FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(七)

「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから」 ローマ一・一

 この短い一節から、大変重要な救いの教理とクリスチャンの信仰生活について、いろいろと教えられます。神様は現代に生きる私たちに対しても、このローマ人への手紙を通してお語りくださり、日々必要な力、生きる糧(かて)をお与えくださいます。キリスト教信仰の土台と日々の生活で私たちがどのように神様と共に歩むことが出来るのか、人生の目当てと、日々の歩みに必要な神様の導きを求めていきましょう。

信仰は年をとってから求めればよい、といった考えが日本ではありますが、小さな子どもの時から神様のことをしっかりと心に信じ、受け入れなければならないと思います。かつて、日本は世界で一番安全な国の一つと言われましたが、現在はそうではありません。安全な国ではなくなってしまいました。日曜学校を通して、これまで以上に子どもたちへの伝道に力を入れていかなければなりません。アメリカの有名な伝道者、ドワイト・ムーディーは、児童伝道を大変熱心に行いましたが、集会ではあまり招きをしなかったようです。しかし、シカゴの大火災を経験し、「ああ、あの時、私はなぜイエス様を迎え入れるように招きをしなかったのか」と心に大きな悔いを残したと言われています。それ以後、ムーディー伝道者は、説教の後には必ず、招きをするようになったと言われています。

今から二千年程前、イエス様がおいでになった時代、イスラエルはローマの支配下にありました。第二次世界大戦後、私たち日本人もアメリカの支配下におかれ、自由を失った時代がありました。もし、ソ連に占領されていれば日本はどうなっていたでしょうか。アメリカに占領されたことは、現在の日本にとって感謝しきれないことだと思います。敗戦の経験がなければ、日本はぬるま湯につかったような状態から抜け出ることはなかったでしょう。戦争を経験した人が戦争当時のことをよく口にし、「もったいない」とよく言うのはなぜでしょうか。このことを理解しないと、大きな損失をこうむることでしょう。敗戦を経験した人たちから学ぶべきことが沢山あると思います。    (続く)

PageTop

ローマ人への手紙(六)

「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です」 ローマ一・一四

《負い目のある者》
パウロは「I am a debtor(アイム ア デター)」と言いました。英語の「debt(デツト)」は負債(ふさい)、借財(しやくざい)のことですから、「私は負債を負っている者です」という意味になります。簡単に言えば、「私は借金がある」という意味です。

仮に、私がある兄弟から百万円の借金があり、明日、耳をそろえて返さなければならないのに、手元にお金がないとします。その兄弟が向こうから来ます。私は挨拶(あいさつ)もそこそこに、恥(は)ずかしさのあまり、背を向けるようにして逃げて行くことでしょう。多額の借金があると、そういう負い目を感じるのです。パウロは当時の文化人と言われたギリシャ人に対しても、未開人に対しても、賢い者にも愚かな者に対しても、負い目がある、借財があると言ったのです。「イエス様を知らず、神様を知らない人達に対して、負い目がある。何とかしてこの借りた分をお返ししなければならない」という思いをパウロは持ったのです。

パウロは実際に借金をしたのでしょうか。借金はしていません。それにも関わらず彼は、まだ神様のことを知らず、救われていない人たちに、素晴らしいイエス様の愛と憐(あわ)れみを伝え、天地万物の創造主なる神様の恵みによって永遠の命を頂くことが出来るようにと、イエス様をのべ伝える責任があると言ったのです。

宣教師となって外国に行く先生たちも、パウロのような思いを持っているはずです。日本に宣教師としていらっしゃった先生たちは、「私はどうしても日本人に伝えなければならない神様の素晴らしい福音がある。人間を罪の滅びの中から救い出すためのイエス様のメッセージをお伝えしなければならない」という使命感を持っているのです。そういう意味で、宣教師は宣教地の人人に対して「私は重荷があります」と言います。重荷があるので、宣教師は、人人が救われるまで祈り、証を続けます。先に救われた者として、私たちも、滅びの中にいる人々のために祈り、負い目を負った者として、日々、イエス様の証をしようではありませんか。何とかして、一人でも多くの人に福音を伝えようではありませんか。(続く)

PageTop

ローマ人への手紙(五)

「福音(ふくいん)」は、旧約時代の預言者にとって、大きなテーマでした。

ローマ人への手紙を見ると、イエス・キリストこそ、福音の中心テーマであると分かります。キリスト教の影響(えいきよう)は、日本でも色々なところで見られます。その証拠(しようこ)に、歪(ゆが)められ、本来の意味から脱線した使い方ですが、「福音」という言葉が使われています。「肥満(ひまん)で悩(なや)む方、高脂血症(こうしけつしよう)で悩む方に福音!」「透(す)き通るような白い肌(はだ)になりたい人に福音!」はその例です。聖書が言う福音は、単なる良い知らせではなく、「神様が人類を救うためにお与えくださった良い知らせ」です。「良い知らせ」という言葉から言えば、日本人が使う「福音」でも悪くないのですが、聖書で言う「福音」は、救われるはずのない罪人(私たち)が、救われるという、すごく良い知らせなのです。ですから、日本人が使う「福音」と聖書が示す「福音」には全く違った意味合いがあるのです。

パウロはこの神の福音のために「選び出され」、この福音のために神様にお仕えするようになったのです。覚(おぼ)えていただきたい、大切なことは、「従う」ということと、信じる「信仰」ということです。

「従う」ことと「信仰」とは多くの場合、ぴったりとくっついた言葉です。私はイエス様を信じますと言う時、イエス様に従っていくことを表します。頭ではイエス様を信じると言っていながら、心では違うことを考え、別のことをしているならば、それは信仰の本来の姿ではありません。聖書を読み、神様に祈り、それぞれに豊かな祝福をいただいていきましょう。
この短い冒頭(ぼうとう)の聖句から教えられることは、イエス様を信じる者は、パウロのように、自(みずか)らを神様の僕(しもべ)として捧げ、「神様、あなたの御心のままに私をお使い下さい」と自分自身を明け渡すべきことです。この服従(ふくじゆう)する心こそが、祝福の第一歩です。

人間の親は、感情のおもむくままに子どもを叱(しか)ったり、殴(なぐ)ったり、あるいは追い出したりすることがあります。しかし、神様はそうではありません。私たちが奴隷のように、身を低くして神様にお仕えするなら、放蕩(ほうとう)息子を迎えた父親のように、神様は私たちをお迎えくださいます。御馳走(ごちそう)を作り、指輪をはめ、新しい靴(くつ)と衣服を着せてくださり、「私の息子よ」と大きな愛をもって私たちをお迎えくださるのです。(続く)

PageTop

ローマ人への手紙(三)

私たちは、何事をも「イエス様と私との関係」で考える必要があります。

イエス様の救いを頂いたあと、私たちは、神様の奴隷(どれい)として生きているでしょうか。自らを全て明け渡しているでしょうか。それとも、自分の生活が楽になるように、あるいは、自分の経済的な必要を満たしてもらうために、神様を利用しているのでしょうか。

苦しい時には、「イエス様、助けてください」と叫ぶのに、普段の生活では神様のことを忘れていないでしょうか。給料をもらうと、「新しい背広(せびろ)が必要だ。家賃、自動車、…の支払いもしなくては。教会の献金? 余裕(よゆう)ができたらしよう」となっていないでしょうか。もし、そのように考えているのなら、あなたはイエス・キリストの奴隷ではありません。キリストを自分の奴隷としているのです。自分の初穂(はつほ)を、先(ま)ず、神様に捧(ささ)げることが、クリスチャンとしてのあるべき姿です。自分のお金、時間、健康、そして、才能など全てを神様に捧げることが、使徒パウロにとっての信仰者としての基本でした。

《選び出され、使徒として召されたもの》
 単に選ばれただけではなく、選び出された(分けられた)ということに重要な意味があります。パリサイ人のもともとの意味は、「分離(ぶんり)した者」であると、聖書学者は言っています。

 パウロは神様に召されて使徒となり、異邦人(いほうじん)伝道を継続(けいぞく)していきました。パウロは、テント作りを辞(や)めませんでした。ある程度、自分の生活を面倒(めんどう)みてくれる人がそばにいるようになるまで、パウロは一生懸命に働いたのです。時間を見つけては、テントを作って生活の糧(かて)を得ていました。パウロは、必要を覚えるクリスチャンを助けるためにも働きました。「ええっ、パウロ先生が? そんな偉い伝道者がテントを作っていたのですか」と驚くかもしれません。また、テント作りは、現在のアルバイトの一つと想像するかもしれません。しかし、そうではありません。

 実はこの当時、テントを作るということは、かなりレベルの高い職業でした。パウロの時代、主(おも)に、学者達がテントを作っていたのです。当時、最高の学問を修(おさ)めた学者達が、生活の糧としてテントを作っていたのです。テントを作るためには、面積や傾斜(けいしや)等を計算し、強度も考えなければなりませんでした。また、当時のテントは大変高価な生地(きじ)や、獣(けもの)の皮を使ったので、学者たちの職業として最適であったと言われています。ですから、テント作りは、アルバイトの一つではなく、インテリの仕事であったと考えてよいのです。(続く)

PageTop