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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(十八)

人間の罪は、生命(いのち)の源(みなもと)である真の神様がいらっしゃるのに、そのことを認めないことです。神様は私たちに自然界を通して真の神、創造主がいらっしゃることを教えていらっしゃる。
 「天は神の栄光を語り告げ大空は御手のわざを告げ知らせる。」詩篇一九篇一節

 すべての人は、天の星、太陽を見つめて、創造主がいらっしゃることを知ることができます。色いろな品種のある花を例にとっても、人は繊細(せんさい)なものを作れません。生の花にしか、蜂はこないのです。人間は神が創造なさったものを見て、作っています。神様は自然界を通して、ご自分の存在を表わしておられます。

 「彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。彼らの良心(りようしん)も証ししていて、彼らの心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえするのです。」  ローマ二章一五節

 すべての人間は心のうちに良心が与えられています。
しかし、すべての民族が同じ基準で良心を持っているわけではありません。日本人には日本の社会に、外国人には外国の規律において良心があります。インドネシヤで伝道した宣教師が、「現地の人は、二つ持っている人から一つもらうことは当然と考えるため、お手伝いさんが色々なものをだまって持ち帰ってしまう」と教えてくれました。彼らは良心の痛みを感じないのです。良心は、教えられた社会の基盤にしたがって痛みを覚えるからです。「神様はいないぞ」と育てられていると、神様のことを聞いても無感動であり、無関心です。心の痛みも感じないことでしょう。

 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びもない』と言う年月が近づく前に。」  伝道之書一二章一節

 どの社会にいても、悪いことをすれば罰がくることを知っています。私たちは心にある良心のとがめを通しても、神様を知ることができます。神様はさらに第三の光を与えて下さいます。第三の啓示は、書かれた神の御心(みこころ)、聖書です。神様の求めていらっしゃる正義とは何か、そして人間はどういう存在なのかということを知らされます。人間は無関心の罪、偶像崇拝の罪、不道徳の罪を犯します。使徒パウロは、人間はよこしまな邪悪の心のために、神を認めようとしないと言っています。悪いことをする人は、光を好みません。光のもとに来ようとしないし、光に照らされることを喜びません。若ければ若いほど神様を信じやすいですが、年齢を重ねるにつれて、ごまかしたり、痛みを感じにくくなります(イザヤ書一章二~六節)。常に幼児のように神様を信じ、主に従いたいものです。(続く)

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ローマ人への手紙(十七)

「というのは、不義によって真理を阻(はば)んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示(けいじ)されているからです。」   ローマ一章一八節

 一八節以下には、イエス様を信じるきっかけとなった罪の問題が描(えが)かれています。「人はなぜ人を殺してはいけないのか、人はなぜ救われなければならないのか」。イエス様を裁(さば)いたピラトは、「真理とは何か」、「人間の生命とは何か。人間はなぜ裁きを受けなければならないのか」と問いかけています。

 「神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。」ローマ一章一九節

 子どもの頃、私の家には神棚(かみだな)、仏壇(ぶつだん)、荒神(こうじん)さまと、いくつもの偶像(ぐうぞう)が家の中に一緒にまつってありました。考えてみれば、おかしなものです。神道(しんとう)の教えに従って神棚に手を合わせる一方、仏壇に亡くなった人をまつるのです。仏教は神の存在を否定し、神道は神々の存在を肯定(こうてい)しています。一軒(いつけん)の家で生じている矛盾(むじゆん)に気づかないのです。日本の家庭は暗闇(くらやみ)の中にあると言えるでしょう。

 みなさんも、災い、病気などの時、しらずしらずのうちに何かに守られているのだな、何か目的があって、生かされているのだなと感じたことがあるでしょう。「目に見えない力を持つ方がいるに違いない」と。私の場合、そうしたことが、神様を求めるきっかけとなりました。青年時代は色いろと考えるし、誘惑もあります。たえず信仰について考えていたわけではありませんが、「生命とは何だろう。自分はなぜ生かされているのか」と考える時がありました。「もし超自然的な力を持つ神がいるなら、神の力を利用したい。ご利益を求めて神を利用したい」という思いにうなされることもありました。

 テレビである有名な学者が言いました。「世界をお治めになる全能の方を何かの形で認めることが、人間には必要である。認めなければ、世界は戦争の火で焼かれてしまう」と。日本人を含める多くの科学者は、「この世の中を救うためには、何らかの形で神を認めなければならない。人々は、殺りくに殺りくを繰り返す。やがて地球は滅んでしまう」と言っています。

 クリスチャンでない人は次のように言います。「もし神がいなければ、自分たちで神を作らなければならない」と。今から二〇年前の話です。これが科学者の出した答えであり、人々が世界平和を求めて考えた結論でした。しかし、人間が浅はかな知恵で、神々を作る必要はないのです。すでに神様は、一人一人に生命を与えてくださったのです。(続く)

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ローマ人への手紙(十六)

今は、まさに人間の手で人間をつくる時代なのでしょうか。何の規制もなければ、それはとうにあちこちで始まっているでしょう。こうしている間にも、医療に携(たずさ)わる学者(がくしゃ)の中に、邪(よこしま)な思いをもって、違法な実験をしている人がいないとは言えないでしょう。

 子どもが与えられない家族がいます。今、日本で人工的に産む場合は、保険適用外で、少なくとも一千万円かかるそうです。しかも、必ず子どもが与えられる保証はないのです。お金で人間の命が買えるでしょうか。イエス様は「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか」(マルコ八・三六)とおっしゃっています。

 ローマ一・一に「神の怒り」とありますが、神様は人間のように気分が悪いから怒るというお方ではありません。「神の怒り」とは、神様の正義をやぶり、しかも、神様の御名をふみにじる人たちへの、当然な事としての怒りを意味しています。人類が神様の真理を理解するように、神様は啓示(けいじ)をお与えくださいます。神様は私たちのために日々、様々な形(かたち)でご自身の存在をお教えくださっています。

 伝道の本来の意味は、「現在進行形」なのです。昔アブラハムに教えられたのではなく、今もずっと代々世界の人たちに対して、神様がいらっしゃることと、神様の真理をあらわし続けてくださっています。私たちは、神様から与えられているこの継続的な真理のときあかしを無視してはならないのです。

 「創世記の記述はその通りである」とアメリカの科学者の多くが、今、言っています。一方、日本の科学者は「聖書は神話で、愚(おろ)かな書物である」と言い、聖書の教えを無視しています。日米で医療や病院を比較すると、日本はアメリカより二〇年遅れていると言われています(研究のためにアメリカへ渡った現職の日本人医師の告白です)。

 私たちは、神様がくださった生命、生命の源を絶えず考え、神様の御前に何のために生き、どこへ行くのかを考え、聖書から学びとっていかなければなりません。人間は神様のお姿に象(かたど)られて作られたからです。子どもの頃、親に叱(しか)られると、「こんな家に生まれてくるんじゃなかった」と悪態(あくたい)をつき、「何でこんな家に」と、親にくってかかりませんでしたか。「どうせ生まれるなら、金持ちの家に」と、いかにも地上に出てくるのは自分が選んだからのような口答えをしたことがあるでしょう。

 大病を患(わずら)うと人間の生命(せいめい)の不思議(ふしぎ)を覚(おぼ)え、生命には持久力があると感じます。死ぬか生きるかの大きな病や怪我(けが)をした時、自分ではどうにもならない時に、「後は生命力や寿命があるかどうかです」という医者の言葉を遠くで聞きます。出来る事は全てやったという医者も、人間の体の不思議、生命力を感じているのでしょう。神様は、私達を地上に生かしてくださり、神の栄光を表わすように日々、生命をお与えくださっているのです。(続く)

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ローマ人への手紙(十五)

 「福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。というのは、不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」          ローマ一章一七~一八節
 
 ここ数年の間に、日本では様々な出来事、特に大変おそろしい、人を殺すというような事件が毎月起こっています。どこからこんな状況になってしまったのでしょうか。いつから日本はこのようにおそろしい国になってしまったのでしょうか。なげかざるをえません。

 その中にあって、子どもが子どもを殺す、他の人の命を奪(うば)うということが起こりました。子どもたちの場合、たとえ人を殺したとしても、日本の法律では刑罰(けいばつ)を受けることがないそうです。また、多くの人を殺傷(さつしよう)した人が、裁(さば)きを受けないですむように法律の本をいっしょうけんめい勉強して、犯罪者の姿をかくそうとしたことが、次々とわかってきました。

 罪を犯した少年たちを助けようと、多くの弁護士が努力しています。一人の子どもは、他の子どもを殺した後で「どうして人を殺してはいけないのか」と弁護士に質問をしたそうです。みなさんはその答えを持っていらっしゃるでしょうか。「どうして人間は人間を殺してはいけないのでしょうか」。みなさんも新聞でお読みになったことと思います。大変大きく取り上げられました。実は多くの法律家、あるいは社会の指導者たちが、人を殺してしまった少年の質問に答えることができなかったというのです。

 「法律で決まっているから人を殺してはいけない」。これは少年の、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いの答えになっていません。かつて、アイルランド共和国で武力騒動(ぶりよくそうどう)の中にいた人がイエス様の福音を聞き、変えられ、日本に宣教師としてやって来ました。その宣教師が、少年の単純な「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対する答えとして一冊の本を書きました。関西では大変有名になったそうです。書店に行けば、その本を目にするかもしれません。人はなぜ他の人を殺してはいけないのでしょうか。

 そこに実は、現在の日本人が見落としている重大な問題があると思うのです。同時にこの問いかけは今、世界的に拍車がかかっているようです。バイオケミカル、生体実験、遺伝子を操作するところの技術が発達しているからです。かつては考えられなかったことです。日本でも古くから牛の精子を冷凍保存して残しておき、優秀な牛の子孫を残していこうということがありました。今は、人間の卵子あるいは精子を冷凍保存して生ませようとすることが、産婦人科学会で認められたということが公表されました。(続く)

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