(なれ)応(こた)えし
二、我は父の神の許(もと)を去りて 暗き地に下れり
 栄えも位(くらい)も我(われ)捨てたり  何物(なにもの)を捨てて汝(なれ)応(こた)えし
三、汝(な)が罪(つみ)ゆえ我は打たれ  汝(な)が不義(ふぎ)ゆえ我砕(くだ)かる
 十字架の悩みは汝(な)が為なり 如何なる事もて汝(な)れ応(こた)えし
四、全(また)き救い 愛と赦(ゆる)し 我は買いて 汝(な)が物とす
 この良き賜物(たまもの)受けし汝(なれ)は 如何(いか)なる応(こた)えを我に為(な)すや(フランシス・ハヴァーガル作詞、P・ブリス作曲)

 「また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」  Ⅱコリント五・一五

 「もっとも美しい賛美の歌声」とも言われるフランシス・R・ハヴァーガルは、一八三六年一二月一四日、英国ウスターシャー州アストリーに生まれた。イングランド教会牧師ウィリアム・ヘンリー・ハヴァーガル師の末っ子であった。彼もまた、有名な詩人であり、教会音楽家であった。フランシスは、その生来(せいらい)の才能に加えて、語学と音楽においても、徹底的な訓練を受けた。彼女は高等教育を受け、教養のある人であったが、主に対する単純な信仰と確信を持ち続けた人であった。彼女は祈ることなしに、詩を一行でも書くことがなかったと言われている。彼女の全生涯は、キリストを常に第一とする生活によって特徴づけられている。虚弱(きよじやく)な健康状態が常(つね)であったにもかかわらず、四三歳で召されるまで、意欲的で実り多い人生を送った。

 フランシスは、ドイツのデュッセルドルフで学ぶ機会があった。その町の美術館に、シュテルンベルクが描いた有名な「エッケ・ホモ」と題された、いばらの冠(かんむり)をかぶってピラトとユダヤの群衆の前に立たれるキリストの鮮烈(せんれつ)な肖像画(しようぞうが)が展示されている。その絵の下には、「わたしは、あなたのために、このようにしました。あなたは、わたしのために何をしますか」と記されている。

 この美術館を訪れ、この絵を見たフランシスは非常に感動した。その絵をかなりの時間見つめていた。彼女は、鉛筆(えんぴつ)を取り出し、メモ用紙にこの賛美歌の詩をあっという間に書き留めた。後に、彼女は英国の生家を訪れた際、その急いで書き留めた詩に再度注目した。しかし、その詩はあまりに拙(つたな)いと感じ、ストーブにその紙をくべた。しかし、その紙切れは、炎から床の上に転がり落ちたと言われている。そして、それを彼女の父が発見した。父親はその詩を残すように娘を励まし、その詩に最初の曲を作曲した。

 私たちが歌っている聖歌の曲は、米国の福音賛美歌作曲者フィリップ・P・ブリスによるものである。 ("101 HYMN STORIES by Kenneth W. Osbeck" の要約)

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私たちの主イエス・キリスト

 「聖(きよ)い御(み)霊(たま)によれば、死者の中からの復(ふつ)活(かつ)により、大能(たいのう)によって公(おおやけ)に神の御(み)子(こ)として示された方、私たちの主(しゆ)イエス・キリストです。」  ローマ一章四節

 私たちの主イエス・キリストについて考えましょう。数字だけの聖書箇所は全てローマ人への手紙からです。

一、死者の中から復活なさったお方

 ア、死なれた
  ①完全な人であられた(一・三)。
  ②罪のないお方は、私たちへの愛をお示しになっ   て(五・八)、罪人である私たちの身代わりと   して死なれたのである(八・三、一四・一五)。

 イ、死からよみがえられた
  ①肉体をもってよみがえられた。幻ではなかった。
  ②死の力によって支配されなかった。死の力をも   つ悪魔を滅(ほろ)ぼされた(へブル二・一四)。再び   死なれることもなかった(六・九)。

  ①イエス・キリストを信じる者の体をもよみがえ   らせてくださる(八・一一)。
  ④復活なさり、生きておられるキリストは、信者   のためにとりなしてくださる(八・三四)。

二、大能によって公に神の御子として示されたお方

 ア、神様の大きなお力によってのみ復活が起こった
  ①他の人の身代わりとなって死ねる人はいない。   みな、自分の罪のために死ななければならない。
  ②死の力をもつ悪魔を滅ぼし、よみがえった人は   イエス・キリスト以外には誰もいない。

 イ、公に神の御子として示された
  ①全ての人が御子によって義と認められ、キリス   トの僕(しもべ)になれるよう招かれている。
  ②公に示された神の御子を、信じるか拒(きよ)絶(ぜつ)するか   決めなければならない。永(えい)遠(えん)の行き先が決まる。
  ③神の御子は、なだめの供(そな)え物(もの)であられるとも公   に示された(三・二五)。

三、私たちの主であるお方

 ア、私たちの主(しゆ)
  ①神の御子を「私の主」と呼ぶことができる。そ   れを、神様はお喜びくださる。
  ②私たちの主として、私たちを導き、励まし、助   けてくださる。
  ③すべての人の、唯一の主(一〇・一二)。

 イ、すべての人の主(支配者)であられる(九・五、  一一・三六)
  ①私たちを生かす支配者(五・一七)。
  ②義に満ちた支配者(五・二一、六・二二)。
  ③私たちは罪から解放されて、義の奴(ど)隷(れい)となった   (六・一八)。
  ④愛に満ちた支配者(八・三五~三七)。
  ⑤恵み深い支配者(一〇・一二)。
  ⑥死んだ人の主であり、生きている人の主であら   れる(一四・九)。

 首記の御言葉を黙(もく)想(そう)し、私たちの主イエス・キリストにお仕えしましょう。

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