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習志野バプテスト教会の週報

◆ 生ける神の宮

         ▽「…何をするにも、ただ
         神の栄光を現わすために
         しなさい。 」
         (Ⅰコリント一〇・三一)
         


  〝あなたがたの父祖(ふそ)の神(かみ)、主(しゅ)の宮(みや)を聖別(せいべつ)し、聖(せい)所(じょ)から忌(い)まわしいものを出(だ)してしまいなさい。〟
    Ⅱ歴代誌二九章五節    

 ヒゼキア王の父アハズは、ダマスコの神々にいけにえをささげるために祭壇(さいだん)をつくり、主の宮においた。アハズは、「アラムの王たちの神々は彼らを助けている。この神々に私もいけにえをささげよう。そうすれば私を助けてくれるだろう。」(Ⅱ歴二八・二三)と考えたのだ。    

 日曜の朝、あなたが礼拝堂に入ると、いつもの講壇がなく、あやしげな偶像とそのための祭壇がおかれていれば、びっくりすることだろう。エルサレムにあった神殿で実際におこったことである。「神様がおきらいになる物を教会から出し、主の家を聖別しよう」と私たちは言わなければならない。    

 イエス・キリストを信じ救われた者は、「聖霊の宮」(Ⅰコリント六・一九)、「神の宮」(Ⅱコリント六・一六)である。宮や神殿と訳されているギリシャ語は、ヒエロンとナオスという二つの言葉である。ヒエロンが神殿全体を指すのに対して、ナオスは祭司以外は入ることの出来ない聖所と大祭司しか入ることの出来ない至聖所を指すという(『新聖書辞典』六五六頁)。    

 既述の「聖霊の宮」「神の宮」はどちらもナオスである。すなわち、クリスチャンの体は神の聖所、至聖所である、という意味である。聖霊なる神様が内住(ないじゅう)なさるのだから、その意味がよくわかる。故にパウロは、「自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」(Ⅰコリント六・二〇)とすすめ、〝汚(けが)れたものに触(ふ)れないようにせよ〟との神様のご命令を思い出させ、神の宮と偶像の宮がいかにかけはなれたものかを強調した(Ⅱコリント六・一六、一七)。    

 私たちの心の内に、神様がお嫌いになるもの、忌まわしいものはないだろうか。「悪いことをする者は光を憎(にく)み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。」(ヨハネ三・二〇)と記されている。もし、聖書を読むこと、祈ることを避けている理由が神様に近づいて、自分の罪が示されるのが恐(こわ)いためなら、「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(Ⅰヨハネ一・七)という神様のお約束を信じて、神様に近づこう。    

 聖霊なる神様が私たちの心をご支配くださり、忌まわしいものを取り除いて下さり、私たちが神様のみ心をおこなうことが出来るよう導き助けて下さいますようにと祈ろう。    

  ◎ 暗誦聖句  ルカ一一章一節
〝主よ、祈ることを我らに教え給え。〟

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