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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(349)

         ▽ み言葉に生きる


   〝聖書の忍耐(にんたい)と慰安(なぐさめ)とによりて希望(のぞみ)を保(たも)たせんとてなり。〟
      ロマ書一五章四節

   神様の忍耐がなければ、誰一人この教会には残っていないだろう。牧師をはじめ皆さんも、罪に負けたり信仰の挫折(ざせつ)を経験したりして神様から離れたことがあったと思うし、これからもあると思う。それでも神様は忍耐の神でいらっしゃる。長く私たちを待ち続けて下さっている。

  この社会で自分の娘が堕落(だらく)してしまったとしよう。娘はボロボロになっても、家に帰ってこない。父親は「あの子を絶対家に入れるな!」とがんばる。ところが、母親は夜毎(よごと)にそっと勝手口(かってぐち)の鍵(かぎ)をはずして、娘がいつ帰ってもいいようにと待つ。父親は忍耐がないが、母親は忍耐深い。父親は一度ダメと言ったらダメだが、母親はいつまでも忍耐をもって待つ。愛があるからだ。

  神様の愛は深いので、忍耐の神ともいわれる。聖書を読むことにより私たちはその神様の御心(みこころ)を学んでいく。そして、苦しみの時、悲しみの時、絶望の状態にあってもなお、詩篇や聖書の約束を読む時に「そうだ。神様は生きていらっしゃる。神様は、私の必要を全(すべ)てご存知でいらっしゃる。」とわかってくる。

  聖歌の六五一番「罪とがをにのう」を皆さんは良くご存知だと思う(賛美歌では「いつくしみ深き」)。この詩はヨセフ・スクリヴェン(一八一九~一八八六年)というアイルランドの人が作ったといわれている。彼はダブリンのトリニティ・カレッジで勉強した。彼が二五才の時、結婚式前日に婚約者が溺死(できし)した。明日が結婚式という時に愛する人を亡(な)くした彼は、悲しみと痛みで自分の国を離れカナダに移住することを決意した。彼は、貧しい人、身体に障害を負った人、苦しんでいる人の友として生涯をささげていく。

  三五才の時、母親が重い病にかかったという知らせを受けたが、彼は母の所に行けなかった。彼は「山上の説教」を身をもって示したといわれたくらい、自分の持ち物の全てを貧しい人たちに与え、なお困っている人のために斧(おの)で木を切る仕事をして助けていた。それは、回りから変人扱いされるほどであった。彼には母親のところに行く船賃すらなかったのである。そこで、彼は婚約者を亡(な)くした時に書いた詩を母親に送った。その詩が、苦しみと悲しみの中にある多くの人を慰(なぐさ)める聖歌「つみとがをにのう」となったのだ。

  「気疲(きづか)れせし者(もの)
 重荷(おもに)負(お)う者
 隠(かく)れがなる主に
 すがれただちに
 なが(あなたの)友は笑い
 迫害すとも
 主はなれ(あなた)を抱き
 慰め給わん」
   (続く)

 

 
◎ 暗誦聖句 ミカ書七章一九節
 〝ふたたび顧(かえり)みて我らを憐(あわれ)み 我らの咎(とが)を踏(ふみ)つけ 我らの諸(もろもろ)の罪を海の底に投(なげ)しづめたまわん。〟

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