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習志野バプテスト教会の週報

◆  二〇一三年、教会の目標

   ▽「神よ。私にきよい心を造り、
   ゆるがない霊を私のうちに
   新しくしてください。」
    (詩篇五一・一〇)
         

  〝…人はうわべを見るが、主は心を見る。〟
      Ⅰサムエル 一六章七節    

 首記の聖句から、主に喜ばれるためには、行動の変化よりも心の変化が必要であると学ぶ。イエス様は、「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。」とパリサイ人と律法学者を非難(ひなん)された(マタイ一五・八~九)。主を敬い、礼拝することは良いことである。    

 しかし、その最も良いことであっても、心がともなわない見せかけの行動は、主に忌(い)み嫌(きら)われる。すなわち、心を変えずに、行いだけを良いものに変えても、主の目には、非難されるのである。今年、牧師に与えられた教会の目標は、一日一日、神様に私たちの心の状態を探っていただき、行動ではなく、心を変えていただくことである。そのためには、み言葉の学び、聖霊の導きと執(と)り成(な)しの祈りを必要とする。神様に心が変えられていくならば、その変化は他の人に大きな証となり、伝道の機会となる。    

 パウロは、ある者は妬(ねた)みや争いをもってキリストを伝え、ある者は愛をもってキリストを伝えている(ピリピ一・一五、一六)、と述べた。キリストを伝えるという行動は同じであっても、伝える者の心の状態は大きく異なっていた。神様に喜ばれる心に変えていただくことを熱心に求める一年(毎日)としよう。    

 毎日の生活で起こる出来事(それに対する自分の反応、言葉、態度)を通して、自分の心の状態に気づき、神様に赦しと助けを求めよう。このことを積み重ねていく人は、子どもを育てる時に、子どもが心の問題を解決していく手助けをすることが出来る。    

 兄弟がおもちゃのことでけんかをしている場合、あなたはどのように対応するだろうか。「どちらが先にそのおもちゃで遊んでいたの」と言って、二人の子どもの心を取り扱う機会を逃していないだろうか。先におもちゃで遊んでいた子も、兄弟が遊んでいるおもちゃを欲しいと思う子も、自分の喜びを優先する自己中心の心に気づき、悔い改め、神様に心を変えていただく必要があるのだ。    

 「お兄ちゃんなんだから、弟に譲(ゆず)ってあげなさい。その代わり、もっと良いものをあなたにはあげるから」とも言ってしまいやすい。これも、子どもの心を取り扱う機会を逃すことになる。自己中心的な心の状態(罪)を悔い改め、神様に心を変えていただくことなく、「他の良い物」のためにおもちゃを譲るだけで終わってしまう。    

 首記の聖句に教えられている通り、私たちは、目に見える行動だけを考えてしまいやすい。子どものしつけも行動を正すことと考えやすいが、子どもの心を扱うことである。(続く)    

  ◎ 暗誦聖句  詩篇五一篇一〇節

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