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習志野バプテスト教会の週報

◆  神をおそれよ(1)

   ▽主は、主を恐れる者を
    祝福してくださる。
    (詩篇一一五・一三)


   四〇六号続いた「ロマ書の学び」は昨年末に終わった。今号より、週報は松山牧師の担当になる。この原稿を書こうとしても、一〇五〇字という限られた紙面と、教会の必要を満たすべきものと考えると先に進まない。礼拝説教テープから原稿をおこした「ロマ書の学び」以前は、四〇年以上にわたって丸山牧師が毎週、原稿を書きおろしてくださった。大きな働きだと改めて思った。週報は年に二回の休刊日と二回の特別プログラムを除いて、毎週発刊される。この働きを継続できるように祈りで支えてほしい。

   昨年は、日曜英語クラスの開始とそれに伴う日曜学校、礼拝時間の変更などがあった。クリスマス発表会も例年とは違うプログラムであった。聖書は決して時代遅れで はないし、将来も時代遅れになることはない。聖書はいつの時代も「最先端」であり、人々の必要を満たす。変わることのない神様のお言葉を宣教する方法は、時代によって変わってよい部分と変わらなければならない部分があるだろう。ただし、妥協は神様のみ心ではない。

  神様は、私たちが新しいプログラムを始める前に、一つの大切なことを教えてくださった。歴代誌Ⅱ一六章九節は、「神様が求めていらっしゃるものは、新しいプログラムではなく、神様のお心を自分の願いとする人(すなわち、神様がご自身のお力を自由に表すことのできる人)である」と教えている。私たちは、神様に信頼して力を頂くよりも、プログラム(自分たちの考え)に頼ってしまう弱さがあるので、この学びが必要であった。

   今年は、「神を恐れよ」ということを教えられている。

  ソロモン王を通して、神様は「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道の書一二章一三節)と教えてくださっている。私たちは神様を恐れているだろうか。そもそも、神様を恐れるということを正しく理解しているだろうか。

  私はボブ・ジョウンズ大学で勉強している時に、神様を恐れるのではなく、人を恐れるという失敗をした。神様に対して大変申し訳ない気持ちで一杯だった。罪を悔い改め、二度と同じ失敗をすることがないようにと神様に祈った。神様は、その罪を赦してくださり、神を恐れることについての学びをお与えくださった。

   神様は再度、この学びをするようにと導いてくださっている。人間にとって「すべてである」という神様のご命令を、次号から共に学んでいきたい。(続く)

 

  ◎ 暗誦聖句 詩篇五〇篇一五節
 〝なやみの日(ひ)にわれをよべ、我(われ)なんぢを援(たす)けん。而(しか)してなんぢ我をあがむべし〟

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