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習志野バプテスト教会の週報

◆ 罪のためのいけにえ

         ▽「神は、罪を知らない方
         (キリスト)を、
          私たちの代わりに
          罪とされました。」
          (Ⅱコリント五・二一)
         


  〝それから、彼らは王および集団の前に、罪のためのいけにえとする雄やぎを引いて来て、それらの上に自分たちの手を置いた。 それから、祭司たちはこれらをほふり、その血を祭壇にささげて、罪のためのいけにえとし、全イスラエルのために贖いをした。全焼のいけにえと罪のためのいけにえを、王が全イスラエルのために命じたからである。〟
    Ⅱ歴代誌二九章二三、二四節    

 全イスラエルが直面していた問題は、神様への不信と背信の罪によると知っていたヒゼキヤ王は、神様との関係を回復することを願った。王の命令によって、祭司、レビ人は、自らを聖別し、宮をきよめ、罪のためのいけにえをささげようとしていた。雄牛、雄羊、子羊を七頭ずつほふり、それらの血を祭壇に注いだ。    

 そして最後に、雄やぎを引いてきた。祭司たちは、雄やぎの上に手を置いて、ほふった。手を置くことは、いけにえの上に全イスラエルの罪が転嫁し、その動物が罪を負って、身代わりに死ぬことを意味した。律法によれば、すべてのものは血によってきよめられ、血を注ぎ出すことがなければ罪の赦しはなかった(ヘブル九・二二)。    

 旧約時代であっても、罪のいけにえをささげるだけで罪が赦されたのではない。「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心」(詩篇五一・一七)であり、そのいけにえを神様は喜ばれるからだ。罪を悔い、神様の御前に砕かれた心でささげた罪のためのいけにえは神様に受け入れられた。ヒゼキヤ王と民は、神様に近づくことがゆるされた。    

 目に見える問題を解決するよりも、その問題を生み出す原因を解決することの大切さを、ヒゼキヤ王から学ぶ。    

神様との関係をそれぞれに確認しよう。神様と共に歩んでいるだろうか。神様との交わり(聖書を学び、祈る時間)をもち、神様のみ心の内に生きているだろうか。    

 まだ、神様の御前に自分の罪を認めて、イエス・キリストを救い主として信じていないなら、あなたがまず解決すべきことは、諸問題の根である罪についてである。キリストは、「やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられた」(ヘブル九・一二)。    

 罪を知らないイエス・キリストがあなたの罪を負って、十字架の上で罪のいけにえとして死んで下さったのだ。罪を悔い、神様の前にあって心が砕かれているならば、イエス・キリストをあなたの救い主として信じよう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ペテロ前書五章七節
〝又(また)もろもろの心(こころ)勞(づかい)を神(かみ)に委(ゆだ)ねよ〝

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