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習志野バプテスト教会の週報

◆ 不信がもたらす結果

         ▽ 「イエス・キリストに
         信頼する者は、
         失望させられる
         ことがない。」
         (ロマ一〇・一一)

         


  〝…不信(ふしん)の罪を犯(おか)し、私たちの神、主(しゅ)の目の前に悪を行ない、この方を捨て去って、その顔を主の御(み)住(す)まいからそむけ、背を向けたからです。 〟Ⅱ歴代誌二九章六節    

 首記の聖句は、神様に対する不信感が招く結果を示している。神様のお約束に対する疑いは、神様の存在を否定し、神様を恐れることがないために罪を犯し、自分勝手な生き方へと導く。神様を信じない罪は、悲劇(ひげき)を招く。    

 私たちは、日常生活の中で、多くのことを信じている。例えば、水道の蛇(じゃ)口(ぐち)をひねれば水が出ること、電気のスイッチを押せば明かりがつくことを疑わない。毎日の生活で、実際にそのことを見ているからである。    

 〝彼(イエス・キリスト)に信頼(しんらい)する者は、失望(しつぼう)させられることがない〟(ロマ一〇・一一)、〝求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです〟(ヨハネ一六・二四) といったお約束やご命令が与えられている。    

 私たちは、毎日の生活でみ言葉に生きることが必要である。よく考えてみれば、壁にあるボタンを押すだけで、部屋の電気がつく流れを正しく理解してはいないだろう。でも、暗くなればボタンを押し、電気をつける方法を知っているのである。    

 私たちクリスチャンが、「イエス様におまかせすれば大丈夫」、「神様に必要なものを求めるならば、神様が必要を満たしてくださる」ということを、蛇口をひねれば必ず水が出ること以上に、確かなこととして信じることは出来ないのであろうか。もし、私たちが生活の中で、み言葉を実践(じっせん)するならば、神様のみ言葉は必ずその通りになる、ということを自分の経験として知ることが出来る。    

 〝 何も思い煩(わずら)わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願(ねが)いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい 〟(ピリピ四・六)を読んだなら、「そうは言っても」とか「でも」とか言わずに、神様のお言葉なのだから、信じて実践してみよう。神様はみ言葉をお守りになる方だと確信でき、神様への信頼が強められ、さらに大きな問題に直面する時に、「神様におまかせしよう。また、必ず助けてくださる」と信仰を働かすことが出来るようになる。信仰生活はいきいきとしたものに変えられていくはずだ。    

 信仰を毎日の生活で働かせよう。「神様のみ言葉は生きていて、力がある」(ヘブル四・一二)ということを毎日体験し、実感しよう。神様を疑う「不信の罪」が私たちの心に入り込む余地(よち)はなくなるだろう。    

   

  ◎ 暗誦聖句  ヨハネ伝六章三八節後半
〝(夫(それ)わが天(てん)より降(くだ)りしは、…) 我(われ)を遣(つかわ)し給(たま)いし者(もの)の御意(みこころ)をなさん爲(ため)なり。〟

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