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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(365)

         ▽ み言葉に生きる


  現代の日本でも、キリスト教と言いながら実はキリスト教ではない、輸(ゆ)血(けつ)反対とか言うグループの人たちがいる。彼らは救われるためには自分の努力が必要だ、と教えている。毎週のように、一軒一軒歩いて、雑誌を売ったり、勧誘したりと、絶えず働かないと、自分たちが救いを失うという教えである。

  あるいは、韓国で文(ぶん)鮮明(せんめい)という人が私は再臨(さいりん)のメシアであると主張して始めた統一教会というものがある。どうしてみんなだまされるのか、不思議でならない。人々は心の安らぎのために、社会生活の中に確(たし)かな土台をさがし求め、様々な宗教や、伝統儀式などにすがるが、真理であるイエス・キリストのもとには来(こ)ようとしない。

  〝心は万(よろず)のものよりも偽(いつわ)るものにして、はなはだ悪(あ)しし。〟(エレミヤ記一七章九節)と聖書に書かれている。人間の心は、世界のあらゆるものにもまして邪悪(じやあく)である。「ああいえばこういう。」どこかの宗教の人のように。聖書は私たちに、神様の裁(さば)きから逃(のが)れる道を示している。イエス・キリストが十字架にかけられ、死んで、復活なさった。聖書は、「私が受けるはずの裁(さば)きをイエス様が代(か)わりに受けてくださった」と教えている。それを信じる者だけが、神様の厳しい裁きから逃(のが)れることができるのである。

  今から一〇〇数年前、アメリカで、建(けん)国(こく)一〇〇年祭を持ったときに、当時の大統領が日曜学校機(き)関(かん)誌(し)に寄(き)稿(こう)を頼(たの)まれて、「私の日曜学校に対する忠告はこれです。聖書を、あなたの自由の確かな碇(いかり)として堅(かた)く保(たも)ちなさい。聖書の御(み)言(こと)葉(ば)をあなたの心の中に、確かな教えとしてしっかり書き留(と)めなさい。そして聖書の教えをあなたの日々の生活で行いなさい。これこそ、もっとも大切なことである。」と、日曜学校の生徒に書き送った。

  私たちは聖書の教えの中に、厳(きび)しい罪の指(し)摘(てき)を見る。特にロマ書を読んでいくと、「もうこれ以上我慢(がまん)できない」、「それ以上私をつっこまないでください」というほど、心の中をグサッグサッとえぐりとられるような思いをする箇所がある。「神様どうしてあなたは私の隠(かく)れた行(おこな)いまで、ごらんになるのですか。もう少しおおめに見てくださいませんか。」と心の中の嫉妬(しつと)、誰かを許すことができない思い、憎(にく)しみなどの心を、あたかもレーザーで照らすように、あるいは、X光線で照らすように全部くまなく点検される。

  〝なんぢの有(も)てる信(しん)仰(こう)を己(おのれ)みづから神(かみ)の前(まえ)に保(たも)て。善(よ)しとする所(ところ)につきて自(みずか)ら咎(とが)めなき者(もの)は幸福(さいわい)なり。〟       
   ロマ書一四章二二節                  ( 続 く )

 

  ◎ 暗誦聖句   ヤコブ書一章五節
〝汝らの中(うち)もし智慧(ちえ)の缺(か)くる者あらば、咎(とが)むることな く、また惜(お)しむ事(こと)なく、凡(すべ)ての人に與ふ(あたう)る神に求む べし。然(さ)らば與(あた)えられん。 〟

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