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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(378)

         ▽ み言葉に生きる


  大学院で勉強して博士課程に進もうかという思いもあった。その当時、お金がなかったことも確かであるが、大学で二年間勉強している間に「早く日本に帰りたい。そして伝道したい!」という思いが強くなった。勉強は生涯続ければいいことだと思って、日本にもどった(支援は二年間だったためもある)。今それを悔(く)いる思いがあるかというと、決して悔いはない。

  毎日毎日、神様の御(み)言(ことば)をのべ伝える、あるいは疲れた人々に慰(なぐさ)めの手を差(さ)し伸(の)べるということ、神様と共にその働きの一端(いつたん)を担(にな)わされているということ、これは本当に感謝なことだと思う。伝道者の最高の喜びは神と共に働くということだ。

  〝幸福(さいわい)なるかな、平和(へいわ)ならしむる者(もの)。その人(ひと)は神(かみ)の子(こ)と稱(とな)えられん。〟(マタイ伝五章九節)とイエス様は仰(おお)せになった。私たちがイエス様からいただく心の安(やす)らぎ、その安らぎを他の人々にも伝え、他の人がさらに一人二人とイエス様を信じて救われる時に、私たちは最高の祝福にあずかっているのである。

  二人の画家が「休息」あるいは「平安」というテーマで絵を描くように頼まれた。一人の画家は油絵の具を取り、大きなキャンバスに高い山を描いてその山の麓(ふもと)に湖を描いた。その湖の周りには緑の木々が茂(しげ)り、鏡のように静かな湖面には鳥が二、三羽いる絵を持って「これぞ、私が考える平和です。」と、依頼主の所へ行った。もう一人の画家は、ごう音をたてんばかりの激しい水しぶきの大滝を描いた。そして、滝つぼの側に枝先がわかれた一本の木を描(か)き、そこに小鳥の巣があって、鳥がヒナに餌(えさ)を与(あた)えて休(やす)んでいる姿を描(えが)いた。

  さて、みなさんはどちらの絵に平安を与えられるだろうか。高い山に囲まれた静かな湖?それとも、滝の下にある小鳥の巣だろうか。

  平安とは、実は滝のごう音と共に水が落ちてくるその中にあっても失うことのないものであると思う。なぜなら、ただ動きのない静かな湖であるなら、それは何もしないクリスチャンの姿だからだ。

  私たちは毎日、生きた人々の中で生活している。社会は激(はげ)しく動いている。そういう中にあっても、本当に静かな場所を見出し、休息を持つ。神様は私たちに「修道院に入って静かに過ごしなさい。」とはおっしゃっておられない。私たちは、罪の世界に生かされており、まわりのすべてが誘惑という血みどろの戦いの中にいる。その中にあってなお、散歩をしながら、または、通勤、通学の途中にありながら「イエス様。」と、イエス様との祈りを通しての交わりを持つとき、本当の魂の平安、安らぎがあることを覚えていただきたい。(続く)

 

  ◎ 暗誦聖句   コリント前書一章二一節後半
〝世(よ)は己(おのれ)の智慧(ちえ)をもて神(かみ)を知(し)らず(これ神(かみ)の智慧(ちえ)に適(かな)へるなり)。この故(ゆえ)に神(かみ)は宣(せん)教(きよう)の愚(おろか)をもて、信(しん)ずる者(もの)を救(すく)うを善(よ)しとし給(たま)へり。 〟

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