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習志野バプテスト教会の週報

◆ 自分を犠牲にする愛

    ▽「あらゆる善行のうちに
      実を結び、神を知る知識を
        増し加えられますように。 」
        (コロサイ一・一〇)
           


   K・コリヤーという方がまとめたⅠコリント一三・四~八の表「神様の愛と自己愛」を学んできました。副題は、「選択肢は2つだけです。神様を愛するか、自分を愛するか。」でした。中間はない、ということです。    

  一四項目ありましたが、「神様の愛」の欄(らん)は、すべて「自分を犠牲(ぎせい)にしても」と始まっていました。神様の愛は、ご自分を犠牲にしても、愛する者の必要を満たそうとするものです。ヨハネ伝三章一六節を見てみましょう。    

  〝神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに、世(あなた)を愛された。それは御子を信じる者(キリストを信じるあなたが)が、ひとり(けっして)として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。〟 「お与えになった」という言葉はキリスト教の特徴を示しています。神様は、「献金」や「奉仕」をあてにして人々をお救いになるのではありません。ロマ書八章三二節にすばらしい約束が与えられている通りです。    

  〝私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。〟    

   自分の人生を自分の手でしっかりと握(にぎ)っていることが、どんなに不幸なことか分かってきます。これほどまでに私たちを愛してくださる神様に「人生」をゆだねる人は幸いであり、神様の大きな愛を経験します。その愛を他の人に分け与えることもできるように変えられていきます。〝〈自分で〉いのちを救おうと思う者はそれを失い、わ たし(イエス・キリスト)のためにいのちを失う者は、 それを見いだすのです。〟(マタイ一六・二五)    

   パウロは、コロサイのクリスチャンたちの「すべての聖徒に対して…抱いている愛」(一・四)を聞いて神様に感謝をしています。コロサイの聖徒たちは、福音を通して、キリスト・イエスに対する信仰が強められ、天に蓄(たくわ)えられている望みをしっかりと握(にぎ)っていました。神様に信頼して生きる喜びを学(まな)んだはずです。愛の実践(じっせん)は、神様の愛を学ぶことから始まります。日毎に、神様に信頼して生きる生活を始め(継続し)ましょう。    

   パウロは、自己犠牲の愛を実践していた彼らのために、「どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみ心に関(かん)する真の知識(ちしき)に満(み)たされますように。」(一・九)と祈(いの)りました。愛の心から行動(こうどう)することを学んだなら、次(つぎ)に、それが真実の愛か表面的(ひょうめんてき)な愛か、神様のみ心を探(さぐ)ることが大切だと教えられます。    

   「神様の愛と自己愛(じこあい)」の表(ひょう)を復習(ふくしゅう)しましょう。Ⅰコリント一三・四~八節を暗誦しながら、み言葉を実践できるように祈りましょう。自分の力で出来ないことを認(みと)め、神様に助けを求めることが、スタート・ラインです。    

 

  ◎ 暗誦聖句 テモテ前書一章一二節
〝我(われ)に能力(ちから)を賜(たも)う我(われ)らの主(しゅ)キリスト・イエスに感謝(かんしゃ)す。〟

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