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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(341)

         ▽ み言葉に生きる


  〝寧(むし)ろ兄弟のまえに妨碍(さまたげ)または躓物(つまづき)をおかぬように 心を決(さだ)めよ。〟 
    ロマ書一四章一三節

  私たちは、この社会の中で決して自分一人の存在ではない、ということを忘れてはならない。人間は誰もが誰かに助けられ、誰かを助ける。誰かに見られ、自分も誰かを見ているのである。

  小学生の頃、字の上手な子供の隣に座る子供は、上手な字を書くようになってくると言われた。算数の嫌いな子供の隣に座ると、算数が嫌いになる。つまり、できる子供の側(そば)にいると自分も影響を受ける。逆に、いつもいたずらばかりする子供の側にいると、自分もその悪さを楽しむようになってしまう。

  家庭においても、娘が大きくなると、知らず知らずのうちに母親と同じような味つけをし、母親のように考え、振る舞うようになっていく。息子は、父親の姿を見つめて育つ。結婚を考えている人は、その相手に自分の父親や母親に似たタイプの人を選ぶ傾向があるという。これは、日本だけでなく世界中で言われていることである。つまり、私たちは周囲の人々、特に母親や父親から多くの影響を受けるということである。

  クリスチャンは、家庭においてまだ信仰を持っていないご主人や子供たちの前で、それなりのきちんとした対応をし、つまずきを置かないようにしなければならない。「うちのお母さんは、教会ではきちんとしてるけど、家の中ではひどいよ。」などと言われるようではおしまいだ。〝つまずきを置いてはいけない。〟が、クリスチャンの「自由の原理」に含まれる要諦(ようてい)である。

   二番目は、積極的な意味で〝他の人の徳をたてるようにしなければいけない〟である。

  「トクをたてる」というのは、損(そん)、得(とく)の得という意味ではない。相手の人格に良い影響をもたらす、愛の行為(こうい)を示すということである。傷ついた人、災害に遭(あ)った人たち、病(やまい)の床にある人たちに対して、心からの愛情を示すということを、父親や母親、あるいは周囲のクリスチャンが身をもって行(おこな)っていく。その愛の行為(こうい)は、目に見えない神様におささげするご奉仕と同じであり、神様が喜んで下さることである。

  また、隠れた愛の行ないは、いろいろな形で多くの人達に影響を与えていく。自分中心の生活をしている人たちが、皆さんの愛の行ないや自分を無にした無私(むし)の奉仕を見ることよって、「私も、ああいう風な心豊かな人間になりたいなあ。」と思うなら、それが他人の「徳をたてること」になる。(続く)

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