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習志野バプテスト教会の週報

◆ 神をおそれよ(6)

   ▽「私は、豊かな恵みによって、
     あなたの家に行き、あなたを
     恐れつつ、あなたの聖なる宮に
     向かってひれ伏します。」
    (詩篇五・七)

  〝そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。〟
   イザヤ書二九章一三節

   神様は、預言者イザヤを通してご自分の民に、「あなたがたは私を本当には恐れていない。あなたがたの心には、私に対する愛がない。」と仰(おっしゃ)った。この時、イスラエルの民は神様を賛美し、礼拝をささげ、表面的には神様を愛し、敬っているように見えた。しかし、神様は彼らの心をご覧になっていた。〝…人はうわべを見るが、主は心をみる。〟(サムエル前一六・七)

   イスラエルの民は主を恐れていなかった。第一に、彼らは形式的な礼拝をささげていたが、彼らの「心」を主にささげていなかった。第二に、神様に対する愛と尊敬の思いはなく、「恐れなければいけない」と教えられてのことにすぎず、畏敬の思いはなかった。

   イエス様は、パリサイ人と律法学者に対して、首記の聖句を引用して次のようにおっしゃった。〝偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」(マタイ伝一五・七~九)

   ここに登場するパリサイ人と律法学者も、イザヤの時代の民と同じく、神様を心から愛することなく、形だけ神様のお言葉に従おうとしていた。ご自分の生命をもお与え下さった主イエス様に対する私たちの愛は冷え切っていないだろうか。それぞれに、心を点検しよう。

  イエス様は、「恐れる」という言葉の代わりに「拝んでも」と仰(おっしゃ)った。神様を恐れることは、礼拝と関係があるということだ。神様を礼拝することについて、首記の聖句から次のことを学ぶ。①他の人から言われてすることではない=自らの意志でするもの。②神様に近づくこと=神様の御前にでること。③神様をおそれ敬うこと=心から神様を慕い求めること。

  健康の理由や家族の介護で、礼拝に毎週は集えない方がいる。そうした兄姉にとって、日曜日に教会で兄姉とともに主を賛美し、主を礼拝できる日は、大きな喜びであり、神様に感謝をささげていることだろう。毎週集っている私たちは、礼拝が習慣的になることがないように注意をしよう。心からの礼拝をささげよう。(続く)

 

  ◎ 暗誦聖句 ロマ書五章二〇節後半 
〝されど罪(つみ)の増(ま)すところには恩惠(めぐみ)も彌(いや)増(ま)せり。〟

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