FC2ブログ

習志野バプテスト教会の週報

◆ 二つの悪

   ▽「悪者には心の痛みが多い。
     しかし、主に信頼する者には、
     恵みが、その人を取り囲む。」
    (詩篇三二・一〇)
         


  〝…私たちの神、主の目の前に悪を行ない、この方を捨て去って、その顔を主の御(み)住まいからそむけ、背を向 けたからです。〟
     Ⅱ歴代誌二九章六節    

 新聞を少し読むだけで、私たちの社会に存在する悪を列挙することができる。「いじめ」「振り込め詐欺(さぎ)」「盗撮(とうさつ)」など毎日報告されている。被害者が負う苦しみ、長期に渡る心の傷を考えない、自分勝手な生き方が目立つ。私たちでさえ、こうした悪に憤(いきどお)り、被害者のために心を痛めるのだから、全てを御存知(ごぞんじ)の神様は、どれほど心を痛めておられることだろう。神様のお言葉を伺(うかが)おう。    

〝わたしの民は二つの悪を行なった。湧(わ)き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ〟(エレミヤ二・一三)。神様は、ご自分の民であるイスラエル人の2つの悪を責められた。神を拒絶(きょぜつ)し、自分勝手に生きることが悪の根であり、全人類共通の問題である。    

 もっとよい水が欲しいといって、清潔でおいしい最高の水がでる泉を捨て、労苦して井戸を掘る人をあなたはどう思うか。向上心の強い人と思うだろうか。井戸を掘ってみて、泉の方がよいと分かれば、自分の愚かさを認めて、泉に戻り、そのわき水でのどを潤(うるお)すであろう。エレミヤの時代、イスラエル人の多くは、生命の源(みなもと)であられる神を捨て、自分の手で豊かな人生を築こうとした。現代、全世界で見られる姿でもある。人々は、自分の罪の実を刈りとり、また他の人の罪によって傷ついている。ヒゼキヤ王時代のイスラエル人の問題でもあった。    

 ヒゼキヤ王は、神様のもとに立ち返り、罪を赦していただき、再び神様と契約(けいやく)を結ぶことを強く願った(Ⅱ歴代二九・一〇)。故に、ヒゼキヤ王は、祭司とレビ人を聖(せい)別(べつ)させ、彼らに神殿を聖めさせ、罪のためのいけにえをささげた。    

 旧約聖書で教えられているいけにえは、イエス・キリストの十字架の御業(みわざ)を指し示している。    

〝 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とさ れました。それは、私たちが、この方にあって、神の 義となるためです。 〟
  Ⅱコリント五章二一節    

「罪を知らない方」は、イエス・キリストしかおられない(ヘブル四・一六、Ⅰペテロ一・一九)。〝 …キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊(みたま)によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう〟(ヘブル九・一四)。    

 イエス・キリストを信じる者には、新しい生命、永遠の生命が与えられる。自分の努力では手に入れることはできない。罪を認めて、イエス・キリストを信じよう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ルカ一一章二節後半
〝(『なんぢら祈るときに斯(か)く言へ)「父よ、願(ねが)はくは御名(みな)の崇(あが)められん事(こと)を。御國(みくに)の來(きた)らん事を。 〟

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する