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習志野バプテスト教会の週報

◆聖書が示す、聖書を学ぶ理由(4)

         ▽「みことばに
           心を留める者は
           幸いを見つける。
           主に拠り頼む者は
           幸いである。 」
          (箴言一六・二〇) 
         


   ステュワート・カスター博士がお書きになった "Tools for preaching and teaching the Bible"(聖書を説教し、教えるために必要な道具) という本からの続き。

五、信仰を強めるため

 信者とは、定義(ていぎ)によれば、信仰をもつ人の意。何に信仰をおくのか。神の啓示(けいじ)に信仰をおくのである。使徒パウロは「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです〟(ロマ一〇・一七)と言う。イスラム教の信者も信仰をもっているし、エホバの証人も信仰をもっている。しかし、人類に生命と救いをもたらすことが出来るのは、神のみ言葉への信仰だけである。

 人は聖書に記されているイエス・キリストを信じる信仰によってクリスチャンとなる。クリスチャンの歩みは信仰によって始まるだけでなく、信仰によって保たれる。人はキリストにある救いに関する聖書の約束を信じることによって救われる。救われた人は、み言葉を読み続け、信仰を強められなければならない。

 ベレアのクリスチャンたちのすばらしいところは、〝非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた〟(使徒一七・一一)ことである。その結果、〝 彼(かれ)らのうちの多(おお)くの者(もの)が信(しん)仰(こう)にはいった 〟(使徒行伝一七・一二前半)」と記されている。忠実に聖書を学んだ彼らに信仰が与えられたことがわかる。

 クリスチャン生活において成長を願うならば、「み言葉を学ぶ時に神様が必ず祝福をお与え下さる」ことを信じなければならない。そうすれば、祈りを通して神様と交わる時や主を証する奉仕の時に、神様がくださる祝福に気付くようになる。神様のみ言葉を学び続けるならば、神様がお与えくださる全ての祝福にも気付くようになる。

六、キリストのお姿に似るものとなるため

 ある物を繰り返し見ていると、やがてその人の外見にそれは影響を及ぼしてくる。新聞で殺人犯やその他の犯罪者の写真を見れば、その表情がみな冷淡(れいたん)であることに驚くであろう。ある若者は、ふしだらな写真や本を読み耽(ふけ)っても誰も分からないだろうと思っている。しかし、いずれ彼の表情に変化があらわれる。

 使徒パウロは栄光に満ちた約束を指し示している。〝私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡(かがみ)のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです〟(Ⅱコリント三・一八)。(続く)      

   

  ◎ 暗誦聖句  ピリピ書四章一九節

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