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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(393)

         ▽ み言葉に生きる


  〝兄弟よ、われ汝らに勧(すす)む、おおよそ汝らの学びし教(おしへ)に背(そむ)きて分離を生じ、躓(つまづ)きをおこす者に心して之(これ)に遠ざかれ。〟
   ロマ書一六章一七節

  「教え」は、ただ単に聖書を読んだだけで学べるものではない。ロマ書には三つの大きなテーマがあった。①すべての人間は罪人であり、神様から離れた状態である。②その罪人に対して、神様は何とかして人類を救うために方法をお与え下さった。③十字架が唯一の方法であるということである。

  〝それ十字架の言(ことば)は亡(ほろ)ぶる者には愚(おろ)かなれど、救わるる我らには神の能力(ちから)なり〟
 コリント前書一章一八節

  イエス様の十字架を「知る」、「学ぶ」、そしてイエス様の生涯を学ぶことによって私たちが自分の罪を知り、その罪を赦(ゆる)していただく。それだけではなく、神様はたくさんの祝福をご用意下さっているということを学んでいくことが必要である。

  詩篇の中には〝御名(みな)を知る者は〟と書かれている。全知全能の神様のお名前をよく知る人は、神様から豊かな祝福にあずかることができる。ヘブル語で全知全能の神様のことを、「エロヒム」と書く。全世界を統一なさり、また力をもっていらっしゃる尊いお方を意味する。

  あるいは、「エホバ、備(そな)え給う」。神様を信じる人たちが何か困った時に「神様、どうかこれを与えて下さい。」と祈る時、神様は必ずそれを備えて下さるという意味で、ヘブル語では「エホバ・エレ」と書く。「エホバ、備え給う」という言葉は、神様が愛する者を必ず養って下さるという約束である。

  また神様を表わすヘブル語に「エホバ・シャンマ」という表現がある。「エホバ、ここにいます」という意味で、私たちがどこに行っても神様はいつも共にいて下さるお方であるということを表わす。神様が共にいて下さるということは、たとえ私たちがいかだで太平洋を横断しようとして海の中で死にそうになった時でも、神様はすぐそばにいらっしゃる。

  太平洋を一人ぼっちで小さなボートで横断しようとしたイギリスの航海士がいた。彼は星が輝いていれば、夜空をながめていたという。その彼はイギリスを出発する時には、「神などいない。私は無神論者だ。」と言っていた。しかし、夜空を見つめながら太平洋を漂(ただよ)っていた時に、「ああ、やはり神様はいらっしゃるのだ」と、神様を信じるように変えられたといわれている。

  神様は偉大なお力、さらに愛をもって、私や皆さんを守り支(ささ)えて下さるお方である。有名な〝神は愛なり。〟という言葉、しかしこの『神は愛なり』という言葉はそれだけでは多くの誤解(ごかい)を生(う)みやすい一つの聖句であると思う。聖句が悪いと言うのではなく、その受け止め方である。「神は愛だ。だからだれでもいいからそのまま教会に来て、そのまま教会員になって下さい。」というのは決して神の愛ではない。

 

  ◎ 暗誦聖句 詩篇三七篇三節
〝主(しゆ)によりたのみて善(ぜん)をおこなへ。この國(くに)にとどまり眞實(まこと)をもて糧(かて)とせよ 〟

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