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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(352)

         ▽ み言葉に生きる


  〝義によりて得たるところの僅少(わずか)なる物は不義によりて得たる多くの資財(たから)にまさる 人は心におのれの途(みち)を考えはかる。されどその歩履(あゆみ)を導くものは主なり。 〟       箴言一六章八~九節
  若い皆さんにお勧めしたい事は、あなたがどの道に歩むとしても、とにかく一〇年間に基本的なものを身につけていただきたいという事だ。収入がない、アルバイトをしなければ小遣(こづか)いがないとしても、電車賃さえあればかまわないではないか。何も他の人たちと同じように、パソコンの新機種を持っていなくても生活はできる。一番大切な基本的なことの第一は、物ではなく人間だと思う。

  二番目には、へりくだって出会う人から学ぶということだ。人間の勉強だ。私は高校生の時から、真っ赤になりながらも、喉(のど)がカラカラになりながらも、震えながら社会人に英会話を教えてきた。特に苦手(にがて)だったのは、二〇人余りの奥さん方に教える時だった。紅一の逆で黒一点、男は私ただ一人、もう恥ずかしくて仕方がなかったが、「神様、どうか助けてください。」と祈りながら毎回婦人達に手ほどきをした。私は英文科を出ているわけではない。けれどもこういう中にあって、人間のむずかしいところ、いいところ、素晴らしいところ、醜(みにく)いところを否応(いやおう)なしに見てきた。私の心の中にあったのは、この英語を通して世界の人達に福音を伝えたいということであった。

  英語圏(けん)に住む人なら、イギリス人であろうがアメリカ人であろうが小さな時から英語を聞くわけだから、学校で勉強しなくても英語が話せる。私が先生から教えられたのは、英語圏の人であれば誰でも英語を話せるのだから、英語を勉強しようとするのではなく、むしろ人間を磨き上げるように、ということであった。英語はあくまでも自分の特別の技、技術を使うための道具であって英語そのものが本当の目的ではない、と言われたのである。

  多くの人達は、ここで間違える。英語がすべてだと思う。しかし英語は、英語圏の人であれば学校に行かなくても誰でも話せる。英語が話せるだけでは役に立たない。若い皆さんは、英語が話せるからといって自慢(じまん)してはいけない。英語ではなく、自分が持っている技術、力を英語で説明をする。自分の心を英語という言葉を使って表す。最終的にはあなた自身の人格であり、あなたの才能である。言葉は単なる道具に過ぎない。

  私は高校生の時から教会に行き、もう六〇数年のクリスチャン生活だが、その中にあってひとつの願いがあった。それは、「自分は生涯神様にお仕えしたい。私の人生すべてを神様におささげし、神様のご用のためにお仕えしたい。」ということであった。どんなに辛(つら)くても苦(くる)しくても、私はそれ以後迷(まよ)わなかった。(続く)

 
◎ 暗誦聖句 ヘブル書一二章二節前半

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