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習志野バプテスト教会の週報

◆ 神をおそれよ(7)

   ▽「主を恐れる人は、
     主の大いなるお力を
     信じる人」

  〝ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。「だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう。」と。〟
          イザヤ書二九章一五節

  イザヤが神様にお仕えした当時のイスラエルの民は、神様を恐れているように見えたが、形だけのものであった。神様に対する愛、畏敬の思いがなかったのだ。首記の聖句から、イスラエルの民の心に主を恐れる思いがなかった別の理由を学び、私たちの反面教師としよう。

    第一に、彼らは自分たちの思いを主にゆだねることがなかった。なぜ、全てをご存じでいらっしゃり、私たちに良いことをご計画くださる主に、導きを求めなかったのか。彼らは、「自分たちの方が神様よりも知恵があり、自分たちのために良い計画をたてることができる」と考えていたのだろう。

  悪いことだと知っていながら、どうしても自分の思いを制御できず、神様に隠れてしようとしたのだろう。新改訳聖書の太字の主は、文語訳ではエホバであり、ヘブル語はヤハウェである。このお名前は、神様とイスラエルとの密接な関係、特に契約関係を示している、と言われる。主は独立自存であって、現在も生きておられ、人間を救い、助け、祝福し、契約を守られるお方である。次のみ言葉を心に刻もう。

  〝あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。…主はすべて心おごる者を忌みきらわれる。確かに、この者は罰を免れない。恵みとまことによって、咎(とが)は贖(あがな)われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる〟(箴言一六・三、五、六)。 

  第二に、彼らは「神様は私たちを見てはいない」と考え、自分たちの計画を隠(かく)そうとした。イエス様は、闇の中で生活する者について次のように仰った。〝…光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。〟(ヨハネ三・一九~二〇)。

  神様を恐れたダビデとは対照的である。ダビデは、①神様のそば近くにいることを願った(詩篇八四・一〇)。②神様はいつも私をご覧下さり、困った時にはすぐに助けて下さる、と信じていた(詩篇一三九)。③神様は大いなるお方であり、すばらしい御わざをなしてくださると信じていた(詩篇八六・一〇)。

  イスラエルの民が主を恐れることがなかったのは、神様と神様のお力を信じていなかったからだ。                    (続く)

 

  ◎ 暗誦聖句 詩篇五一篇一七節前半 
〝神(かみ)のもとめたまふ祭物(そなえもの)はくだけたる霊魂(たましい)なり 〟

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