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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(395)

         ▽ み言葉に生きる


  〝兄弟よ、われ汝らに勧(すす)む、おおよそ汝らの学びし教(おしへ)に背(そむ)きて分離を生じ、躓(つまづ)きをおこす者に心して之(これ)に遠ざかれ。かかる者は我らの主キリストに事(つか)えず、反(かえ)って己(おの)が腹に事(つか)え、また甘き言(ことば)と媚諂(こびへつらい)とをもて質朴(しつぼく)なる人の心を欺(あざむ)くなり。〟
      ロマ書一六章一七~一八節

  「教えに背(そむ)く」とは何だろうか。世の中には数多くの教会がある。しかし、キリスト教会と名乗っていても、イエス様を神様として信じない教会が大変多く、聖書を神様のお言葉としてそのまま受け止めない教会も数多くある。

  「聖書の中には間違いがある」とか、「創世記は神話である」とか……日本の有名な作家もそのように書いている。朝日新聞で懸賞を取った一人の女性作家の作品は一躍有名になって映画化されたりしたが、彼女は創世記を神話であるという。岩波書店から出した本を読むと、聖書を神様のあやまりのないお言葉として信じていないことを知った。それまですばらしい作家であると思っていただけに、私は唖然(あぜん)とした。聖書は神様の言葉と信じているにもかかわらず、自分の作品を通して、ここは神話だからと言って聖書を切り刻み、多くの人々につまづきとなってしまったのだ。

  多くの日本の出版社、あるいは教会の人たちは、彼女をすばらしいクリスチャンだと言ってほめちぎり、彼女の作品をどんどん広めている。これは明らかに、ロマ書の聖句と照らし合せるならば、皆さんが学んだ教えに背いている行為である。

  では、根本的な教理とは何か。聖書は誤りのない神のお言葉である。これは使徒パウロがテモテへの手紙の中ではっきりと書いている。イエス・キリストが処女マリアから生まれたということを処女降誕という。旧約聖書イザヤの預言、さらにはマタイ伝、ルカ伝を見るならばこの処女降誕は、聖書の基本的な核心であることがわかる。

  イエス様が十字架におつきになって私たちすべての人間の罪けがれを背負って下さり、血を流して下さった。その血によって私たちは罪汚(けが)れを赦(ゆる)されるということもまた、聖書の基本的な教えである。イエス様が死んで葬られ、三日目によみがえられた。これもまた、聖書が示すところである。こうした大切な事柄、絶対にこれだけは欠いてはいけないというものが基本的な核心、骨格としてあるのである。

 

  ◎ 暗誦聖句 詩篇四〇篇八節前半
〝 わが神(かみ)よわれは聖意(みこころ)にしたがふことを樂(たのし)む
(なんぢの法(のり)はわが心(こころ)のうちにありと)〟

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