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習志野バプテスト教会の週報

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ローマ人への手紙(十二)

 「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。福音には神の義が啓示(けいじ)されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。

『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」       ローマ一章一四節~一七節

私たちは福音を伝えるときに、貧しい人に伝えなければという責任を感じてしまうものです。けれどもイエス様の福音はお金持ちのためにもあるということを覚えましょう。福音は、ギリシャ人にも、ギリシャ人以外にも、未開の人たちにも、すなわち全世界の人たちに有益なのです。

 アメリカに勉強に行った二年目の夏休み(一九六二年)、私はデトロイトのテンプル・バプテスト教会で研修を受けました。ビーチャム・ヴィック博士が牧会していらした教会です。そこで証しをする機会があり、その教会出身の若夫婦に招かれて、別の教会でも証しをすることになりました。その時に、一人の方から、隣(となり)に住んでいる日本人に証しをしてほしいとたのまれました。日曜日の午後、片道二時間以上かけてその家に出かけました。奥さんはカトリックの信者で、ご主人は無神論者でした。このご夫婦はハワイ生まれで、日本語は全然通じませんでした。この男性は、私が証しを終えて「イエス様を心にお迎えしませんか」と言うと、突然(とつぜん)怒って、台所に行って包丁を取り出し、「早く帰ってくれ。早く出て行かないと、お前を殺すぞ」と言いだしました。「私はマサチューセッツ工科大学を優秀な成績で卒業したんだ。イエス・キリストの福音、十字架を信じるだけで、人間が救われるはずがない。愚(おろ)かな人間ならともかく、M工科大で勉強したこの私が、そんな証しを信じるものか。早く帰れ」と言って私を追い出そうとしました。

 そこで、私は「申し訳ないですが一分だけ時間を下さい」といって祈りました。私が祈りはじめてほどなく、「祈るのをやめてください」というご主人の声が聞こえました。なんのことかわからず、目をあけてご主人を見ると、私の隣にきて膝(ひざ)をついて、「牧師さん、私のために祈ってください。私も救われたいんです!」と泣き出したのです。神様のみ言葉には力があります。 (続く)

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 ローマ人への手紙(八)

 戦争を経験した皆さんは、大変辛い思いをしたが、ある意味では、まれで貴重な体験をしたと、感謝することができるでしょう。もし、日本が戦争に勝っていたならば、私たちは果たして現在のように聖書の教えを耳にし、クリスチャンとして神様をほめたたえることができたでしょうか。辛い経験に対して感謝することは難しいです。しかし、人生を振り返ってみれば、つらい経験が後の人生や人生観に大きな影響を与えたことに気づきます。信仰によって、すべての経験を受け止めて見るならば、神様の大きな摂理と哀れみ深さに気づき、感謝の気持ちで一杯になります。

ローマは、様々な影響を人間の歴史にもたらしてきました。ローマ法(法律)やローマ字(英語のスペルで日本語のアイウエオを表す字)、ローマ数字(時計でみるローマの数字)など、色々な形で私たちはローマの影響を受けています。ローマについて、有名なことわざも語り継がれてきました。

「全ての道はローマに通じる(All roads lead to Rome.)」。この諺(ことわざ)には、歴史的背景があります。ローマはシーザーの権力のもとに、支配したいと思う国に向かって道を造りました。馬車、戦車、そして兵隊がその道を通っていき、急速に周辺地域を制圧していったのです。中国はイスラエルに向かって、山を崩し、谷に橋をかけ、一本の道を造っていると言われています。歴史学者や預言についての研究者が言うように、黙示録に記されている強大な国が、ハルマゲドンを舞台とする世界の大戦争に向けて道を整えているのかもしれません。聖書の預言は必ず成就します。

「全ての道はローマに通じる」という本来の意味は、目的達成には色々な道がある、という事です。このことは、クリスチャンの信仰生活と重大な関わりがあります。これと似た表現に「全ての道は山頂に通じる」があります。富士山に登ろうとすれば、御殿場口や吉田口があるように、全ての上り口は必ず山頂につながっている、というのです。ビリー・グラハム博士はある時から、「神様はこの世界に様々な宗教をお与えになっている。仏教、キリスト教、ユダヤ教など、どの道を通っても、頂点である神の国に着く」と言うようになりました。しかし、すべての道が神の国につながってはいないのです。神様が下さった天国への道は一つしかありません。イエス・キリストです。イエス様は「私が唯一の道です」(ヨハネ一四・六)と強調なさいました。イエス・キリストこそ父なる神様の御国に至る唯一の道です。イエス様が開いてくださった十字架の道以外に、人類の救いはないのです。日本人の間に広く広まった考え(「全ての道はローマに通じる」)によって、惑わされないでください。(続く)

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ローマ人への手紙(十一)

 「私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」ローマ一章一四~一七節

 クリスチャンにとって、大変重要な言葉が幾(いく)つも記されています。イエス・キリストの福音は救いに至らす神の力です。イエス・キリストの福音とは何でしょうか。それは、貧しさを持つ人々に対する神様からの救いのメッセージであり、また、お金持ちに対する、神様からの救いのメッセージでもあります。人間がこの地に蓄(たくわ)えることができる宝は、死後の世界にまでそれを背負っていくことは決してできません。どんなに高く、お金を積み上げたとしてもです。

中国人は、誰かが亡くなると、葬儀用に作ったニセ札(さつ)の束(たば)を弔(とむら)いのときに一緒に埋葬します。「このお金があるから、あなたはあの世に行っても安心できますよ」というのですが、それは、あくまでも人間が作った考え方です。神様の前には通用(つうよう)しません。

 以前、宣教調査で初めてシンガポールに行った時、シンガポールに大きな銀行を三つも持つ資産家の家に泊めてもらいました。彼は、かつての宗主国(そうしゆこく)イギリス政府から、男爵(だんしやく)という称号をもらった有名な銀行家でした。宣教師がその奥さん所有の一軒家を借りて伝道をしていたので、私はその銀行家の家に行き、夫人に出会ったのです。世界の高級車キャデラック、ロールスロイスなど、八台も庭に並んでいました。びっくりして「誰が乗るんですか」と聞くと「私と主人です」と言われました。この奥さんは話を続けて、「家には、たくさんの召使や雇い人がいます。また車もこんなにありますけれど、いちどきには車一台しか乗れませんものね」と言われました。私は、「どうしてこんなに、高級車をたくさん持つのですか」と尋ねると、彼女は「私は主人の愛が欲しいのです。夫は毎日『忙しい、忙しい』と家を空けるので、自分はたまらなくなって、次から次へと新しい車や物を買います。

でも、本当の満足はありません」と言われました。

 小さな伝道所の集まりでしたが、私もお話をしました。そのとき彼女は初めて、イエス・キリストの福音を聞き、「ああ私は自分が長い間求めていたものを手にしました。車やたくさんの召し使い、宝物に囲まれた住居ではなく、魂の救いが必要であったのです」と言ってイエス様を心に迎え入れたのです。(続く)

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ローマ人への手紙(十)

 『ローマの道』には、ローマ人への手紙だけで「全(すべ)ての人間は罪人であり、神の裁きが近づいているから早く悔い改めなければならない」という、人間の罪の状態から神様の赦しを求めて救いを頂くところまでが出てきます。ローマ人への手紙だけを使って誰(だれ)かをキリストに導くことができるわけです。そうは言うものの、人間は千差万別(せんさばんべつ)で個性(こせい)があります。私たちが聖書のあちらこちらに赤線を引いたり、しおりを入れて「今度『ローマの道』を使ってやってみよう」と一生懸命備えても、個人伝道の相手は上(うわ)の空で聞いてくれない、ということもあります。まずは、イエス様のことを伝えようとする相手がどのような心の痛み、悲しみを持っているかを聞くことです。その魂の必要に対して答えていく姿勢が大事です。

『ローマの道』の一例を記します。ローマ三・一〇に三・二三と記し、三・二三に五・一二のように記しておくと、個人伝道するときに助けとなります。

一、神様の御前に立つならば、人はみな罪人です
 「義人(ぎじん)はいない。一人もいない。」(三・一〇)
 「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けること ができず」(三・二三)

二、罪の代価(だいか)は死です
 「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が 世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべ ての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がっ たのと同様に」(五・一二)
 「罪の報酬(ほうしゆう)は死です。・・・」(六・二三)

三、キリストが身代わりに罰を受けてくださいました
 「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリス トが私たちのために死なれたことによって、神は私 たちに対するご自分の愛を明らかにしておられま  す」(五・八)

四、罪の赦(ゆる)しは神様からのプレゼントです
 「罪の報酬は死です。しかし神の賜物(たまもの)(ギフト)は、 私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちで す」(六・二三)

五、プレゼントは感謝して受け取るものです
 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」(一〇 ・一三)
 「人はだれも、律法を行うことによっては神の前に 義と認められないからです。・・・ 神の恵みにより、 キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義 と認められるからです」(三・二〇、二四)(続)

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ローマ人への手紙(九)

 「ローマは一日にしてならず(Rome was not built in a day.)」。ローマは一日で成り立ったのではありません。長い努力と積み重ねの結果、あの強大なローマ帝国ができあがったのです。救いは一瞬ですが、クリスチャンの人格は、一日では決して出来あがりません。イエス様を信じた瞬間に、すばらしい伝道者、宣教師のようにはなれないのです。毎日毎日、様々な痛みや苦しみ、悲しみを通して順々に信仰の高嶺(たかね)へとあがっていくのです。

「ローマにいるなら、ローマ人がやるようにやりなさい(When in Rome, do as the Romans do.)」。日本語では、「郷(ごう)に入(い)っては郷(ごう)に従え」です。私たちがクリスチャンとしての生き方をこの国で全うしようとすると、多くの戦いがあります。「日本は日本古来の宗教があるし、日本人の義理、人情があるではないか。クリスチャンであっても先祖崇拝(せんぞすうはい)をし、仏壇に手を合わせ、いろいろなお祭りに参加しなければいけない。郷にいれば、郷に従えだろう」と言われます。ある面では、「郷に入っては郷に従え」とは、人間生活の中で大変大事な事を教えています。しかし、私たちは情(じょう)に流されても、智(ち)(知性)に傾いてもいけないのです。情に竿(さお)をさせば流されてしまいます。信仰生活において大事な事は、神様の確かなお言葉に立脚(りつきやく)し、豊かな情感を育(はぐく)まれるということです。しかも、クリスチャンは理性的にといって頭ばかり使うのではなくて、心を学び合うことが大切です。信仰と希望と愛、この三つはクリスチャンにとって大変重要な要素ですが、愛は必ずしも理性ではありません。愛の情感は、イエス様があらわされた神の愛に通じるものです。クリスチャンは、愛情を持ち、しかもなお、神様のお言葉、ルール、原則(プリンスプル)に従って生活をするべきです。格言や諺(ことわざ)の中には、日々の歩みのヒントがあります。格言、諺(ことわざ)を昔の賢人の知恵として受け止めつつも、クリスチャンとしては日本人が培(つちか)ってきた習性(しゆうせい)、惰性(だせい)から脱却(だつきやく)しなければならないのです。

使徒パウロはローマ人にイエス様の福音を伝えました。ローマ人は実際的でした。ギリシャ人は「思想(しそう)」や「哲学(てつがく)」を重んじましたが、ローマ人は「実践(じつせん)」、すなわち、自ら体を動かすほうを重んじました。実践家は長考(ちようこう)するよりも「行動(こうどう)」します。行動派は手っ取り早く、何かをつかみたいと思うのです。キリスト教を手っ取り早く知りたいならば「ローマ人(びと)への手紙」をお薦(すす)めします。誰かをイエス様に導くためにも、「ローマ人への手紙」は効果的です。アメリカの有名な伝道者たちは“Roman's road(『ローマの道』)”といって、ローマ人への手紙の聖句を利用した個人伝道のヒントとなる本を書いています。(続く)

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ローマ人への手紙(八)

戦争を経験した皆さんは、大変辛い思いをしたが、ある意味では、まれで貴重な体験をしたと、感謝することができるでしょう。もし、日本が戦争に勝っていたならば、私たちは果たして現在のように聖書の教えを耳にし、クリスチャンとして神様をほめたたえることができたでしょうか。辛い経験に対して感謝することは難しいです。しかし、人生を振り返ってみれば、つらい経験が後の人生や人生観に大きな影響を与えたことに気づきます。信仰によって、すべての経験を受け止めて見るならば、神様の大きな摂理と哀れみ深さに気づき、感謝の気持ちで一杯になります。

ローマは、様々な影響を人間の歴史にもたらしてきました。ローマ法(法律)やローマ字(英語のスペルで日本語のアイウエオを表す字)、ローマ数字(時計でみるローマの数字)など、色々な形で私たちはローマの影響を受けています。ローマについて、有名なことわざも語り継がれてきました。

「全ての道はローマに通じる(All roads lead to Rome.)」。この諺(ことわざ)には、歴史的背景があります。ローマはシーザーの権力のもとに、支配したいと思う国に向かって道を造りました。馬車、戦車、そして兵隊がその道を通っていき、急速に周辺地域を制圧していったのです。中国はイスラエルに向かって、山を崩し、谷に橋をかけ、一本の道を造っていると言われています。歴史学者や預言についての研究者が言うように、黙示録に記されている強大な国が、ハルマゲドンを舞台とする世界の大戦争に向けて道を整えているのかもしれません。聖書の預言は必ず成就します。

「全ての道はローマに通じる」という本来の意味は、目的達成には色々な道がある、という事です。このことは、クリスチャンの信仰生活と重大な関わりがあります。これと似た表現に「全ての道は山頂に通じる」があります。富士山に登ろうとすれば、御殿場口や吉田口があるように、全ての上り口は必ず山頂につながっている、というのです。ビリー・グラハム博士はある時から、「神様はこの世界に様々な宗教をお与えになっている。仏教、キリスト教、ユダヤ教など、どの道を通っても、頂点である神の国に着く」と言うようになりました。しかし、すべての道が神の国につながってはいないのです。神様が下さった天国への道は一つしかありません。イエス・キリストです。イエス様は「私が唯一の道です」(ヨハネ一四・六)と強調なさいました。イエス・キリストこそ父なる神様の御国に至る唯一の道です。イエス様が開いてくださった十字架の道以外に、人類の救いはないのです。日本人の間に広く広まった考え(「全ての道はローマに通じる」)によって、惑わされないでください。(続く)

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