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習志野バプテスト教会の週報

ローマ人への手紙(一一二)

 決して、石原都知事のまねをして、外国人は危険な存在と言っているわけではありません。しかし、以前、松山牧師たちも、荷物を預けていた成田の家を壊され、電化製品をはじめ、その中の金目の物だけ盗まれました。警察の話では、外国人がこの辺りを荒らしまわっていて、中には人の家に住み込んでしまっている外国人もいる、というのです。


 これほど無防備な国において、戦う、血を流すということを最も反対し、平和な暮らしを求めるクリスチャンたちの命を、マスコミは狙っているのです。そのことに漫然として、言われっ放しでいい、それが愛の行為だと言うクリスチャンの態度は、何とかしなくてはいけないと思います。本当にイエス様を愛し、イエス様にすべてを捧げたのであるならば、自分が犠牲になったとしても、真理のために立ち上がらなくてはいけない、と思うからです。


 日本の国内にいる聖書信仰の立場にたつ、バイブル・バプテストを含む諸教会にあてて百通以上の手紙を出しましたが、数人の先生からご連絡を頂いただけで、あとはなし(・・)の(・)つぶて(・・・)でした。


 ほぼ同時期に、アメリカの国際ファンダメンタル・バプテスト・フェロシップの責任者兼牧師である方にお手紙を差し上げました。早速、この先生から、読売新聞にあてた抗議のファックスの写しが私のところに送られてきました。その直後、ボブ・ジョウンズ大学総長のジョウンズⅢ世博士からもお返事をいただきました。「日本のために祈っています。先生から頂いた日本の状況は、まさに私たちが一番恐れていたことであり、チャペルでこの問題をぜひ話したい。」とのことでした。ジョウンズ博士も、読売新聞に抗議の手紙をすぐに出してくださったのです。


 その翌日、読売新聞夕刊に、大きく記事が出ました。驚くべきことに、キリスト教の牧師からの反対の声でした。「クリスチャンは敵を愛せと言われているではないか。右の頬を打たれたら左の頬を出せと言われているではないか。そういった憎しみをもって発言するマスコミに対して、愛の行為を示しなさい。」というのです。これは、イエス様の教えを全く理解していない姿であると思います。


イエス様は、一度も怒らなかったでしょうか。福音書を見ると、人々を間違った方向に引きずっていくパリサイ人、律法学者をイエス様は激しく怒り、彼らを裁かれました。神殿の前で、商売をしている両替商や悪徳商人たちをむち(・・)で追い払われました。こうしたイエス様の怒りは、決して忘れてはいけない、クリスチャンのあるべき姿を教えているのではないか、と思います。(続く)


◎暗誦聖句 エペソ四章三〇節(表題下の聖句)

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ローマ人への手紙(一一一)

 ローマ人への手紙第七章は第六章からの続きのため、六章をきちんと読んで理解していないと、七章、八章と続く意味が十分つかみ取れなくなります。


 六章においては二〇〇〇年前のイエス様の十字架と、現在の私とどのような関わりがあるのか、ということが大きな課題となります。若い人たちに個人伝道をすると、よく、「二〇〇〇年前のキリストの十字架は、今の私とどんな関係があるのですか?あのイエスという人は、自分が悪いことをして十字架につけられたのではないのですか?」と言われることがあります。


 日本の学校では、イエス・キリストと言うお方は、釈迦や孔子、あるいはモハメッドと同列に扱われて、聖書に記されている信仰の対象としては教えられていません。


 一九九五年、オウム真理教がサリンガスを地下鉄内でまき、多くの人々が目をやられたり、あるいは生命を奪われたりしました。もう記憶にないかもしれませんが、その時も、朝日新聞をはじめ大新聞は、声を一つにして、根本主義の立場をとる聖書信仰者をも、大変激しく名指しで非難し、「根本主義のクリスチャンたちは危険な存在である」と吹聴したのでした。その時は、朝日新聞が口火を切りました。


 二〇〇一年の九・一一同時多発テロでは、読売新聞が口火を切りました。そして、朝日新聞の夕刊では、かなり大きな囲みで、『「イスラム原理主義」とは何か』という項目が出ました。東大卒のイスラム教研究者で、当時国立民族博物館の教授をしていた臼杵(うすき)という人が、インタビューを受けた形で、なされていました。そこでは読売新聞よりもはるかに厳しい表現で、この「ファンダメンタリストは暴力をふるう」ということが書かれていたのです。


 私たちはマスコミが、「聖書信仰に立ち、最もキリスト教会の中では穏やかな存在のクリスチャン」たちをスケープゴート(いけにえ)とし、自分たちのおぞましい計画をあなたに、そして私に向けているということを自分の問題として捉えなくてはいけないと思いました。


 当時、日本人は、あのニューヨークのテロ事件を、傍観者として、自分とは全く関係のない高見(たかみ)の見物のような思いで見ていました。マスコミの論調もそうでした。


 しかし、世界で最も不安定で、スパイ天国と言われているのが、実は日本であると言われました。日本は、金融界も大変ルーズで、警察も以前のような特攻とか秘密警察とかがないため、自由自在に外国人が入国して犯罪を犯すことが多いのです。私たちとは無関係ではないのです。(続く)

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ローマ人への手紙(一一〇)

 「私たちは、自分の罪について考えるならば死んだ者であり、イエス・キリストにあって生きた者だと思いなさい。そう認めて行動しなさい。今、私が生きているのは、私という古い性質ではなく、イエス・キリストにあって生かされている新しい命が、私の人生を支配してくださっている。」


 日本人にとっては、むずかしい「死」と「いのち」のテーマです。しかし、現実には「私」という人物の肉体は生きています。ここに難しい戦いが出てくるのです。以下の六つのポイントを考えましょう。

一、【一四、一五節】 本当にイエス・キリストによ って罪を赦されイエス様を信じた人は、もはや罪が あなたを支配することがないことをしっかり「学び なさい」。

二、【一六節】 神様に仕えるか、それとも悪魔に仕 えるか、どちらか片方の主人にしか仕えることがで きないということを「心にとどめなさい」。

三、【一七、一八節】 「覚えておきなさい」。あな たのした決心、あなたは罪ではなく、神様の正しさ、 義を選んだことを覚えていなさい。

四、【一九、二〇節】 何かを「しなさい」。イエス 様を信じるまであなたが費やしてきたエネルギー、 あなたが仕えてきた悪魔に対して全てをなげうって 従っていた情欲やエネルギーを、あなたを救ってく ださった新しいご主人である、ただ一人の真の神様 にだけ用い、仕えるようにしなさいと教えています。

五、【二一、二二節】 罪はどのような実を結ぶのか、 よく「考えなさい」。

六、【二三節】 罪の払う報酬と、神様がくださる永 遠の命という贈り物、そのことについてよく「思い 起こし」て、考えなさい。


 この六つのポイントは、{①学べ。②心に留めよ。③神様の義を覚えよ。④実践せよ。➄考えよ。⑥思い起こせ。}となります。あなたは、信仰において最も勝利をおさめることができる道に入ることを選びますか。それとも自分が困った時だけ、宗教的にほっとしたい時だけイエス様を呼び求めますか。気持ちを落ち着けるため、聖書を読むと眠くなるからと聖書を読むならば、ローマ書六章を理解することはできません。

私たちはローマ書六章において、信仰の確信とは何かを学んでいます。自分が生きるのではありません。パウロはガラテヤ二章二〇節で「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです」と記しています。使徒パウロの献身、力の秘密はここにありました。(続く)

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ローマ人への手紙(一〇九)

 多くの日本人が情緒的な問題を抱えています。空想にふけったり、偏執病、強迫観念におそわれたり、統合失調症にかかったりということがあります。肉体の面では、緊張感、頭痛、偏頭痛、神経的な胃の痛み、特に消化器系の潰瘍、ガン等。じんましん、皮膚の発疹、アレルギー、喘息も精神的不安定からくると言われます。


 キャンプに子供たちを連れて行くと、キャンプに行ったとたん、喘息が起きる子供が多いとか。これは精神的な不安からくるようです。そのためアメリカでは毎日、朝から晩まで活動的なプログラムを組み、わざわざ、子供たちが疲れ果てるように工夫するのです。心が不安になる間を与えないようにハード・スケジュールを組み、喘息が起こらないようにするキリスト教キャンプがあるとのことです。


 呼吸器系統の病気であるとか、脅迫感におそわれて、やたらと不安のためにご飯を食べまくるという人たちもいるようです。若い女性のみなさんは経験があるかもしれません。受験前や大きな課題があるときはケーキをメチャ食いし、一つで済まず、五つも六つも食べるということがあるとか。今度は太り過ぎで、拒食症になるということがあるそうです。


 もちろん病気のすべてが霊的な不安定から来ると言っているのではありません。しかし、心理学者、カウンセラーは多くの場合、病気が心の問題から端を発することが多い、と考えています。


 イエス様を私たちの人生の中央にお迎えすると、霊的には救いと確信、そして神様に受け入れられるという喜びが出てきます。
 パウロはローマ書六章一一節の中で特に大切な言葉を使いました。「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい」。英語の聖書ではレコン(reckon)という言葉が使われています。これはインピュート(impute)という会計に関する用語で、自分以外の人にクレジット(credit)、掛けがまわるということです。しかも、使徒パウロは、ローマ書四章の中で一一回もレコンという言葉を使っています。レコンとは誰かの勘定に書き入れる、誰かにそれを課するという意味です。


 創造主なる神の前に払わなければならない私の罪の代価、負債は、イエス・キリストの肩に乗せられました。会計的な帳簿の面での私の負債は、イエス様が肩代わりしてくださったというのです。(続く)
◎ 暗誦聖句 ヨハネ三章六節
 「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれ た者は霊です。」

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