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習志野バプテスト教会の週報

◆聖書が示す、聖書を学ぶ理由(3)

         ▽「心を尽くして
           主に拠り頼め。
           自分の悟り
           にたよるな。」
          (箴言三・五)
         


   ステュワート・カスター博士がお書きになった "Tools for preaching and teaching the Bible"(聖書を説教し、教えるために必要な道具) という本からの続き。    

 聖書だけが、神の息吹きによって書かれた書である。聖書は、イエス・キリストを救い主と信じる真の信仰が救いをもたらすことを教える書である。聖書以外のすべての宗教は人間をあざむく。人間のつくったすべての宗教は行いによる救いを説く。聖書だけが、神の御子イエス・キリストを信じる信仰によって与えられる恵みの救いを教える。真実な神のみ言葉をしっかりと手にもつ信者は、健全な教理をもっていることに気付き、聖書の教えに反する人々に弁証出来るのである(テトス一・九)。    

 信者は、カルトや宗教団体の間違った教えや、カール・バルトやポール・ティリッチなど聖書を誤りのない神のみ言葉と信じない神学者の解釈に対してガードすべきである。毎日聖書を学んでいる信者は偽りの教師たちの誤った教えに気が付くはずである。神様はみ言葉を通して知恵をお与えになるので、全ての信者が、日毎に、聖書から神様の知恵を頂き、それを用いるべきである。    

四、霊的な導きを得るため    

 詩篇の作者は次のように言っている。〝あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です〟(一一九・一〇五)。    

 聖書が書かれた時代、夜に旅をする時は手のひらよりも小さな油のランプを用いた。そのランプの灯はちょうど次の一歩を照らすに足りる光であった。同じように、聖書は信者の歩むべき路を示す。信者は毎日、人生のあらゆる決断と難しい選択をしなければならない。信者は神様の導きを祈り求めながら、聖書を読むべきである。信者は聖書を読むときにいつも、「神様どうぞ私を導いてください。私に必要なみ言葉をお与え下さい。」と祈るべきである。信者は、聖書の原則を学び、それぞれの具体的な状況でその原則を適用すべきである。    

 聖書から、真似るべき例、避けるべき例を学ぼう。この世のいかなるカウンセラーも与えることの出来ない導きを聖書は与えてくれる。詩篇の記者は、〝私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです〟(一一九・九九)と述べている。この詩篇の記者は高ぶっているのではなく、み言葉だけが与えることの出来る神様の導きを喜んでいるのである。(続く)    

☆ 聖書が示す「聖書を学ぶべき理由」を四つあげてみましょう。思い出せなければ、週報を読み返しましょう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ガラテヤ書六章九節前半
〝われら善(ぜん)をなすに倦(う)まざれ、〟

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