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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(402)

         ▽ み言葉に生きる


  〝永遠(えいえん)の神(かみ)の命(めい)にしたがい、預言者(よげんしゃ)たちの書(ふみ)によりて信仰(しんこう)の従(じゅう)順(じゅん)を得(え)しめん為(ため)に、もろもろの国人(くにびと)に示(しめ)されたる奥義(おくぎ)の黙示(もくし)にしたがえる我(わ)が福(ふく)音(いん)と、イエス・キリストを宣(の)ぶる事(こと)とによりて、汝(なんじ)らを堅(かと)うし得(う)る〟
  ロマ書一六章二六節

  ロマ書一六章二六節から二七節においては、大きなテーマがある。「教会の目的とは何か?」と「人間の主要なつとめは何か?」ということである。人間にとって一番大きなつとめは何かというならば、それはすべての物をお創造(つくり)になられた創造主である神様を仰(あお)ぎ見て、神様の御名(みな)を誉(ほ)め称(たた)えるということである。神様のご栄光のために自分たちが生きていく、これが人間にとって最大の、最高の人生の目的と思っていただきたい。

  この世に生きる人たちは、神様をないがしろにする。自分自身の名誉や地位、権力、富を求めて、神様の御言葉に耳を傾けようとしない。飲むにも、食べるにも、何をするにも、ただひたすら私たちは神様の御(み)栄(さか)えを追い求めて生きるということがたいへん大事なことだと思う。私がまだ若い時、多くの宣教師、牧師たちは口を開けばこういうことを言っていた。「私たちは、博士号とか学位、名誉にとらわれては、いけない。クリスチャンはみんな神様の御(み)前(まえ)にあって、ひたすら神様のご栄光をあらわすように生きよ。」と。

  現在では、多くの教会の牧師や献身者が博士号を取らなければ伝道者ではないような雰囲気(ふんいき)がかもし出されてきている。大学で資格(しかく)を持つことは、それはそれで大事なことである。けれども、伝道者にとって必ずしも博士号が必要ではない。にもかかわらず、最近の日本においてもキリスト教関係の書物を見ると、博士号を持っていない伝道者は人並(ひとな)みではないといった雰囲気(ふんいき)が目立(めだ)つようになった。しかし、それは大きな間違いであると思う。神様の働きとして、御(み)言葉を学んで話すことはたしかに大事なことではあるが、しかしそれがすべてではない。

  伝道者にとっての第一の目的は、人々をイエス様のもとに連(つ)れてくるという救霊の働きである。第二は、その救われた人々が神様の御(み)栄(さか)えをあらわすように生きてもらう、実(じっ)践(せん)してもらうために働くことである。博士号を持たなければ、良い羊飼いになれないというものではない。羊が何を食べ、何を好み、どういうことに対して病気にかかりやすいかということを知らなければ、羊飼いにはなれない。同じように、伝道者はこの世から分離をされた者である。私たちのその最大の目的は、学位や称号ではなく、神様にすべてを明け渡し、おささげすること。ひたすら魂を愛し、魂を追い求め、イエス様に近づく魂を養い育てることこそが、伝道者の主眼でなければいけないと思う。

  ◎ 暗誦聖句 黙示録一九章一節
〝『ハレルヤ、救(すくい)と榮(えい)光(こう)と權力(ちから)とは、我(われ)らの神(かみ)のものなり。〟

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