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習志野バプテスト教会の週報

◆ 神をおそれよ(3)

   ▽「主を恐れることは
     悪を憎むことである」
           (箴言八・一三)


   〝これらの後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨(のぞ)み、こう仰(おお)せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾(たて)である。あなたの受ける報(むく)いは非常に大きい。」〟          創世記一五章一節

  主は、繰り返し「恐れるな」とお命じになる。〝見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた(イザヤ一二・二)。〟〝彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ(エレミヤ一・八)。〟全能の神様を信じ、神様を恐れるなら、私たちは何をも恐れる必要がない。

  ヤコブの子ヨセフは主を恐れた人物であった(創世記三七章以下参照)。ヨセフは兄弟に憎まれ、外国人に売られてしまう。ヨセフはエジプトのパロに仕える侍従長、ポティファルに買われる。「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人」(創世記三九・二)となった。主が共におられたので、ヨセフは、何も恐れることがなかった。主を恐れる人は主の御臨在の内に生きる人である。

  ヨセフは、体格がよく、美男子で、何事にも誠実であった。ポティファルの妻はヨセフに「私と寝ておくれ」とせまる(三九・七)が、彼は拒(こば)んで言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。ご主人は、この家の中では私より大きな権威をふるおうとはされず、あなた以外には、何も私に差し止めてはおられません。あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」ヨセフは以下のことを恐れた。

  ア、自分と共におられ、祝福をお与えくださる神様に対して罪を犯すこと。=神様の愛に反する恐れ。

  イ、神様が罪とおっしゃることを行うこと=神様のご命 令にそむくことの恐れ。

  ウ、神様の正しい裁き=罪は必ず裁かれ、神様のために 苦しむ時は、神様の正しい裁きが必ずあるとの確信。

  エ、罪の実を刈り取ること=神様とのよい関係を失い、 ポティファルの信頼を失い、ポティファルの妻との 正しい関係も失う。

  ヨセフは苦境(くきょう)に立っても、主が共におられることを確信し、主に罪を犯すことは出来ないと言った。私たちも、主が共におられることを覚(おぼ)えて生活しよう。これは、主をおそれる者の生活である。     (続く)

 

  ◎ 暗誦聖句 詩篇五〇篇一五節
  〝なやみの日(ひ)にわれをよべ、我(われ)なんぢを援(たす)けん。而(しか)してなんぢ我をあがむべし〟

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