FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

◆ 聖書が示す、聖書を学ぶ理由(7)

    ▽「人はパンだけで
      生きるのではなく、
      神の口から出る
      一つ一つの
      ことばによる」
      (マタイ伝四・四)
         


   ステュワート・カスター博士がお書きになった "Tools for preaching and teaching the Bible"(聖書を説教し、教えるために必要な道具) という本からの続き。    

 詩篇一一九篇で、記者は神様のみ言葉を学び、黙想することの祝福を繰り返している。〝 どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。… 私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです。〟(一一九・九七、九九)    

 彼はみ言葉を学ぶときに得た喜びについても記している。〝あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです〟(一一九・一〇三)。彼はまた、み言葉の学びから与えられた神の導きについても語っている。〝あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です〟(一一九・一〇五)。今日の信者も、詩篇の記者と同じく、み言葉を黙想すべきである。個人的にみ言葉を学ぶことによって、信者は判断力、導き、そして喜びを得ることが出来る。    

 預言者ダニエルは御言葉を個人的に学ぶことの祝福を説明している。〝 すなわち、その治世の第一年に、私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃(こうはい)が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った〟(ダニエル九・二)。    

 ダニエル自身も聖霊の導きをうけ、神のみ言葉を書きしるした預言者であったが、他の預言者、エレミヤが記した神のみ言葉を学んだ。そして、神がイスラエルを七〇年のあいだ荒れ果てるようになさったことを知った。ダニエルでさえそのようにしてみ言葉を学んだのであれば、神様が私達にお与えになった目的が何であるかを知るために、み言葉を学ぶことは当然のことである。    

 イスラエル人がバビロン捕囚から解放され、イスラエルに戻った時、学者エズラは御言葉を系統立(けいとうだ)てて学ぶように指導した。〝 彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した〟(ネヘミヤ八・八)。    

 捕囚から解放された時には、イスラエル人はアラム語を話していたので、ヘブル語で書かれた聖書を理解するには少し困難があった。エズラは人々がみ言葉の意味を理解出来るように通訳をした。今日の説教者にとってこれは大きなチャレンジである。この時代にも生きていらっしゃる神のみ言葉を会衆が理解出来るように説き明かすことは大きな責任である。会衆は読まれた聖書の箇所を残念ながら理解しない場合が多い。説教者も御言葉を説明するために十分な時間を取らないことが多い。(続)    

  ◎ 暗誦聖句  ヘブル書一二章二節前半
〝信(しん)仰(こう)の導(みちびき)師(て)また之(これ)を全(まっと)うする者(もの)なるイエスを仰(あお)ぎ見(み)るべし。〟

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する