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習志野バプテスト教会の週報

◆聖書が示す、聖書を学ぶ理由(2)

      ▽「どのようにして
        若い人は自分の道を
        きよく保てるでしょうか。
        あなたのことばに
        従ってそれを
        守ることです。 」
       (詩篇一一九・九)
         


   ステュワート・カスター博士がお書きになった "Tools for preaching and teaching the Bible"(聖書を説教し、教えるために必要な道具) という本からの続き。    

二、霊的にきよめられるため    

 聖書は霊的な成長に必要なだけでなく、霊的にきよめられるためにも必要である。使徒パウロは、夫と妻の関係をキリストと教会の関係をもちいて説いた。〝 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、…〟(エペソ五・二五~二六)。    

 神様のみ言葉は、教会をこの世や肉的な考えから分離させ、悪魔の汚れから清めるための手段である。よい証をするためには、日毎にきよめられなければならない。先週、あるいは先月一回入浴(にゅうよく)したから、今日はお風呂に入らないでいい、という人は市民として非常識である。そのようなことを続ければ、彼が近くにくるとすぐに分かる。    

 同じように、神様のみ言葉によって清められない人は、不快(ふかい)な臭気(しゅうき)をかもしだす。その人は、その場の雰囲気(ふんいき)を汚し、悪影響を与える。彼が近くにくると、だれもが、「また彼は、つぶやき、陰口(かげぐち)をいい、自分勝手な態度をとるのだろう」と予想する。    

 それとは逆に、み言葉によっていつも清められている成長したクリスチャンはイエス・キリストのご臨在(りんざい)をあらわし、その場を素敵(すてき)な香でみたす。クリスチャンが日毎にきよめられることをないがしろにして、その結果、キリストの証をそこなうとしたら何と悲しいことだろう。昔の諺(ことわざ)は今日でも真理である。すなわち、聖書があなたを罪から守るか、罪があなたを聖書から遠ざけるかである。    

三、霊的な知恵を得るため     

 使徒パウロは、信仰による息子、テモテに宛(あ)てて次のように書いた。〝けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。〟(Ⅱテモテ三・一四~一五)    

 世界中で、この聖書だけが、人間に神からの知恵を与えることが出来る。聖書は神によって感動された書である(Ⅱテモテ三・一六)。(つづく)    

   

  ◎ 暗誦聖句  ガラテヤ書四章六節
神は御子の御靈(みたま)を我らの心に遣(つかわ)して『アバ、父』と呼ばしめ給ふ。〟

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