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習志野バプテスト教会の週報

バプテストの特徴(三)

▽「私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方」(ヘブル八・一)

三、全信徒の祭司職(Priesthood of all believers)    

信者は誰でも他の人の助けなしに神様を礼拝できるという意味である。    

 生まれ変わった信者は直接に罪を告白し、イエス・キリストの御名によって祈ることができる。私たち信者はキリストによって祭司とされた(黙示一・五~六)。旧約時代、祭司だけが聖所に入ることができた。イエス様によって罪をきよめられ、祭司とされた私たちは「イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができる」(ヘブル一〇・一九)のである。    

 旧約時代、祭司は絶えず神と人との間に立って執(と)り成(な)しをした。祭司は神様のために人々を教え、人間のためにいけにえをささげた。キリストの十字架の犠牲によって神様の全ての要求は満たされた今、私たち祭司に求められることは、「神に喜ばれるいけにえをささげ(る)」(Ⅰペテロ二・五)こと、祈りによって執り成すこと、教えることである。信仰と行動のための唯一の権威である聖書(神様の誤りのない御言葉)を教えるのである。    

 〝完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行ないによって祝福されます〟(ヤコブ一・二五)。    

 この聖句は、御言葉の学びには集中と継続が必要であることを教えている。御言葉を「一心に見つめる」とは、絨毯(じゅうたん)の上に落としたコンタクトレンズを探すときに似ている。両手両膝(ひざ)を床につけて、顔を絨毯に近づけ、見える片方の目で食い入るように透明で小さなレンズを探すのである。    

 御言葉を読むだけでなく、黙想するのである。どれだけ黙想し続けるのか。ヤコブはその御言葉を忘れることができなくなるまでという。更に、覚えるだけでなく御言葉を実践して豊かな実を結ぶまで黙想すべきと言う。    

 「でも、聖書は難しくて読んでも分かりません」と言う人もいるだろう。確かに、理解できないことを学び続けるのは苦痛である。しかし、何かを学ぶためには努力しなければならない。何かを学ぶためには時間が必要であり、そのために何かをあきらめなければならない。神様をよく知り、神様の御言葉を理解できるように、御霊の助けがあるように祈ろう。御霊に心が照らされて、心の目がはっきりと開かれるように祈るならば、少しずつであっても御言葉の理解が与えられる。御言葉の黙想は楽しみとなろう。    

 祭司の働きが妨(さまた)げられないように自分の心と生活を清く保つことも、祭司には必要である。全信徒の祭司職は、信者の責任と祝福と特権を教えている     

   

◎ 暗誦聖句  エレミヤ三一章三節 先週の続き
〝故にわれたえず汝(なんじ)をめぐむなり〟

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