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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(400)

         ▽ み言葉に生きる


  信仰生活は私たちの人間的な努力、あるいは勉強だけで成長するわけではなく、神様の御言葉によってきよめられていくものである。その過程(かてい)において、はっきりと良くないことだとわかるものから遠ざからなくてはならない。

  最近、アメリカで出版されたキリスト教系のカウンセリングに関する本を見ると、ほとんど二、三章にわたって現在アメリカが苦しんでいる、そして世界的に問題になっているポルノグラフィーを取り上げている。日本ではポルノと言っているが、パソコンや様々な方法でこうした性的な不道徳が蔓延(まんえん)している時代なのだ。かつてはこうした肉の欲望のとりことなっていた私たちそれぞれが、神様の御言葉を読むにしたがってそういう思いがどんどん縮(ちぢ)まっていき、神様の御手(みて)によって取り去られていく姿を学ぶ。私たちは、万引きや、税金のごまかしなど様々な誘惑と出合う。そういう時に、「皆がやっているから。」などと周(まわ)りを見ているなら、なかなかやめることは出来ない。

  なぜなら、皆がやっているからという基準で見ているからだ。しかし、神様の御言葉を読んで「私はイエス様に従っていこう。」と思う時に、「ほかの人はどうであれ、自分はこうしなければならない。」という風に少しずつ変(か)えられていく。私も皆さんの前で「罪から離れよ。」と、大きな声で言う資格は持っていない。自分も罪に負けやすい者だということをよく知っている。私は自分が弱いから、むしろこうした弱い者が神様によって伝道者の世界に召し出されたと思う。もし伝道の世界に入ってなければ、私は多分、皆がやっているからという基準で生きて、そして同じように罪の世界に沈(しず)み込んでいたと思う。

  この「聖化」という過程は、神様の御(み)力(ちから)によって変えられることを覚(おぼ)えていただきたい。英語の聖書では、二つの言葉が使われている。一つはavoid(アヴォイド)(=そういうものを遠ざけよ。避けよ)、ということだ。そしてもう一つはmark(マーク)(=注意してよく見よ)、ということ、印(しるし)をつけて、そうしたものから遠ざからなければならない、という意味である。

  ここではっきりすることは「分離」ということが、クリスチャン生活の中で大変重要な神様の教えであるということだ。この世から分離をする、罪の世界から分離をする。自分自身の性向から分離をする。

  使徒パウロはロマ書八章六節で〝肉の思いは死であり、霊の思いは命であり平安である。〟と記している。私たちはよく見ないと、情報過多の中にあって何が善で何が悪であるかを見(み)分(わ)けることが難(むずか)しい。   (続)   

 

  ◎ 暗誦聖句 詩篇四四篇八節
〝われらはひねもす神(かみ)によりてほこり、
 われらは永遠(とこしえ)になんぢの名(みな)に感謝(かんしや)せん セラ 〟

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