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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(二六)

 「神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥(なだ)めのささげ物として公(おおやけ)に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。

 すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。それでは、私たちの誇(ほこ)りはどこにあるのでしょうか。それは取り除かれました。どのような種類の律法によってでしょうか。行いの律法でしょうか。

 いいえ、信仰の律法によってです。人は律法の行いとは関わりなく、信仰によって義と認められると、私たちは考えているからです。それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人(いほうじん)の神でもあるのではないでしょうか。そうです。異邦人の神でもあります。神が唯一なら、そうです。

 神は、割礼のある者を信仰によって義と認め、割礼のない者も信仰によって義と認めてくださるのです。それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。決してそんなことはありません。むしろ、律法を確立することになります。」  ローマ三・二五~三一 

 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒一六・三一)とありますので、あなたが神様を信じているなら、周りの人たちに「あかし」を続けましょう。

 人間は一人で生きるものではありません。他の人たちに影響を与え、自分もまた影響されていきます。使徒パウロはそのことをここで教えているのです。何の良い行いも無くして神様の一方的な恵み、哀れみによってイエス・キリストの身代わりの死によって神様に受け入れられるのです。「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(伝道の書一二・一)と聖書に書かれています。どうか一人一人、イエス・キリストの所に立ち帰ってください。

 「愚(おろ)か者は心の中で『神はいない』と言う。彼らは腐っている。忌まわしい不正を行っている。善を行う者はいない。」詩篇五三・一

 「この世の中に神なんかいない」という人が多くいます。聖書にも「神はいない」と書かれてます。しかし、「愚か者は心の中で」そのように言う、と聖書は教えているのです。イエス・キリストをあなたの心にお迎えしましょう。(続く)

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ローマ人への手紙(二五)

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」ローマ三・二三~二四

 自分が、よい行いや多額の献金をしたからというのでも、ボランティア活動をしたからでもなく、神様の一方的な哀れみの中に、イエス・キリストが私たちの罪、汚れを背負って十字架にかかられ身代わりとして死んで下さったのです。

 私達があるがままで、イエス様にすがり、イエス様を心にお迎えするならば、神様は私達に「新しい良心」、「新しい尺度」を与えて下さいます。神様は新しい規律で私たちの心をご支配下さり、神様の喜ばれる人生を歩む事ができる様にして下さるということです。本来私は十字架につけられて死ななければいけない悪い人間、罪深い人間であるにも関わらず、「かわいそうな人間だ。私は彼を救い上げよう」という、神様の哀れみにより救われ、罪、汚れを洗い清めていただいたのです。神様の愛です。

 愛とは、何でもかんでも良いですよというのではありません。自分達が「神様ごめんなさい」とあやまる時、神さまの愛と赦しが与えられるのです。愛するということは、赦しも入るのです。

 愛は余分なものを排斥します。牧師宅の犬はこのよい例でしょう。飼い主とその家族以外には猛烈にほえ、他の人の言うことを聞きません。本来おとなしいはずのシェットランド・シープドックですが、私達夫婦と松山夫妻の四人のいうことしか聞かないのです。四人には忠実に従いますが他人は一切うけつけないのです。

 以前、タイ国を訪問した時、五分で行ける所にタクシーで一時間もかかった上、大金を支払わされました。タイで伝道している宣教師に話すと、東京でも同じだという答えが返ってきました。東京でも外国人が乗ったら大抵、一方通行だ、なんだかんだと言って遠回りをされる、というのです。宣教師が言うには、当時のタイには字の読めない人たち、自分の名前も書けない人たちが多くいました。しかし、そういう人たちの中に行って「人間は皆、罪人です。神さまから遠く離れている罪人です。」と言うと、「そうです。よくわかります。私たちは罪人です。」と答えたというのです。

 一番仏教の強い国、タイの人達でさえ罪とは何かをよくわかっています。この人達に必要なのは、正しい礼拝の対象、創造主なる神様なのです。(続く)

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教会創立五五周年にあたって(三)

ある宣教大会での丸山先生のメッセージから

 最後に信仰約束献金について説明します。私達の教会では毎年一月に無記名で、教会員は海外宣教のために信仰約束献金額を記帳します。会計も役員も、教会員のところに行って、「信仰約束献金で約束した分がまだ捧げられていません。早く捧げて下さい」とは決して催促をしません。信仰約束献金は、クリスチャン個人と神様との信仰に基づく約束だからです。それゆえに、無記名で記帳をして頂きます。神様のお力と、世界宣教に与(あずか)る恵みをそれぞれが経験します。

 パウロは次のように述べています。「このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示
してきたのです」(使徒行伝二〇・三五)。世界宣教のための信仰約束献金は、その一つの実践だと思います。

 「それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝(ひざ)をかがめ、すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰するためです」ピリピ二・一〇~一一

 「良い知らせを伝える人の足は、山々の上にあって、なんと美しいことか。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、『あなたの神は王であられる』とシオンに言う人の足は」イザヤ五二・七

 主イエス・キリストのために心が燃やされて、お仕えしていけるように祈りましょう。私たちのヴィジョンが更に大きくされ、失われた状態にある数多くの人々の叫び声をきくことができますように。そしてイエス・キリストの福音を全世界にのべ伝えることが出来るように、主にあってご奉仕を継続していこうではありませんか。

 アジア・インディペンデンツ・バプテスト・バイブル宣教大会の記録。

第一回大会、一九七八年、日本。
②一九七九年、韓国。
③一九八一年、台湾。
④一九八五年、フィリピン。
⑤一九八九年、シンガポール。
⑥一九九一年、日本。
⑦一九九二年、フィリピン。
⑧一九九三年、韓国。
⑨一九九五年、日本。
⑩一九九六年、フィリピン。
⑪一九九八年、韓国。
⑫二〇〇一年、フィリピン。
⑬二〇〇四年(環太平洋根本主義バプテスト大会❶と合同開催)、日本。
⑭❷二〇〇七年、シンガポール。
⑮❸二〇〇九年、セブ。
⑯❹二〇一一年、グアム島。
⑰❺二〇一三年、セブとマニラ。
⑱❻二〇一五年、シンガポール。
⑲❼二〇一七年、セブ

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