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習志野バプテスト教会の週報

◆ イエス・キリストの愛

   ▽「私のからだを焼かれる
     ために渡しても、
     愛がなければ、
     何の役にも
     立ちません。」
    (コリント前書一三・三)
         


  〝愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。〟
    コリント前書一三章四節

   寛容は短気の正反対である。私たちをいらいらさせ、あるいは傷つける者に対して忍耐を与える。寛容とは、相手より受けた悪に対して復讐せず、その人を赦す態度である。

  「…神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ四・三二)とある。イエス様は、ご自分を侮辱する者、あざ笑う者、悪口を言う者、「十字架につけろ!」と訴える者のために、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と祈られた。「私は彼らを赦していますから、父よ、彼らをお赦しください」との執り成しの祈りである。

  私たちは、他の人から受けた悪をなかなか忘れられないし、その人を赦すことができない。イエス・キリストは私とあなたの悪に対しても寛容であられ、救いに招いてくださった。イエス様の大きな愛に感謝しよう。そして、「あなたがたは…寛容を身に着けなさい。」(コロサイ三・一二)というお言葉に従えるように祈ろう。

   親切は相手の悪を赦すだけでなく、その人の役に立とうとして、良いことをする機会を捜す積極的な態度である。ヨセフは自分を奴隷として売った兄弟たちの悪を赦すだけでなく、彼らのために最善を尽くした。反対に、不親切は失礼、思いやりの欠如、軽率な応対、残酷さ、無関心である。

  自分に対して悪を行う者に対していらいらしないことでさえ難しいのだから、その人を赦すことは大変難しく、さらにその人に対して親切にすることは至難の業である。自分の力ではできないことを素直に認め、イエス・キリストの愛によって自己中心的で冷ややかな心が溶かされるよう祈ろう。

   愛は人を妬まず、自慢せず、高慢にならない。すなわち、謙虚な態度である。ねたみは相手を引き落とそうとし、自慢は自分を引き上げようとする。しかし、愛は他の人からの賞賛や拍手を期待しない。愛は自分を忘れる。こんなにも醜い私たちを愛し、身代わりに死んでくださったイエス様を仰ごう。

  イエス様は、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、私たちと同じようになられた。 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われた(ピリピ二・六~八)。  

 

  ◎ 暗誦聖句 ヨハネ二〇章二八節
〝トマス答(こた)えて言(い)う『わが主(しゅ)よ、わが神(かみ)よ』 〟

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