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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(398)

         ▽ み言葉に生きる


  〝兄弟(きようだい)よ、われ汝(なんじ)らに勧(すす)む、おおよそ汝(なんじ)らの学(まな)びし教(おしえ)に背(そむ)きて分離(ぶんり)を生(しよう)じ、躓(つまづ)きをおこす者(もの)に心(こころ)して之(これ)に遠(とおざ)かれ。かかる者(もの)は我(われ)らの主(しゆ)キリストに事(つか)えず、反(かえ)って己(おの)が腹(はら)に事(つか)え、また甘(あま)き言(ことば)と媚諂(こびへつらい)とをもて質朴(しつぼく)なる人(ひと)の心(こころ)を欺(あざむ)くなり。汝(なんじ)らの従(じゆう)順(じゆん)は凡(すべ)ての人(ひと)に聞(きこ)えたれば、我(われ)なんじらの為(ため)に喜(よろこ)べり。而(しか)して我(わ)が欲(ほつ)する所(ところ)は汝(なんじ)らが善(ぜん)に智(かしこ)く、悪(あく)に疎(うと)からんことなり。平和(へいわ)の神(かみ)は速(すみや)かにサタンを汝(なんじ)らの足(あし)の下(した)に砕(くだ)き給(たも)うべし〟
     ロマ書一六章一七~二〇節

  これまで聞いてきた聖書の正しい解釈、正しい教えから逸脱(いつだつ)することがないように、つまづきをおこす者からは遠ざかり、彼らを避けていただきたい。このように言うと、ある人たちは「あの習志野教会は愛がない。あんなに一生懸命やっていた伝道者や信者を追放したではないか、追い払ったではないか。」と、言うかも知れない。でも、心配しないで頂きたい。私たちの基準は神様のお言葉である。間違った教え、悪魔がささやいたような間違った教えを持ち込もうとしたり、あるいは、弱いまだ確信のない信者さんたちをつまづかせるような働きをする者は、遠慮なく教会から追い出して頂きたい。それが聖書の教えだからである。

  しかし、もしその人たちが自分の過(あやま)ちに気がついて「私は間違っていました。もう一度、正しい健全な聖書の教えに立ち返りたいです。」と言うならば、どうぞ祈って支えてあげて欲しい。リーダーとしてではなく、一般の信者としてもう一度勉強してもらうのである。ちょうど、プリスキラとアクラとがアポロというあの若者を懇切丁寧にみ言葉を通して教え、導いていったように、正しい神様のみ言葉に立たして頂きたいと思う。

  〝もし異(こと)なる教(おしえ)を傳(つた)へて、健全(けんぜん)なる言(ことば)すなはち我(われ)らの主(しゆ)イエス・キリストの言(ことば)と、敬虔(けいけん)にかなふ教(おしえ)とを肯(うけが)わぬ者(もの)あらば、その人(ひと)は傲慢(ごうまん)にして何(なに)をも知(し)らず、ただ議論(ぎろん)と言爭(いさかい)とにのみ耽(ふけ)るなり、之(これ)によりて嫉妬(ねたみ)・爭鬪(あらそい)・惡(あ)しき念(おもい)おこり、また心(こころ)腐(くさ)りて眞(まこ)理(と)をはなれ、敬虔(けいけん)を利益(りえき)の道(みち)とおもふ者(もの)の爭論(そうろん)おこるなり。……神(かみ)の人(ひと)よ、なんぢは此(これ)等(ら)のことを避(さ)けて、義(ぎ)と敬虔(けいけん)と信仰(しんこう)と愛(あい)と忍耐(にんたい)と柔和(にゆうわ)とを追(お)ひ求(もと)め、信仰(しんこう)の善(よ)き戰闘(たたかい)をたたかへ、永遠(とこしえ)の生命(いのち)をとらへよ。〟
 テモテ前書六章三~六、一一~一二節 (続)

  ◎ 暗誦聖句 詩篇四二篇一節
〝ああ神(かみ)よ、しかの渓(たに)水(がわ)をしたい喘(あえ)ぐがごとく、わが霊魂(たましい)も、なんぢをしたいあえぐなり。 〟

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