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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(四二)

「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。」      ローマ人への手紙五章一~二節

 「神との平和」ということを考える時、何度取り上げても尽きない豊かな御言葉(みことば)の宝、「貯水池」に思えますね。ずいぶん以前に、有名な伝道者ビリー・グラハムが『神との平和』という本を日本語で出版しました。

 当時はまだ、聖書信仰にたっていました。「神との平和」とは、日本人にとっては大変不思議な響きをもつ言葉だと思います。なぜなら、日本人にとって「神」とは、恐るべき存在、人間の世界をはるかに越えた人間を裁くもの、という感覚で受け止められているからです。

 全てのものをお造りになった創造主なる神は、初めの人=アダムとエバをお造りになりました。しかし、アダムもエバも神様の御言葉に逆らい不従順の罪を犯し、神様がしてはならないと言われたことをしてしまいました。また、神様を心から愛し従うべきことを守れず、不従順、不信仰の罪を犯してしまったのです。

 英語の世界ではよくsins of commision(してはいけないことをやってしまう罪)とsins of omission(しなければならないことをしない罪) と表現します。人間は神様の前にそれら両方の罪を犯してきたわけです。

 ローマ五・二をもう一度ご覧ください。以下の四つの大切な言葉がそこに記されています。

一、私たちは神様に近づくことができる
二、恵み
三、立つ
四、神を喜ぶ

 ローマ五・二、この一節の御言葉をひもといても、数回にわたる聖書の学びができるくらい、実は大変深い内容がある聖句なのです。

 「立つ」ということは、大変はっきりとした行動です。赤ちゃんは四つん這いでハイハイをし、あちこちにぶつかりながら、段々と物につかまって自分で立ち上がろうとします。立ってからは、二本の足で歩きます。なぞなぞで「初め四本足で歩き、次に二本足で歩き、最後に三本足で歩くのは何?」というのがあります。

 答えは「人間」です。赤ちゃんは四つ足で這って、若い時は二本の足で立ち、年をとってくると杖をつくので、三本の足で歩くというわけです。(続く)

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ローマ人への手紙(四一)

 パウロは「神が私たちとともにおられる」(マタイ一・二三)という真理をローマ人への手紙においては「神様との平和」と表現しました。神様は、いつも私たちと共にいて下さいます。どんな時であっても、寂しい夜道を歩く時にも、辛い人生の重荷を抱える時でも、「神が私たちとともにおられる」のです。さらにすばらしい聖書のお約束がローマ書にあります。

 「では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ八・三一)。世界中の誰も、神様を信じるあなたを打ち負かす事はできません。真っ暗なトンネルに入っていたとしても、神様を信じて、神様に従っていくならばどんなむずかしい問題も必ず解決の道が開けているのです。

 「高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」(ローマ八・三九)。時々、私はお母さんに抱かれている小さい子どもを「おじちゃんの所においで」とからかいます。はじめは「ウーン」とか言っていて私が無理矢理お母さんから引き離そうとすると「イヤッ!」と、お母さんにしがみついてしまうのです。同じように、誰も私たちを神様の愛から引き離すことはできません。

 子どもの場合でも自分の手でしがみつきます。私たちクリスチャンは、神様を信じればちゃんと神様が押さえて下さるのです。誰も、私たちを神様から引き離す事はできません。こんな素晴らしい神様の約束、平和の約束が与えられたのですから、賛美をしないではいられないと思うのです。

 かつて、アメリカの有名な伝道者ドワイト・ムーディという人がいました。彼は伝道集会の時に、いつもアイラ・サンキーという独唱者を伴って行きました。その頃、たくさん賛美歌を作った盲目の女性ファニー・クロスビーという人もいました。彼女は七一歳の高齢でしたが、ムーディ先生の集会に行って、その時ムーディ先生から讃美の証を頼まれ、短い時間で賛美を作り、みんなの前で証をしたそうです。会堂を埋め尽くした会衆は、彼女の賛美に涙したとのことです。

 それは、神様が私たち一人一人を愛して下さり、どのような悩み、苦しみの時にもいつもいて下さる、神様の安らぎを約束した歌でした。総合聖歌六八九番「いつかは『さらば』と」です。ムーディ先生は、しばしば、伝道集会や他の集会の時に、聖歌隊にこの歌をはじめに歌ってもらい、会衆にはおりかえしの部分、「み顔を拝して我は告げまつらん。恵みにわが身も贖(あがな)われたりと。」という部分を歌ってもらったということです。(続く)

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ローマ人への手紙(四〇)

 旧約聖書に出てくるダニエルという人物は、朝、昼、夕と一日に三回、神様に向かって祈りをささげました。私たちは、回数、時間の長さではなく、いつも神様と親しい交わりをいただき、神様とお話をするということが大事なのです。

 私たちも六〇歳を超えると、段々と記憶力が衰えてきます。私のもともとの職業は英会話の指導で、もう五〇年以上、英会話を教えてきました。それが、年をとるに従って口が重くなり、言いたい言葉が出てこなくなりました。そのために毎日三〇分、声に出して英語の本を読み、絶えず表現の向上に努(つと)めています。

 もし、皆さんが学校で勉強をなさっているならば、特別に時間がとれないという時には、習っている外国語で祈ると一石二鳥で、記憶をリフレッシュし、神様とお話ができます。私は歩きながらでも、英語を口にして神様に祈ります。絶えず神様と交わりを持つようになり、神様の祝福を感謝することができるのです。

 「神様との平和」、それは修道院に入ってしまうとか、人生に何のトラブルもないという生き方ではありません。神様との平和は、第一に、神様との正しい関係ができることです。二番目に、私たちは最早(もはや)、神様と遠く離れていないという聖書を通しての確信です。

 最近の若い人たちがうらやましいです。今から五〇年前にEメールというものがあったなら、多分、私は夢中になってそれを使ったことでしょう。今では、Eメールと聞くと身震いし、Eメールが何か獣(けもの)に見えます。世界中に同じ文章が瞬時に届いてしまうのです。私にはEメールよりも、ADSLよりももっと速い通信方法がありますが・・・。

 神様に祈り始めると、神様はちゃんと聞いてくださいます。こんな速い方法はありません。いちいちボタンを押さなくてもよく、「神様・・・。」と祈り始めるなら、ちゃんと神様は聞いてくださるし、お答えもすぐにいただけます。

 先週もいくつか嫌な事がありました。牧師の世界には皆さんに言うことのできない、嫌なことや辛い事があります。当然、皆さんにも、会社や、事業を営んでいれば事業の中で言うことのできないトラブルがあるでしょう。でも、それをずっと持ち越すのではなく、神様に祈りで訴え、神様に解決をお願いし、そして、神様から力を頂くのです。私たちは神様との平和を土台として祝福を頂きます。神様との平和、それは、イエス様が御誕生になった時の御使いの言葉(マタイ一・二三)を私たちに思い起こさせます。「『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』それは、訳すと『神が私たちとともにおられる』という意味である」。(続く)

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