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習志野バプテスト教会の週報

◆ ロマ書の学び(331)

▽ み言葉に生きる


 

  〝兄弟の前に妨碍(さまたげ)または躓物(つまずき)を置かぬように心を決(さだ) めよ。…汝らの善(よ)きことの譏(そし)られぬようにせよ。〟                ロマ書一四章一三節

  私たちは野菜だけでなく、鶏肉や他の動物の肉類も食べることによって良性たんぱく質を摂取(せっしゅ)し、健康を維持し、エネルギーを得ることができる。

  十四、五年前、冨岡先生の招きでバングラデシュに夫婦で伝道旅行に行った時のことである。病院で勤(つと)めている役員の方から夕食に招待された。野菜あり、鶏肉がモコモコッと二つぐらいかたまって出たりと、ごちそうが並んでいた。ご主人も同席されていたので「今日はお休みですか。」とたずねた。

  すると「いいえ。皆、仕事をしています。今日、私は特別にお休みを取りました。私たちは普段、肉を食べることができません。貧しいために鶏肉を買うことができないのです。今日、私は先生達をもてなすために、遠くまで自転車で肉を買いに行ったのです。」と言うのだ。

  それを聞いて、二人共、食事があまり入らなくなってしまった。私たちをもてなすために、ほんの一塊(ひとかたま)りの鶏肉を買うためにわざわざ仕事を一日休んで接待して下さった。これこそクリスチャンの兄弟愛だ、と感激したのである。と同時に、日本人はなんて贅沢(ぜいたく)なのだろう、と考えさせられてしまった。

  日本なら、どこにいてもちょっとお金を出せば鶏肉であれ豚肉、馬肉、猪(いのしし)、鯨(くじら)の肉でさえ買うことができる。ぜいたくな国である。本当に感極(かんきわ)まった状態で私たちはチキンを味わったが全部は食べなかった。というのも、隣の部屋で「お客さんが全部食べないで欲しいな。」と思って子供達がチラチラと見ていたのである。だから全部を食べずに残したのであった。

  肉を食べると力がわいてくるし、エネルギーを蓄えられる。しかし、いざ肉を購入するとなると値段が高く、聖書が書かれた時代、特に貧しい人々にとっては簡単に購入することはできないものであった。

  旧約時代からイスラエルの民は犠牲(いけにえ)として動物の肉をささげていた。サムエル前書二章一二~一七節には、祭司エリの二人のよこしまな息子達のことが記されている。彼らは主を知らず、主へのささげ物を侮(あなど)り、神様にささげられた肉の一番良い部分を切り取って横取りし焼いて食べていた。神様が何度も警告なさったが、彼らは悔改めなかったため罰を受け苦しみの中に死んでいった。
     ( 続 く )

 
◎ 暗誦聖句 コリント前書一五章五八節前半
〝然(さ)れば我(わ)が愛する兄弟よ、確(かた)くして揺(うご)くことなく、 常(つね)に励(はげ)みて主の事(わざ)を務(つと)めよ。〟

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