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習志野バプテスト教会の週報

バプテストの特徴(二)

▽「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(Ⅰテモテ六・六)

二、地方教会の自治(Autonomy of the local church)    

 教会の全会衆が神様の御前に責任を負うことを意味する。会衆政治とも言われる。教会の上にどのような監督機関も持たない。教会は神様の御言葉に基づき、聖霊の導きをいただいて全ての問題を解決しなければならない。教会が教会内の問題に対して責任を負うならば聖さが保たれ、背教は広がりにくくなる。    

 コリント教会には未信者にも見られない不品行を行う者がいた。パウロは〝 …からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました〟(Ⅰコリント五・三) と言った。その理由は、教会が罪を犯した者を御言葉によって裁き、交わりを絶つことによって、その人が罪を悔い改めて主との関係を回復するためであった(四、五節)。    

  次にパウロは、不品行の者を放置していた教会に指導をしている。パウロはこの手紙の前にも「不品行の者とは交際をしないように」と指導していたが、コリントの信者は、その意味を理解していなかった。そこでパウロは〝それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。 私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです」(一〇、一一節)と説明した。    

 交わりを絶つべき人たちのリストを見て、私は驚いた。バーグ先生の本から「もっと欲しいという欲望こそ心に起こる全ての誘惑の土台」であると学んだ。神様がくださっている恵みで満足しない人は、満足を求めて不品行に走り、それでも満たされず貪欲になり、神様以外の何かを神として崇め、欲しいものを手に入れる邪魔ものをそしり、虚しさを忘れるために酒に酔い、欲しいものは手段を選ばず手に入れる、という関係が見えた。    

 私たちを愛し、必要を満たしてくださる神様への疑いと不満足は恐ろしい罪である。あなたは不道徳や略奪の罪は犯していないかもしれない。しかし、神様との関係で心が満たされていなければ、罪の誘惑に負けやすい状態にある。「そしる」は他人を悪く言う、非難するの意味で、類義語は「けなす」である。パウロは私たちの教会を見て何と言うだろうか。詩篇一三九・二三、二四のように、神様ご自身に心をさぐっていただこう。     

   

◎ 暗誦聖句  エレミヤ三一章三節「」内
〝我(われ) かぎりなき愛をもて 汝を愛せり。 〟

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